「マルフォイっていつもああなのよ」
得意げな面持ちで声を張り上げるドラコ・マルフォイをじとりと睨みながら、ハーマイオニーが苛立ちを隠すことなく吐き捨てる。
初対面の頃から印象は最悪だったのだと聞きながら、ルーシーは「まぁそうだろうな」と心の内で相槌を打った。何せ彼は純血主義のマルフォイ家だ。純血主義という思想を幼い頃から叩き込まれて生きてきたのだから、マグル生まれのハーマイオニーたちとそりが合うはずもない。
突然、背後から甲高い声が上がった。
咄嗟に耳を塞ぎながら振り返れば、同じクラスのラベンダー・ブラウンが放牧場を指している。興奮と恐怖を綯い交ぜにしたような目でじっと見つめるラベンダーの視線の先を追えば、放牧場の向こうにハグリッドの巨体が見えた。ハグリッドの手から伸びる太く長い鎖が背後に見える奇妙な生き物の首へと繋がっている。ヒッポグリフ――学生時代に一度だけ出会ったことのある生き物だ。
胴体から後ろ脚、尻尾の部分を見ると馬のそれとよく似ているが、前脚と羽、そして頭部は巨大な鳥だ。大きく鋭い嘴と獲物を探しているかのようにぎょろぎょろと動く橙の目が鷲に酷似している。
ハグリッドが連れてきたヒッポグリフたちはとても賢く礼儀正しい生き物だった。自尊心が高い彼らは無遠慮に近づかれることを嫌い威嚇してくるが、礼儀を尽くして接すれば応えてくれる。最初は怯えて近づこうとしなかった生徒たちも、ハリーが手本としてヒッポグリフに乗ってみせればいくらか不安が消えたのか、躊躇しながらもヒッポグリフへと近づいていった。
「こんにちは」
記憶の中の姿より少しだけ大きく育った栗毛のヒッポグリフにお辞儀をすると、ヒッポグリフはぱちりと瞬きを一つして小さく鳴く。
『人間は成長が早いと思ってましたが、違ったようですね』
お辞儀が返ってきたのを確認してからそっと歩み寄れば、ヒッポグリフは撫でやすい高さまで頭を下げてくれた。ありがとうとお礼を言ってから頭から首にかけて優しく撫でる。見た目より柔らかい手触りだった。
「普通ならそうなんだけど、色々あってね」
苦笑を零して言えば「普通じゃありませんからね、貴方は」なんて返ってくる。
記憶の中ではもっと可愛げのある性格をしていたのに。肩を落として溜息を漏らせば、失礼だとでも言うように嘴が頬を撫でてきた。
「くすぐったい」
『失礼なことを考えるからですよ。これだから人間は……あぁ、ほら。あそこだってそう』
ヒッポグリフがちらりと視線を送った先を追えば、マルフォイが一頭のヒッポグリフと対面しているのが見えた。腰に手を当ててふんぞり返ったマルフォイが自分よりも背の高いヒッポグリフを蔑むように見ている。明らかに機嫌が悪くなっていっているというのに改める様子もない。これだから人間は。隣に立つヒッポグリフが呟いた。
「行ってくる」
『放っておきなさいな。どうせすぐに後悔する破目になるのだから』
「目の前で誰かが死ぬのはごめんだよ」
またね。柔らかな羽をひと撫でして、ルーシーはマルフォイたちの方へと駆け出した。「貴方は変わらないのですね」というヒッポグリフの呟きを耳が拾ったけれど、振り返っている暇はなかった。視線の先ではマルフォイが恭しく礼をしている。あぁ、何だ。これなら大丈夫かもしれないと僅かに速度を緩めた時だ。
「簡単じゃあないか!」
ヒッポグリフの嘴を撫でながらマルフォイが高らかに笑う。
「ポッターに出来るんだ、簡単だろうと思ったよ。――お前、全然危険なんかじゃないなぁ?」
嘲るような響きを持った猫撫で声に、ドラコに顔を覗き込まれたヒッポグリフの目に僅かに嫌悪の色が宿る。
「ストッ――」
「そうだろう? 醜いデカブツの野獣君」
遅かった。制止するも間に合わず、嘲笑と共にドラコが吐き捨てた。
ヒッポグリフが大きく羽を広げ、前脚を振り上げた。
「うわっ!」
慌てたドラコが数歩後退ったが、足りない。しなやかに伸びる前脚がドラコめがけて鋭い爪を振り下ろした。
またか。ハリーはうんざりしながらロンがヒッポグリフの羽を撫でるのを眺めていた。
さっきはあんなに怯えていたくせに、ハリーがヒッポグリフの背中に乗り空を飛ぶのを見てからはあの調子だ。ハリーに出来たのだから自分にも当然出来る、だなんて。それなら最初からお前がやれば良かっただろ。心の内でブツブツと文句を連ねていると、視界の端で誰かが走っていた。ん?と振り向いてその姿を追えば、友人になったばかりのリサが何故かドラコたちのいる方へ駆けていくのが見える。
「リサ?」
「どうしたんだ?」
ハリーと同じようにリサの姿を目で追っていたロンが首を傾げながら隣に戻ってきた。二人の視線がリサの後ろ姿に釘付けになっている間もマルフォイの声は止まない。
「お前、全然危険なんかじゃないなぁ?」
「ストッ――」
リサが何かを言いかけて、けれどそれを掻き消すように張り上げたマルフォイの声がハリーたちの耳に届いた。
「そうだろう? 醜いデカブツの野獣君」
嘲笑と侮蔑に満ちた声と表情。自尊心の高いヒッポグリフが怒らないわけがない。
あ、と思った時には既に遅く、敵意を剥き出しにしたヒッポグリフはその大きな体躯を反らせて後ろ脚だけで立つと、振り上げた前脚をドラコめがけて一気に振り下ろした。長く鋭い鍵爪が空を切る音を聞きながら咄嗟に目を瞑る。あちこちから悲鳴が上がった。
次に目を開けた時、飛び込んできた光景にハリーは目を見開いた。
マルフォイがやられたと思った。マルフォイがやられるはずだった。それなのに何故かリサが倒れている。マルフォイに覆い被さるようにして倒れたリサの背中のローブがざっくり裂けているのが見えてハリーは青褪めた。
「リサ!!」
叫ぶと同時にハリーはリサに向かって駆け出した。間髪入れずにロンも走り出す。未だ荒ぶるヒッポグリフをハグリッドが何とかして宥めようと必死になる傍らで、倒れたリサはぴくりとも動かない。
栗毛のヒッポグリフがハグリッドたちの元へと駆けてきた。怒り狂うヒッポグリフを静まらせようとするかのように栗毛のヒッポグリフが鋭く鳴き声を上げる。何を話しているのかは分からないが、ヒッポグリフが徐々に大人しくなっていくのを見ると説得に成功したのだろう。
「リサ、しっかりして! リサ!」
「死んじゃう! 僕、死んじゃう!」
リサの下でマルフォイが叫んだ。右腕のローブが裂けている。
「あいつ、僕を殺した!」
「死にやせん!」
「ハグリッド! すぐに医務室に連れて行かないと……!」
蒼白い顔のハグリッドにハーマイオニーが金切り声で叫ぶ。動揺を隠せないまま何度も頷くハグリッドに自分がリサを運ぶと申し出れば、ハグリッドはうつ伏せに倒れたまま動かないリサを持ち上げてハリーの背中に背負わせてくれた。
「ど、どうしよう……もし死んじゃったら……!」
「早く医務室に行こう!」
隣で情けない顔をするロンに怒鳴り声を上げれば、ロンは震えた腕を伸ばしてリサが落ちないようにと支えてくれる。駆け寄ってきたハーマイオニーの今にも泣き出しそうな顔に不安を煽られながら、ハリーは急いで城へと戻っていった。