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ハリー達と合流し、一行は再び組分けをした。ハリーとルーシーとファング、ハグリッドとハーマイオニーとネビルだ。二手に別れて歩き出すと、今度はユニコーンの血を沢山見つけた。

「さっきの何だったんだろう」
「風じゃないの?」
「たぶん違うと思う。それに、ネビルが赤い光を出した時、一瞬だけど何かの陰みたいなのを見た気がするの。ハリー達は何か見た?」
「見たよ。何かが滑るみたいに動いてた……マントを引きずってるような音がしたよ」
「誰かのマントを被った動物とかじゃなくて?」
「ハグリッドはここにいるべきじゃない何かだって言ってた。あとはケンタウルスに会ったよ。ハグリッドが何を聞いても星がどうとかって言ってたな」
「へえー、私も会ってみたいなぁ」

二人と一匹は更に奥へと血の跡を追っていった。獣道は更に険しくなっていき、進むのが困難になってきた。ユニコーンの血は奥に進むにつれて濃くなっているようで、これだけの傷を負ったユニコーンはきっともう生きてはいないだろうとルーシーは思った。暫く歩いていると、樹齢何千年の大きな古い樫の木の枝が絡み合うその向こうに拓けた平地が見えた。

「見て……」

腕を伸ばしてルーシーを制止しながらハリーが呟いた。
地面に純白に光り輝くものがある。二人は更に近付き、そして息を呑んだ。ユニコーンだった。死んでいる。長くしなやかな脚は投げ出され、真珠色に輝くたてがみが暗い落ち葉の上に広がっている。

「可哀想……」

呟きユニコーンに近付こうとしたその時、どこからかズルズル滑るような音がした。ぎくりと身を強張らせ、そっと辺りを見回すと暗がりから頭をフードにすっぽり包んだ何かが地面を這ってくるのが見えた。先ほどハリーが言っていたものだとすぐに分かった。
立ち尽くすルーシー達に気付いていないのか、ユニコーンの傍らに身を屈めたその影はなんとユニコーンの傷口からその血を飲み始めた。

ルーシーとハリーは咄嗟に互いの口を手で覆った。目配せをしてそろり、そろりと後退る。これに気付かれてはいけない。逃げなければ――ここが森の中でなければそれも叶ったのだろうか。バキンとルーシーが枝を踏み抜いた音で影が頭を上げた。フードの中は見えないが、こちらを見ているのだと分かる。
突然ハリーがよろよろと動き出した。頭を抑えて苦しげな顔だ。

「ハリー! しっかりして!」

何とかして逃げなければ――ハリーの腕を掴んで強引に走り出そうとしたが、とうとうハリーは蹲ってしまった。「あぁ、どうしよう」と情けない声を上げる間も影がこちらへ這い寄ってくる。杖を構えたもののどうしたら良いのかが分からない。攻撃呪文なんてまだ習っていないからだ。
ふと後方から蹄の音が聞こえてきた。早足で駆けてくる姿を見てルーシーは「あっ」と声を上げた。上半身が人間で下半身が馬――ケンタウルスだ!
ルーシー達の真上をひらりと飛び越えたケンタウルスが影に向かって突進した。既の所で突進を避けた影がスルスルと地を這って逃げていく。助かったのだ。

「ルーシー……?」

呆然と立ち尽くすルーシーに声がかかる。ハリーだ。額に汗をびっしょりかきながらこちらを見つめている。

「あ……助かった、みたい」
「怪我はないかい?」

戻ってきたケンタウルスが尋ねてきた。

「あ、はい……あの、ありがとう……」
「あれは何だったの?」

だがケンタウルスは答えずにハリーをじっと観察していた。淡いサファイアのような青い目がハリーの額の傷をじっと見つめている。

「ポッター家の子だね? 早くハグリッドの所に戻った方が良い。今、森は安全じゃない……特に君達にはね。私に乗れるかな? その方が速いから。私の名はフィレンツェだ」

前足を曲げ体を低くしてルーシー達が乗りやすいようにしながらケンタウルス――フィレンツェが言った。

「ハリー、先にいいよ」
「でも」
「顔色悪いよ。早く乗って」

頷いたハリーがフィレンツェの背に跨ったその時、平地の向こうから再び蹄の音が聞こえてきた。木の茂みを破るように二体のケンタウルスが現れた。

「フィレンツェ!」

真っ黒な髪と胴体のケンタウルスがいきり立って怒鳴っている。

「何という事を……人間を背中に乗せるなど恥ずかしくないのですか? 君はただのロバなのか?」
「この子達が誰だか分かってるのですか? 一刻も早くこの森を離れる方が良い」
「君は何を話したんですか? フィレンツェ、忘れてはいけない。我々は天に逆らわないと誓った。惑星の動きから何が起こるか読み取ったはずだ」
「ベイン、私はフィレンツェが最善と思うことをしているんだと信じている」

赤い髪と栗毛の胴体を持つケンタウルスがくぐもった声で言った。落ち着かない様子で地面を掻いている。

「最善! それが我々と何の関わりがあるんです? ケンタウルスは予言されたことにだけ関心を持てばそれで良い! 森の中で彷徨う人間を追いかけてロバのように走り回ることが我々のする事でしょうか!」

ベインと呼ばれたケンタウルスが後ろ足を蹴り上げた。フィレンツェも怒って後ろ足で立ち上がり、ハリーは振り落とされないようにと必死に彼の肩に捕まっている。
 
「あのユニコーンを見なかったのですか? 何故殺されたのか君には分からないのですか? それとも惑星がその秘密を君には教えていないのですか? ベイン、僕はこの森に忍び寄るものに立ち向かう。そう、必要とあらばこの者達とも手を組む――さぁ、君も乗って」

前脚を下ろしたフィレンツェに促されてルーシーは慌てて頷いた。ハリーに手を引いてもらって背中に飛び乗ると、フィレンツェはさっと向きを変えて木立の中へと飛び込んだ。

「あの……大丈夫なの? どうしてベインはあんなに怒っていたの? 君は一体何から僕達を助けてくれたの?」

フィレンツェの背にしがみつきながらハリーが尋ねると、フィレンツェはスピードを落とした。低い枝にぶつからないよう頭を低くするようにとは言ったが、ハリーの質問には答えなかった。ルーシーとハリーは顔を見合わせた。きっとフィレンツェはルーシー達が何を聞いても答えてはくれないだろう。沈黙の中、蹄が落ち葉を踏みしめる音だけが聞こえた。
一際木の生い茂った場所を通る途中、フィレンツェが突然立ち止まった。

「ルーシー・カトレット。ユニコーンの血が何に使われるか覚えていますか?」
「え? うーん……ううん、知らない。角とか毛とかは魔法薬の授業で使ったことあるけど……」
「……ユニコーンを殺すことは非情極まりないこと。だからその血が使われることもない――これ以上失うものは何もない、しかも殺すことで自分の命の利益になる者だけがそのような罪を犯すのです。ユニコーンの血はたとえ死の淵にいる時だって命を永らえさせてくれる……でも恐ろしい代償を支払わなければならない。自らの命を救うために純粋で無防備な生物を殺害するのだから、得られる命は完全な命ではない。その血が唇に触れた瞬間から、そのものは呪われた命を生きる……生きながらの死の命なのです」

ルーシーとハリーは顔を見合わせた。どちらともなくごくりと息を呑む。

「一体誰がそんなに必死に……?」

ハリーが尋ねた。

「永遠に呪われるんだったら、死んだほうがマシだと思うけど」
「その通り。しかし他の何かを飲むまでの間だけ生き永らえれば良いとしたら――完全な力と強さを取り戻してくれる何か――決して死ぬことがなくなる何か。今この瞬間、学校に何が隠されているか知っていますか?」
「『賢者の石』!」

ルーシーとハリーの声が重なった。

「そうか、命の水だ! だけど一体誰が……」
「力を取り戻すために長い間待っていたのが誰か、思い浮かばないですか? 命にしがみついてチャンスを窺ってきたのは誰か?」

冷たい水を一気に飲み干したような感覚がルーシーを襲った。「それじゃ」ハリーの声も嗄れている。

「僕が、今見たのは、ヴォル――」
「ハリー! ルーシー!」

掠れ声は向こうから駆けてくるハーマイオニーの声に掻き消された。ハグリッド達も一緒だ。フィレンツェの背中から下りるとハリーは心ここに在らずといった様子でハグリッドにユニコーンの遺体を見つけた場所を教えた。

「二人とも大丈夫? 真っ青よ……」
「大丈夫……うん、大丈夫だよ。ありがとう」
「ここで別れましょう。君達はもう安全だ」

ルーシー達がやってきた道をハグリッドが駆けていくのを見ながらフィレンツェが言った。

「幸運を祈りますよハリー・ポッター……ケンタウルスでさえも惑星の読みを間違えたことがある。今回もそうなりますように」

去っていくフィレンツェを見送ったルーシーとハリーは、ハグリッドが戻ってくるまで一言も発することが出来なかった。