リサ・桜井は不思議な子だ。
初めて訪れたリーマスの部屋で紅茶を飲みながらハリーは思った。
突然の転入生。他の魔法学校で学んでいたわけでもなく、一年、二年を飛ばして突然三年生からだ。小柄なのに醸し出す雰囲気は自分達よりもよっぽど大人びているようにも思える。
ホグワーツ特急の中ではマルフォイと敵対していたのに、魔法生物飼育額の授業の時にはマルフォイを庇って大怪我を負った彼女は、ハリー達と同い年にも拘らず無言呪文というものを使ってボガートを退治した。
”首、なかった、よね……”
おずおずと声を発したロンの台詞が蘇る。
リサのボガートは死体だった。それも、とってもリアルな。ほんの少しの時間だったけれど、それでもハリーはしっかりと見た。頭と身体が離れた身体が横たわっているのを。その身体はホグワーツの制服を着ていて、驚くことにスリザリン寮を示す色のネクタイを締めていた。
”あの首、その………スネイプ先生に似てた気がしたの”
ハーマイオニーが声を潜めて言ったそれに、ハリーもロンも首を傾げた。顔までちゃんと見ていなかったからだ。
スリザリン生が惨たらしい状態で死んでいた――その事実にばかり気を取られ、顔を確認しようとした時にはもうリサの無言呪文によって消え去っていた。
スネイプであるはずがない。だって、リサは学生時代のスネイプなんて知るはずがないのだから。
何も分からなくて、けれど尋ねることも出来なくて。談話室に戻ってきたリサがあまりにも普通だったから余計に尋ねられなかった。疑問ばかりがハリー達の中に残り続けた。
迎えたホグズミード週末――つまり、今日。
マグルの伯父と伯母からサインをもらえなかったハリーは居残り組だ。三年生の中で、ハリーただ一人。落ち込んでいく気持ちをどうすることも出来ずにいたハリーに、今日になってリサは言った。自分も行かないのだと。
「どうして?」尋ねたハリーに「サインをもらわなかった」と答えたリサは、確かにハリーの気持ちを浮上させてくれた。行きたい気持ちが消えたわけではない。行けるものなら今からでも行きたい。けれど、一人じゃない。その事実が嬉しかった。
二人でロンとハーマイオニーを見送った後、当てもなく廊下を歩いていた所をリーマスに呼び止められた。部屋に招待されて、それでも何故かリサは断って一人どこかへ行ってしまった。まるでリーマスに会うことを避けているかのように。
「ルーピン先生、あの……」
「うん?」
「ボガートの授業の時……あの、リサが職員室に残って、それで、その……」
「あぁ……」
苦笑を浮かべたリーマスが紅茶を口へと運ぶのを、ハリーはじっと見つめていた。何て答えようか悩んでいるようにも見えたのは気の所為だろうか。カップを置いたリーマスはいつもと変わらない笑みで肩を竦める。
「彼女にもよく分かっていないらしくてね、たまたま夢で見た光景を思い浮かべたって言ってたよ。あれが誰なのかも分かってないし、勿論、あのような事実もない」
「でも……でも、その……友達は、スネイプ先生に似てるって、それで……」
「あぁ、確かに似ていたかもしれないね。けど、ほら……スネイプ先生は生きてるよ。この間の授業は散々だったみたいだね」
リーマスに言われてハリーはつい最近の授業を思い出し苦い顔になった。
ネビルのボガートがスネイプに変わり、女装させられたこと――それはあっという間にホグワーツ中に広まり、当然ながらスネイプの耳にも届いてしまった。先日の授業ではネビル虐めが一層酷くなったし、広間ではリーマスを睨みつけていたのも目撃した。
「あの……先生は大丈夫ですか?」
「何が?」
「その、スネイプ先生がルーピン先生を……」
「あぁ、大丈夫だよ」
ハリーの言いたいことが分かったらしいリーマスが声を上げて笑う。
「大丈夫、問題ないよ。――それから、ハリー。もしかしたら君は、もう一つ私に聞きたいことがあるんじゃないか?」
思いがけない言葉にハリーは息を呑んだ。
尋ねても良いのだろうか。視線を泳がせる間もリーマスは優しい笑みを浮かべたままハリーを見つめている。その優しい眼差しに安心感を覚えたハリーは、躊躇いがちに口を開いた。
どうして自分にボガートと戦わせてくれなかったのか。
あんな風に強引に間に割り込んでまで阻止したのには、何か理由があるのではないか。もしかしたらそれは、ハリーがボガートに負けると思ったからではないのか――ずっと拭えなかった不安を吐露すれば、リーマスはまた笑って答えをくれた。
「ボガートが君に立ち向かったら、ヴォルデモート卿の姿になるだろうと思った」
それはハリーが予想もしていなかった答えだったし、ヴォルデモートの名前をあっさり口にしたリーマスに驚きもした。ダンブルドア以外の誰かがその名を口にしたのを、ハリーは初めて見た。
「確かに、最初はヴォルデモートを思い浮かべました。でも、思い出したんです……吸魂鬼のことを」
列車で出会った吸魂鬼。楽しい気持ちが全て消えて、それで。
耳の奥に聞こえた悲鳴を頭を振って払い、ハリーは縋るようにリーマスを見つめた。
「あの、先生。吸魂鬼のことですが――」
言葉は最後まで続かなかった。
突然のノックの音に驚き肩を揺らしたハリーにくすりと笑い、リーマスが「どうぞ」と訪問者を迎え入れる。入ってきたのはスネイプで、驚きと嫌悪感で顔を歪めたハリーを認めたスネイプもまた足を止めて闇色の目を細めた。
「あぁ、セブルス。ありがとう、このデスクに置いてくれ」
スネイプの持つゴブレットから微かに煙が上がっている。中身は何だろうかとじっと見つめるハリーの視線の先で、スネイプはゴブレットをデスクに置いた。
「ルーピン、すぐに飲みたまえ。一鍋分を煎じた、必要とあらば――」
「多分、明日もまた少し飲まないと。セブルス、ありがとう」
デスクに置かれたゴブレットを取りながら礼を言うリーマスに、スネイプは「礼には及ばん」と素っ気なく返す。リーマスを見るその目に剣呑な光が宿っていることに気付いたハリーは、ゴブレットとリーマスとを交互に見つめた。
「スネイプ先生が私の為にわざわざ薬を調合してくださった。私はどうも昔から薬を煎じるのが苦手でね。これは特に複雑な薬なんだ」
微かに立ち上る煙をふぅと吹き飛ばし、リーマスが顔を顰める。
「砂糖を入れると効き目がなくなるのは残念だ」
深呼吸を一つ。ゴブレットを呷り、ぶるりと身体を震わせた。
「あの、どうして……?」
「この頃どうも調子がおかしくてね。この薬しか効かないんだ。スネイプ先生と同じ職場で仕事が出来るのは本当にラッキーだよ。これを調合出来る魔法使いは少ない」
そう言ってまた薬を飲むリーマスをじっと見つめながら、ハリーはそのゴブレットを叩き落としたいという衝動に駆られた。
「スネイプ先生は――」
「あぁ、そうだ。ハリー」
「――はい」
スネイプは闇の魔術に興味がある――思わずそう言おうとしたのを遮られ、ハリーは一拍遅れで返事をした。
「ほら、見ただろう?」
「何がです?」
「スネイプ先生さ。生きてただろう? 彼女のボガートは、スネイプ先生じゃない」
何故今になって話を蒸し返すのだろうと思ったけれど、ハリーは尋ねることが出来なかった。
リサのボガートはスネイプじゃない――そう言ったリーマスの顔が、まるで自分に言い聞かせようとしているように見えたからだ。