17


スネイプは薬の補充の為に医務室を訪れていた。

「いつもありがとう。まだ授業中だけど、この時間セブルスは授業ないの?」
「えぇ」
「それならお茶でもいかが?」
「せっかくですが、まだやることが――」

まだやることがあるので失礼する。そう続くはずだった言葉はテーブルの上にティーセットを用意したポンフリーの微笑みによって飲み込むこととなった。

「ずっと地下に篭りっ放しでは身体によくありませんよ」

余計なお世話だ。そう言いたいのをぐっと堪えて席に着けば、満足げに微笑んだポンフリーが向かいに座る。これまで何度となく薬の補充の為に医務室を訪れていたが、こんな風に引き止められることなどあっただろうか。何か面倒事でも頼まれるのだろうかとこの後の予定を頭の中で計算し始めた頃、ティーカップをソーサーに戻しながらポンフリーが口を開いた。

「ねぇセブルス、あの子のことだけれど……」

カチャン! カップを無造作に置いた所為でソーサーが割れたような音がしたが、そんなことに構っている場合ではない。向かいに座るポンフリーをじとりと見据えると、ポンフリーはどこか寂しそうな顔で手元のカップへと視線を落とした。そんなポンフリーを見つめたままスネイプは思う。彼女はどうしてそんな顔をするのだろうか、と。マクゴナガルにしてもそうだ。魔法界で暮らす誰もがルーシー・カトレットを敵だと認識している。教師たちだって同じだ。それなのに、何故。

ふとスネイプは自身の手を見下ろした。
ほんの数日前、彼女に触れた手だ。怒りのまま華奢な肩を掴んでソファに押し倒して、それでも殴ることは出来なかった。伸びてくる手を拒むことも出来ず、冷たい指先が頬に触れた。感触と温もりを掻き消すように何度も洗ったというのに、その感覚は二日経った今も鮮明に覚えている。

「校長を悪く言いたくはありませんが、あの者たちをここに招き入れたことは過ちであると言わざるを得ませんな」
「それは……きっと殆どの先生方が思っていらっしゃるでしょうね」

悲しげに微笑むポンフリーの顔を見ていられずに再びカップへと視線を戻したその時、廊下から騒がしい音が聞こえてきた。授業中だというのにバタバタと廊下を走る音が聞こえる。足音は複数だ。「早く!」と叫ぶ声はスネイプの耳が確かならば、あの憎い男にそっくりな少年のものではないだろうか。

「失礼します!!」

数秒も経たない内に医務室の戸が開いた。戸を開けた人物の赤毛がちらちらと見えるが入ってくる様子はない。代わりに飛び込んで来たのは、やはりハリー・ポッターだった。背中に誰かを背負っている。まさか。どくりと鼓動が大きく跳ねた。

「マダム・ポンフリー! リサが……!」
「まぁまぁ、何事です!?」
「すまねぇポピー……治してやってくれ」

ハリーに続いて入って来たハグリッドが情けなく眉を垂れさせて懇願する。その太い腕にはスネイプが監督する寮の生徒であるドラコ・マルフォイが抱かれていた。マルフォイを一瞥してスネイプはすぐにルーシーへと視線を戻す。ハリーに背負われた彼女の肩から背中にかけてざっくり裂けている。制服やローブの所為で傷口は見えないが恐らく相当深いものだろう。微かに聞こえた水音にハッと息を呑んで下を見れば、ローブから滴る血が医務室の床を赤く濡らしていた。

「何てこと……!」

ルーシーに近寄ったポンフリーが傷を確認する為にローブへと手を伸ばす。スネイプはすぐに杖を取り出してルーシーをハリーの背中から引き剥がし、ポンフリーから遠ざけた。

「セブルス!?」
「ベッドへ移動させます」

綺麗にセットされたベッドにルーシーを下ろせば、真っ白いシーツはすぐに赤く染まった。ポンフリーがルーシーに駆け寄ると、スネイプは再び杖を振ってベッドを隠すようにカーテンを引く。

「ハグリッド、マルフォイをこちらへ」
「あ、あぁ……頼んます」

呼び寄せた椅子に痛みに呻くマルフォイを座らせ、怪我を負っている方の袖を全て取り払う。露になった傷口は範囲こそ広いものの、さして深い傷ではないようだった。必要な器具と薬を薬を呼び寄せ、丁寧に消毒してから治療を行う。

「確か、Mr.マルフォイは魔法生物飼育学の授業中だったはずだが?」

ちらりと視線を向けると、カーテンに閉め切られたベッドの方を不安げに見つめていたハリー、ロン、ハーマイオニーが顔を見合わせた。

「はい……授業で、その……ヒッポグリフを……」

躊躇いがちなハーマイオニーの台詞を受けてハグリッドへと視線をずらす。すっかりしょぼくれた様子のハグリッドに溜息を一つ落とし、校長とルーシーの寮監であるマクゴナガルに報せに行くべきだと進言してやれば、ハグリッドは肩を落としながらすごすごと医務室を去って行った。

手早くマルフォイの治療を終え、痛みに呻くマルフォイに痛み止めを与えてベッドで休むようにと告げたスネイプはルーシーのベッドへと向かう。ほんの僅か開けたカーテンの隙間から身を滑らせるようにして入り、再びしっかりと閉めてベッドに近づく。処置はもう殆ど終わっていた。

「あの……何かお手伝いさせてくださいませんか?」
「今すぐ寮へ戻れ。それが君たちに出来る手伝いだ」

カーテンから顔だけを出して言い捨てたスネイプは返事を待たずにすぐにまたカーテンを閉めた。直後はカーテンの向こうから不満げな呻きや溜息が聞こえてきたが、それも少し経つと医務室の戸が開閉する音が聞こえてくる。気配がなくなったから帰ったのだろう。相変わらずマルフォイの呻き声が聞こえてくるが、薬が効いてくれば眠りに就くはずだ。スネイプは包帯を巻かれていくルーシーの背中を見下ろしてぐっと眉根を寄せた。

「ありがとう、セブルス」

包帯を巻きながらポンフリーが呟く。

「貴方が止めてくれなかったら、あの子たちに見られていたでしょうね」
「余計な面倒事を増やしたくなかっただけです」

それでもありがとう、とポンフリーは微笑む。

「こんなもの……誰にも見られたくなんてないでしょうから」

未だ露になっている背中を見下ろしてスネイプは鼻を鳴らす。望んで手に入れたくせに。心の内で吐き捨てたって心はちっとも晴れやしない。

ベッドに眠る少女の小さな背中には、まるで似つかわしくない黒い蚯蚓腫れが髑髏のような痣を作っていた。