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グリフィンドール寮生であるネビル・ロングボトムはお世辞にも魔法薬学が得意とは言えないような生徒だ。
一年生の頃から注意力散漫で、出来上がる薬は間違いなくクラスの中で最も悪い出来だと言える。ハリー・ポッターやロン・ウィーズリーの作る薬も無様なものであるが、彼はそれ以上だとセブルス・スネイプは確信している。

そのネビルが、だ。

「よ、よかったぁ……」

顔中から吹き出る汗を拭いながら床にへたり込む。安堵するネビルに同寮生たちが歓声を上げ、スネイプの監督するスリザリン生たちの方から落胆の溜息が漏れた。
間違いなくネビルの薬は失敗するはずだった。どんなに一生懸命作ったところで上出来な薬など出来るはずがない。そんなことはこれまでの二年間で嫌というほど思い知らされた。

「――グリフィンドール、十点減点」

グリフィンドール生たちの笑顔が固まる。

「手伝うなと言ったはずだ、グレンジャー」

サッと顔を赤くするハーマイオニーを横目に、スネイプは手の中のおたまじゃくしに解毒薬を与えてネビルへと押し付けた。グリフィンドール生たちから向けられる非難の眼差しなど屁でもない。スリザリン生たちがクスクスと笑っているのが聞こえた。

授業が終わると生徒たちはそそくさと教室を去っていく。どの学年も同じだが、このクラスは特にその傾向が強いだろう。それはスネイプがこのクラスの授業の時にだけやたらと減点するからなのだが、スネイプにはそれを改めるつもりなどこれっぽっちも無い。むしろもっと大量に減点してやりたいと思っていることを、ハリーたちも気付いているのだろう。
これ以上減点されてたまるかとばかりに早足で去っていく背中たちを見送ることもせず、スネイプは授業の片付けを開始した。汚れた大鍋を魔法で綺麗にして棚へと戻し、床のあちこちに落ちる材料の切れ端やら妙な液体やらを消していく。

もっと丁寧に調合しさえすれば、こんな風に汚れることなど無いというのに。
残念なことにスリザリンのテーブル周りも汚れているので、これに関しては悔しいが減点することが出来ない。スネイプとしてはグリフィンドールだけを減点するのは一向に構わないが、生徒たちから苦情を受けたマクゴナガルから説教されるのは御免被りたい。彼女の説教など、学生時代に受けた分だけで十分だ。

粗方綺麗になった教室を見回し、まぁこんなものかと一つ頷いたその時、教室の戸が開いた。入ってきた人物にスネイプは嫌悪感を隠すことなく顔を顰めてみせる。

「ちょっとあからさま過ぎじゃない?」

仮にも教師なんだから。文句を零すルーシーに背を向けて何の用かと問えば、薬のお礼を言いに来たのだと彼女は言う。
お礼など聞きたくもないのに。その顔を見せないことの方が余程喜ばれる礼だということに、この少女は気付いていないのだろうか。

「教師までグルになって虐めるなんて」
「さぁ、何のことだか」
「ハリーもロンもネビルも可哀想」
「可哀想?」

はっ。嘲笑しスネイプは少女を振り返った。扉から一番近い椅子に座る少女に目を眇めれば、少女はわざとらしく肩を竦める。

「まさかお前の口からそのような言葉が聞けるとはな」
「私だってそれくらいの感情は持ってるよ、どうも」
「アレから両親を奪っておいてよく言う」

ぴくり、と僅かに反応を見せるルーシーを鼻で笑い、スネイプは一歩、もう一歩とルーシーへ歩み寄る。
記憶の中で幸せそうに笑う彼女とは似ても似つかない、感情の篭もらない顔がこちらを見上げていた。

何て愚かなのだろう。
同じように見つめ返しながらスネイプは思う。

こんなにも憎んでいるというのに。
今すぐにでもこの手で葬ってしまいたいとさえ思うのに。
今すぐにでもこの手を伸ばし、掻き抱いてしまいたい衝動に駆られるなんて。

そんな考えを読んだかのようにルーシーがスネイプから目を逸らした。まるで拒絶するかのように。
そして言うのだ。葛藤するスネイプを嘲笑うかのように。

「ハリーは二人にそっくりだね」
「お前は……!」

何故。どうして。
もう何度となく繰り返したこの疑問だというのに、一向に答えが出てこない。

「何故そんなことが言える! 何故アレと笑える! 自分がしたことを分かっているのか!!」

息を切らして怒鳴りつけて、それでもちっとも堪えない。
傷付けてやりたいのに。自分が負わされたのと同じくらい――それ以上に、ぐちゃぐちゃに傷付けてやりたいのに。

「――分かってるよ」

何もかも悟ったような顔で微笑むかつての恋人に、スネイプは拳を強く握りしめた。




食欲が湧かないまま昼食の時間となった。
グリフィンドールのテーブルでは大嫌いな男と生き写しの少年が友人たちと笑っているのが見える。その中にちゃっかり混ざって笑う少女の顔なんて見たくもない。

「何故あの者たちをこの城に?」

隣に座る白髪の老人に問いかければ、老人はグリフィンドールのテーブルへと視線を向けて静かに微笑んだ。

「必要だと思ったからじゃ」
「今は何も知らなくともいつか知ることになる。そして苦しむのでしょうな、両親と同じように」
「セブルス」
「貴方はそれが必要なことだとお考えらしい」

これではまるで臍を曲げた子どもではないか。そう思うのに、こみ上げる怒りをどうすることも出来ない。
楽しげな生徒たちの笑い声すら耳障りでしかない。微笑ましいなどとどうして思えるだろう。自分の学生時代は最悪だった。どうしようもなく最悪だった。

幸せだったはずなのに。永遠に続くと信じていたのに。
記憶の中の彼女に縋っても虚しいだけだ。分かっている。それでも縋ってしまう自分は何て愚かで惨めなのだろうか。
どうしようもなく惨めな己に失望しながらも生きてきたというのに、どうして今更。

「………これ以上、」

頼むから、これ以上は。
喉の奥まで出かかった言葉を水と共に飲み込んで立ち上がったスネイプは、ダンブルドアを見ることなく出口へと向かう。

「セブルス」

呼び止める声に足を止めれば、振り返ることをしないスネイプに苦笑を漏らしながらダンブルドアが言う。

「必要なのはハリーではない。――君じゃ」
「っ、」

咄嗟に振り返ろうとして、けれどスネイプはどうにかそれを堪えることに成功した。
必要? 私に? ふざけるな。心の内で吐き捨てた言葉がそのまま背後の老人に届けば良いのに。そうすれば彼も分かるだろう。スネイプがどんなに苦しんでいるのかを。ギリギリの状態で何とか保ち続けているのだということを。

「私には、そうは思えませんな」

何とか平静を保ち言葉を返したスネイプは、逃げるようにしてその場を後にした。
聞きたくない。見たくない。

常より僅かばかり早足で部屋に戻ってきたスネイプは、内に巣食うドロドロとした感情をどうすることも出来ないまま寝室へと向かった。
耳にこびりついて消えない声が、瞼の裏に焼き付いて消えない姿がただただ苦しくて。
服に皺が寄るのも構わずにベッドに倒れ込み、枕にぐっと顔を押し付けた。

消えろ。消えろ。消えろ。
強く念じて頭の中から追い出す。
そして思い出すのだ、愛しい少女を。

”セヴィ”

幸せそうに笑う彼女を求めてスネイプは更に強く枕に顔を押し付けた。
それ以外は見たくない。それ以外は聞きたくない。
こうして枕に顔を押し付けてしまえば、もう他には何も見えない。何も聞こえない。

”大好き”

幻だって構わない。
愛してくれるのなら、何だって良い。

「    」

呼びたくて堪らないのに、彼女の名前が声に出ることはなかった。