クィディッチの試合当日、雨はどうしようもない程強くなっていた。まるで台風だ。窓を激しく打ちつける雨を眺めながらルーシーはこみ上げる溜息を飲み込んだ。嫌な予感というものは的中してしまう。こんなにも激しい雨の中だというのに試合中止のお知らせは出ないし、学校中が今日の試合を楽しみにしていた。
「ハリー、気を付けて。頑張ってね」
グリフィンドールの選手達と共に競技場へ向かうハリーに声をかけて見送り、ルーシー、ロン、ハーマイオニーも他の生徒達と競技場へ向かった。雨風は益々強くなり、持っていた傘はとうにボロボロになり役割を放棄している。
「ハリー大丈夫かしら……」
「大丈夫さ! 今までだって勝ってきたんだ、イチコロだよ!」
「だと良いんだけど……」
心配そうなハーマイオニーと顔を見合わせ、ルーシーはポツリと呟く。
「ハリーの眼鏡、防水してないのにスニッチなんて見える?」
「「あっ!!」」
しまったという顔のロンとハーマイオニーが顔を見合わせた。
すぐにハリーの所に行かなきゃ!と叫ぶハーマイオニーに、もう試合開始だよ!ロンが絶望したように叫んで、二人は項垂れて大きな溜息を落とす。苦笑を漏らしながらルーシーはどうしたものかと荒れ狂う灰色の空を見上げた。
「………?」
気の所為だろうか。ふと、空の向こうに黒い何かが見えた気がした。
まさか。そんなはずはない。ダンブルドアが厳しく言い含めているのだ、破るはずもないだろう。
「リサ、急ぎましょう!」
ハーマイオニーに急かされ、ルーシーは早足で競技場へ向かうのだった。
試合が始まった。相変わらずの大雨のおかげで殆ど何も見えやしない。防水魔法をかけた双眼鏡で必死に選手達を追うが、彼らも殆ど何も見えていないのだろう。どちらのチームも困り果てているように見えた。辛うじて選手達の影は見えるものの、クァッフルを誰が持っているのかまでは分からない。ブラッジャーが今どこを飛んでいるのかも分からない。
ゴールを守るキーパーでさえ、クァッフルを見付けられずに満足にゴールを守れていない状況だ。どちらのチームも点を加算しているが、それに比例して取られる点も増えていく。シーカーがスニッチを取らない限り試合が終わることはないが、これではいつ終わるのか分かったものではない。
殆ど何も見えないからこそ、スタンドは熱気が溢れていた。声を嗄らして必死に応援するロン達に微笑み、ルーシーも出来る限り声を張り上げて応援する。頑張れ。負けるな。そこだ!
グリフィンドールがハッフルパフに五十点の差をつけた頃、稲光が走った。一瞬明るくなった世界はすぐにまたどんよりと暗い空に戻ったが、もう楽観視など出来やしない。遥か上空を飛び回る選手達にいつ落ちるとも限らないし、何より、ルーシーは見てしまった。遠くの空に漂う沢山の黒を。
マダム・フーチのホイッスルが響き渡り、選手達がグラウンドに降り立つ。試合が終わったのかと思ったがそうではないらしい。オリバーがタイムアウトを要求したのだ。
「行きましょう! ハリーの眼鏡を何とかしなきゃ!」
グラウンドへ急ぐハーマイオニー、ロンの後に続いたルーシーは、けれどグラウンドではなく競技場の外へと飛び出した。ダンブルドアに報告している暇などありはしない。死に物狂いでプレーをする選手達や熱狂的な観客たちに惹かれてこちらに向かってくる吸魂鬼を何とかしなければ。
「駄目、持ち場に戻って!」
構内に侵入した吸魂鬼達は宙を滑るように競技場の方へと向かっていた。彼らの前に飛び出たルーシーは両腕をめいっぱい広げて説得を試みるが、ご馳走に目が眩んだ吸魂鬼達には何の効果も期待出来そうにない。ならば、と杖を取り出して対抗呪文を唱えるが、やはり彼らは僅かに怯んだだけで先へ先へと滑り寄ってくる。
不意に、あの感覚に襲われた。
列車の中でも感じた、ぞっと底冷えするような冷気だ。動くことを忘れてしまったかのように凍りつく手で強く杖を握りしめ、少しでも冷気を身体の外へ押し出そうと大きく息を吐きだす。吐き出した白い息がピキピキと凍りついていくのが見えた。
「――や、め……!」
耳の奥で彼らの悲鳴が聞こえたその瞬間、ルーシーはギリリと奥歯を噛みしめて腕を振り上げた。
バァン!!! 轟音が辺りに響き渡る。吸魂鬼達がピタリと動きを止めた。
「私を、怒らせないで……!」
杖先に溢れた光がバチバチと剣呑な音を響かせる。素直に戻らなければ、この魔法を使うに吝かでない。そんなルーシーの意思を感じ取ったのだろう、吸魂鬼達はゆらゆらと漆黒のマントをはためかせながら名残惜しそうにそれぞれの持ち場へと戻っていった。
遠ざかっていく黒を見送ったルーシーの身体は、まるで吊り糸を失ったかのように地面に落ちていった。身体が動かない。全身が凍えてしまったようだ。あぁ、落ちたら痛いんだろうな――そんな事を考えて目を閉じたルーシーだが、いつまで経っても痛みは訪れない。落ちる感覚はとうに消えたはずなのに、痛くない。あれ? と思い目を開けると、そこには真っ黒の大きな傘を差したスネイプが立っていた。
「、――、」
ぽかんと開いた口からは何も出てこない。厳しい顔でこちらを見下ろすスネイプを呆然と見上げていると、スネイプの後ろからダンブルドアがひょっこり現れた。
「無理をしたようじゃの。さぁ、おいで。医務室へ行こう」
先に歩き出したダンブルドアはその手に持った杖で何かを浮かせている。それが人で、ハリーだと気付いたルーシーは慌てて口を開いたけれど、やはり声が出てくることはなく、ぐらりと目の前が歪み、そのまま意識を失ってしまった。
「全く! こんな無茶をするなんて!」
目を覚ましてから十数分。ルーシーは何度目か分からない謝罪の言葉を口にした。
ルーシーが意識を取り戻したのは医務室に運ばれて間もない頃だった。目の前が歪むことはないが、代わりにズキズキと頭が激しく痛む。
ハリーとルーシーを医務室に運んだダンブルドアもスネイプも、吸魂鬼が侵入したことの後始末や競技場に残った生徒達を城内に連れ戻すと言ってさっさと行ってしまった。そそくさと逃げるように出て行ったように見えたのは、気の所為だろうか。疑ってしまうのは、止むことのないお叱りにひたすら耳を傾けなければならないこの時間が地獄のように思えているからかもしれない。ルーシーは手の中の薬を一気に飲み干して溜息を漏らした。
「昔から貴方はやり過ぎな所があると思ってました! えぇ、知っていましたとも!」
「ポ、ポピー……あの、その、」
出来ればその辺で終わりにして欲しい。ただでさえ痛む頭がポンフリーの怒声で更にズキズキと痛むのだ。勿論それを分かっていて説教を続けているのだろうが、そろそろ本当に勘弁して欲しい。頭が割れてしまいそうだ。
「ハリー! ハリーは? 大丈夫なの?」
咄嗟に上げた話題は見事にポンフリーの説教を止めることに成功したようだ。ハリーの眠るベッドへ視線を向けたポンフリーは、不満気な顔でルーシーをじとりと睨んでから溜息を一つ落として頷いた。説教はもう終わりで良いということだろう。ホッと胸を撫で下ろしたルーシーもハリーのベッドへと視線を向け、けれど見ていられずにすぐに視線を戻してしまった。
「まさか吸魂鬼が入ってくるなんて……」
「うん……ハリーが無事で良かった」
眠るハリーは益々ジェームズにそっくりだ。思い出したくない光景が脳裏に蘇り、振り払うように頭を振る。そんな事をしても消え去ってくれないことは分かっていたし、頭痛が更に増すだけだ。
「さ、貴方も寝てしまいなさい」
「ん……いや、寮に戻るよ」
「何ですって?」
そんなことは許さないとばかりにポンフリーがルーシーを睨む。あまりの剣幕に怯んだルーシーは、慌てて弁解を始めた。ハリーがジェームズに見えてしまうだとか、部屋の方が落ち着いて眠れるだとか。その内容に思うところがあったのか、ポンフリーはもう一度ハリーへ視線を向けてから諦めたように頷いた。
「分かりました。ただし、ちゃんと休むように」
「はい」
良かった。本当に良かった。
ポンフリーの説教を聞きたくないという三つ目の理由を呑み込んだルーシーは、心配そうにこちらを見つめるポンフリーにお礼を言って逃げるように医務室を出て行った。