08


ぐーきゅるるる。
コンパートメント内に盛大な腹の虫が鳴り響いた。

「お腹減った……」

腹をさすりながらロンがぼやく。
窓の外はもうすっかり暗くなっていて、勢いを増した雨と風が容赦なく窓を打ち鳴らしていた。
あとどれくらいで着くのだろうか――ロンほどではないが、確かにお腹が空いている。城に着けば食事の前に組み分けの儀式だってあるだろう。出来ることなら早く着いて欲しかった。儀式の最中に腹を鳴らすことだけは避けたい。

「お、もう着く頃だ」

列車が速度を落とし始め、ロンが嬉々として立ち上がりリーマスの身体越しに窓の外を覗き込んだ。

「宴会が待ち遠しいよ」
「おかしいわ。まだ着かないはずよ」

時計を見ながらハーマイオニーが訝しげに眉根を寄せる。振り返ったロンが顔を顰めた。

「じゃあ、何で止まるんだ?」
「分からないわよ」

そうする間にも列車は益々速度を落としていく。ピストンの音が弱くなり、代わりに窓を打つ雨風の音が一層激しく聞こえた。戸口に一番近いところにいたハリーが立ち上がり、コンパートメントの戸を開いて通路の様子を窺っている。どうやら、他の生徒たちも同じように顔を出しているらしい。

ガクン。急に列車が止まったかと思うと、次の瞬間、何の前触れもなく明かりが消えて辺りが闇に包まれた。

「え、何……?」
「一体何が起こったんだ?」

動揺するロンの声が聞こえる。

「故障しちゃったのかな?」
「さぁ……」

目の前に誰かの気配を感じる。目を凝らして見つめると、ロンらしき人の輪郭がぼんやりと見えた。窓ガラスの曇りを拭き取り、べったりと顔をくっつけて外の様子を窺っていた。

「何か見える?」
「何だかあっちで動いてる。誰か乗り込んでくるみたいだ」
「乗り込んで、って……こんな中途半端な所で?」

一体何だと言うのだ。首を傾げたその時、コンパートメントの戸が開く音がした。

「だれ? ――アイタッ」
「ごめんね! 何がどうなったか分かる?」
「やぁ、ネビル」

新しい声はおそらく今しがた入ってきた人物のものだろう。ハリーが呼んだ名前が彼の名前だろうか。

「ハリー? 君なの? どうなってるの?」
「分からない。とにかく座って」
「ありがとう」

暗闇の中では何がどうなっているのか全く分からない。
クルックシャンクスが威嚇する音、叫び声が続いて聞こえてくる。大方、この暗闇で何も見えないネビルがクルックシャンクスの上にでも座ろうとしたのだろう。

「私、運転手のところに行って聞いてくる――きゃあ!」

隣に座っていたハーマイオニーが立ち上がる気配がする。足音と共に遠ざかった彼女の声は、再び開いた戸と何かがぶつかりあう音で悲鳴に変わった。悲鳴は二人分あった。

「だれ?」
「そっちこそ、だれ?」

呻き声と共に尋ねるハーマイオニーの声に返ってきたのは、聞いたことのない女の子の声だった。

「ジニーなの?」
「ハーマイオニー?」

どうやら知り合いらしい。ホッとした様子に変わったハーマイオニーの声が聞こえてくる。

「何をしてるの?」
「ロンを探してるの」
「ここにいるよ」

答えたロンが立ち上がる。

「入って、ここに座れよ」
「ここじゃないよ、ここは僕がいるんだ!」
「アイタッ!」

もう何がどうなっているのか分からない。いっそ杖を取り出して魔法を使ってしまおうか――そう考えたその時、向かいに座っていたルーピンが立ち上がったのが気配で分かった。

「静かに!」

鋭い声にコンパートメント中が静まり返る。
柔らかなカチリという音の後に、灯りが揺らめきコンパートメント内を照らした。リーマスの手のひらの上で揺らめく炎が、彼の顔を酷く疲れたものに見せている。けれど、その目だけは油断なく辺りを見回し、鋭く警戒していた。

知らない。こんなリーマス、知らない。
学生時代はいつだって控えめに微笑んでいたではないか。人狼という業を持つことで一線引いたものになってはいたが、それでも彼は笑っていた。そんな彼の優しい笑顔が大好きだった。

こみ上げそうになる涙を飲み込み、ルーシーはそっとリーマスから視線を逸らした。
ずっと変わらない――そんなことあるはずがない。分かっている。分かっているのだ。けれど。それでも。

「動かないで」

灯りを前に突き出したリーマスが、一歩、また一歩と警戒しながら戸口へと向かう。ロンたちが慌ててソファに座ったのが灯りの向こうに見えた。
リーマスが戸に辿り着く直前、徐にコンパートメントの戸が開いた。焦らすようにゆっくりと開いた扉に細く萎びた手が掛けられたのが見える。人のものとは思えないような、恐怖を覚える手だった。

完全に開ききった戸の向こうに立っていたのは、真っ黒のマントを着た天井までも届きそうな黒い影だった。その顔は完全に頭巾で覆われていて見えない。

「吸魂鬼……」

無意識に漏らした呟きはガラガラという耳障りな音に掻き消された。
ぞっと底冷えするような冷気が襲ってくる。息が苦しい。指先からじわじわと侵食してくる悪寒が心臓まで達したような気がした。


”助ける方法は、ただ一つ”


不意に耳の奥に蘇る、冷たい声。

やめてくれ。
やめてくれ。
やめてくれ。

いやだ。
いやだ。
いやだいやだいやだ。

頭を抱え必死に抵抗するルーシーの努力を嘲笑うかのように、哄笑が鳴り響いた。

瞼の裏が緑に染まる。



――アバダ ケダブラ



嘲るように歪んだ唇が、残酷な言葉を紡いだ。