ポツリ、ポツリと降る雨が列車の窓に張り付いた。
数えられるほどだった雨粒はあっという間に勢いを増していき、窓の外から覗く丘陵風景を霞ませてしまう程になっていた。
「雨、強くなってきたね」
窓を見つめながらハリーが呟く。窓の外が薄暗い所為だろうか、肌寒さを覚えてぶるりと身を震わせたルーシーは、脇に置いていたマントを広げて肩にかけた。
「寒いの?」
「少しね」
「私のも使う?」
「大丈夫、ありがとう」
立ち上がりトランクから引っ張り出そうとするハーマイオニーに礼を言って断れば、ソファに腰を下ろしながら「必要だったら言ってね」と温かい言葉をかけてくれた。それに「ありがとう」と笑みを返したその時、コンパートメントの戸が開いた。
「へぇ、誰かと思えば」
気取ったような声に振り返ったルーシーの目に最初に映ったのは、プラチナブロンドだった。自信に満ち溢れた表情の少年が、その背後に大柄な二人の男子生徒を伴い戸口に立っている。既に制服に着替えた彼らの首には緑とシルバーのネクタイが結ばれていた。
「何しに来た、マルフォイ」
「マルフォイ……?」
敵対心を剥き出しにしたハリー。その口から発せられたのは、出来ることなら一生聞きたくないと願っていた名前だった。
「君は?」
ルーシーの呟きを拾ったプラチナブロンドの少年が、値踏みするような視線を向けながら尋ねてくる。向けられる不躾な視線は気分の良いものではなかった。
「リサ・桜井」
「へぇ……それで? 君はどこの寮だ?」
「彼女は今年から通うのよ」
ルーシーを庇うように立ったハーマイオニーが眦を吊り上げて少年を睨み付ける。反抗されたことが腹立たしかったのか、少年は嫌そうにハーマイオニーを睨めつけてから背後のルーシーへと視線を戻した。
「じゃあ、是非ともスリザリンに来てもらいたいな。そこの――『穢れた血』の仲間じゃないというのならね」
「………そういう差別は好きじゃないんだよ。それに、人に名前を聞いておいて名乗らない人も好きじゃない」
少年の頬がひくりと引き攣った。
「どの寮に入るかは分からないけど、君みたいな人がいない所であることを願うよ」
「……君もそういう人種ってことか」
「君と同じじゃないことは確かみたいだ」
バイバイ。殊更にっこりと笑ってみせてやると、色白の頬に赤みを帯させる程に憤慨した少年はお供の少年たちを従えて去っていった。
「言い過ぎたかな?」
「まさか!」
よくやった! 満面の笑みで笑いかけてくれたハリーたちに、ルーシーは少しばかり大人気なかった自分を恥ずかしく思いながらも笑みを返すのだった。
「フレッドとジョージが教えてくれたんだけど、ダービシュ・アンド・バングズの店で魔法の機械とか色々売ってるんだって」
窓の外が暗み始めた頃、唐突にロンが言った。
昼に買ったケーキやお菓子はもう全て食べてしまい、ホグワーツに着くのを今か今かと待っている時だった。
「ホグズミードのこと? あそこ、イギリスで唯一の完全にマグルなしの村だって本で読んだわ」
「あぁ、そうだと思うよ。僕、ハニーデュークスの店に行ってみたい!」
「どんな店なの?」
「お菓子屋さ」
ハーマイオニーの問いにロンが恍惚の表情を浮かべながら答える。
「何でもあるんだ。激辛ペッパーは食べると口から煙が出るし、苺ムースやクリームがいっぱい詰まってる大粒のチョコレート。それから砂糖羽根ペン。授業中にこれを舐めてたって、次に何を書こうか考えてるようにしか見えない」
最高だよ。授業中に羽根ペンを舐める自分の姿を思い浮かべているのか、だらしなく頬を緩ませたロンに冷めた視線を送ったハーマイオニーが咳払いをした。
「『魔法の史跡』を読むと、そこの旅館は1612年の小鬼の反乱で本部になった所で、叫びの屋敷はイギリスで一番恐ろしい幽霊屋敷だって書いてあったわ」
相槌を打ちながら、ルーシーはチラリと向かいで眠るリーマスへと視線を向けた。
幽霊屋敷。それはリーマスの叫び声を聞いたホグズミードの住人たちが囁きだしたのが始まりだ。そして彼らの不安を助長させ噂を広めさせたのは、当時リーマス・ルーピンの入学を許可し魔法省にも認可させたホグワーツ校校長、アルバス・ダンブルドアその人だ。
噂のおかげで誰一人として叫びの屋敷に近寄る者はいなかった。おそらく、リーマスが卒業しあの屋敷を使わなくなった今でもそれは続いているのだろう。
あの頃、それを良いことに『彼ら』は好き勝手していた。リーマスの為にアニメーガスとなる事を決め、見事にそれを成し遂げてしまったものだから、彼らは慢心し傍若無人とも言える振る舞いをしていた。
あるいは、そのツケが回ったのかもしれない。
一人は親友に裏切られて生命を落とし、一人は親友に殺され、一人は脱獄囚となって追われる身となっている。
もしかしたら、自分もそうなのだろう。考えてルーシーは自嘲した。
そんな事があってたまるか。
それならば、アイツらはどうして今ものうのうと生きているというのだ。
先程のプラチナブロンドの少年を思い浮かべて拳を強く握りしめる。あの少年の父親が今どのように生きているのかルーシーは知っている。油断のならない男だ。
そんな事があってたまるか。
声に出さずに呟いたルーシーは、気持ちを落ち着かせる為に深呼吸をして目を閉じた。
ハリーの「僕、行けないんだ」という気落ちした声が聞こえる。更にきつく拳を握りしめた。
「許可してもらえないって? マクゴナガルか誰かが許可してくれるよ。じゃなきゃ、フレッドとジョージに聞けば良い。あの二人なら城から抜け出す秘密の道を全部知ってる――」
「ロン!」
ハーマイオニーの厳しい声が飛んだ。
「ブラックが捕まってないのに、ハリーは学校から抜け出すべきじゃないわ」
「うん……僕が許可してくださいってお願いしたら、マクゴナガル先生はきっとそう言うよ」
残念そうなハリーの声にロンもハーマイオニーも黙り込んだ。
ハリーを引き取ったのは、確かリリーの姉だったはずだ。あんなにもリリーと不仲だった彼女だ、ハリーへの態度がどんなものかなど考えるまでもない。
「ブラックは雑踏の真ん中であんなに大勢を殺したのよ。私たちがハリーの傍にいればブラックが尻込みするなんて、本気で思ってるの?」
話していて怖くなったのだろう、傍らに置いていたケージを膝に乗せたハーマイオニーが徐にその戸を開いた。
「そいつを出したらダメ!」
ロンの叫びも虚しく、オレンジ色の何かがケージから飛び出した。ハーマイオニーが止める間もなく、身をしならせた猫がルーシーの膝に飛び乗った。
「クルックシャンクスよ」
「へぇ」
赤みがかった橙の毛はふわふわで触り心地が良さそうだが、潰れた鼻の所為でお世辞にも可愛いといえる顔ではない。
「よろしく」
じっとルーシーを見つめていたクルックシャンクスは、やがて「よろしく」とでも言うように尻尾を揺らし、ハーマイオニーの膝へと戻っていった。