シリウス・ブラックの脱獄。
その報せは魔法界だけでなく、マグルの世界にも広く伝えられた。
多くの人を虐殺した殺人犯――マグルの世界にはそう報じられている。そして、魔法界にも。
詳細を知っている者はどれだけいるのだろうか。
十人以上のマグルを殺し、かつての親友ピーター・ペティグリューを殺したということを。
ポッター夫妻の住処を護る『秘密の守り人』となった直後、それをヴォルデモートに暴露し、結果ポッター夫妻が生命を落とすことになったのだという事を。
どれだけの者が知っているのだろうか。
シリウス・ブラックが、ハリー・ポッターの名付け親であるということを。
九月一日。
ルーシー・カトレットは真新しい制服に身を包み、キングズクロス駅にやって来た。
午前十時を少し過ぎた頃だ。九と四分の三番線のゲートを潜り、プラットホームに立ったルーシーは列車が滑り込んでくるのを待っていた。
”先頭と最後尾って特別な感じがしない?”
そう言って笑ったのは、今は亡き赤毛の美しい親友。
いつも大人びていた彼女の無邪気な笑顔につられて笑い、彼女らと共に最後尾のコンパートメントに乗り込んだ。新学期にはいつもそこに座っていた。特等席のようなものだった。
あれから十余年たった今、ルーシーはただ一人で最後尾のコンパートメントに乗り込むべく列車を待っている。
あの時は傍らに双子の妹がいた。愛した彼がいた。親友だった彼女がいた。
「――大丈夫」
呟いて大きく息を吐き出したその時、背後でカツンと靴音が鳴った。何となしに振り返れば、目を大きく見開いてこちらを凝視する男が立っている。
継ぎ接ぎのローブや白髪混じりのライトブラウン。まるで病人のように青白い顔に残る無数の傷跡。
「リ、マス……?」
呆然と呟いたのは、かつての親友の名前だった。
「………どうして、君が」
何で。そんな、まさか。
目の前に立つルーシーを受け入れられない様子で首を振るリーマスに、ルーシーは僅かに眉根を寄せて笑みを作る。
「………久しぶり」
かつての親友との再会は、思いがけない場所で果たされた。
滑り込んできた列車の最後尾に乗り込むと、困惑と警戒の色を浮かべたままリーマスも後に続いてやって来た。
「何があったんだ」
顔を強ばらせて尋ねるリーマスの手がマントの内側へ向かう。いざとなれば戦うことも辞さないということだろうか。害はないと知らしめる為に両手を挙げて降参のポーズを取ってみせるが、リーマスの警戒は解けない。
当然だ。それだけの事を自分はしてしまったのだから。
「ちょっと事情があってね、見ての通りだよ」
「何を企んでいる?」
「何も」
「真面目に答えてくれ!」
声を荒げたリーマスが杖を取り出してこちらへ向けてくる。油断なくこちらを見据えるリーマスは、学生の頃とはすっかり変わってしまっているようで。軋む胸に気付かない振りをしてルーシーは肩を竦めた。
「漸く魔法省から許可が下りたんだよ。今年からホグワーツで生徒になる」
「漸く?」
「そう。今年から入るんだ、三年生としてね」
「っ、」
杖を握る手に力が篭められた。
「ハリーを……狙っているのか」
「まさか」
「信じられるとでも? 君も……シリウスも……っ、何で……!!」
今にも泣きそうな顔で叫ぶリーマスから目を逸らし、ルーシーはポケットから一枚の羊皮紙を取り出した。シリウス・ブラックの手配書――昨夜一泊した漏れ鍋の壁に貼ってあったのを失敬したものだ。
「どうして裏切ったんだと思う? 私のことを憎んでいただろうに」
「君が唆したんだろう!? アイツは君のことをずっと――だから……っ!」
「唆す? 私が?」
思わず笑みを零した。一体どんな顔をしていたのだろう、リーマスがギリリと歯を軋ませた。
「ねぇ、ムーニー」
「その名で呼ばないでくれ!」
耐えられない。杖を握り締める色を失った手を見つめ、ルーシーは興が冷めたとでもいうように窓の外へと視線をずらした。
「座ったら?」
向かいのソファを指すが、リーマスは未だ険しい顔でルーシーを見据えたまま動かない。
「何もしないよ。けど、信じられないなら他に行けば良い」
「………君と生徒たちだけで座らせるわけにはいかない。僕は教師だ」
「じゃあ、どうぞ。ルーピン先生」
再度促せば、眉間の皺こそ消えないものの、気持ちを落ち着かせる為に深呼吸をしたリーマスが向かいのソファに腰を下ろした。
「君にとって、僕たちは何だったんだ」
小さな小さな呟きにルーシーは答えなかった。窓ガラスに映るリーマスの思いつめた顔をぼんやりと眺め、かつて自分が願った未来とかけ離れた現実に自嘲する。
幸せになってくれれば良いと思っていた。
笑っていてくれれば良いと思っていた。
ジェームズが死んだ。
リリーが死んだ。
ピーターが死んだ。
シリウスがジェームズを裏切って、投獄されて、脱獄して。
リーマスはこの十余年どんな気持ちで生きてきたのだろう。
日本で別れたアリアの冷たい横顔が蘇る。
「――何が、したかったんだろうね」
ハッと息を呑んだリーマスの視線を感じる。
一体、自分は今どんな顔をしているのだろうか。