十一月に入るとすっかり寒くなった。
城から見える外の景色も一変していて、温かみのないそれが寒さを増長させているかのように思えた。だが、どんなに寒くても授業はなくならないし、クィディッチの練習もなくならない。宿題の量だっていつも通りだ。
古くからそびえ立つ古城はあちこちから隙間風の侵入を許していて、教室から教室へと移動する生徒達の身体から容赦なく温度を奪っていく。この時期になると城中の誰もが肥満気味だとフレッドが教えてくれたが、まさしくその通りだった。
クィディッチ・シーズンが到来し、グリフィンドール対スリザリンの試合が近くなるとキャプテンのウッドは寒さなんて感じていないかのように熱く燃え上がり、それに比例して練習の量も格段と増えた。練習を終えて談話室に戻れば大量の宿題が待っている。地獄だ。ルーシーとハリーが声を揃えた。
ハロウィン以降、行動を共にするようになったハーマイオニーは、そんなルーシーとハリーの救世主とも言えた。
宿題を丸写しさせてくれるという事はなかったけれど、躓いているとヒントをくれたし、終わった宿題を見直して間違っている箇所を教えてくれたりもした。
クィディッチの試合を前日に控えた金曜日、午前最後の魔法薬学の授業を終えたルーシーは早足で教室を出て行くハリー達と別れて一人教室に残っていた。訝しむ三人にスネイプに呼び出されているのだと嘘をつけば、また悪戯したの?とハーマイオニーが顔を顰めたものの、嘘だと気付く事なく広間へ行ってしまった。
「我輩は呼び出した覚えがないのだが?」
生徒達がいなくなった頃、いつの間にか背後に立っていたスネイプが怪訝な眼差しをこちらに向けていた。
放たれた言葉に視線を泳がせるルーシーに何を思ったのか、ぴくりと片眉を上げたスネイプが授業で使用した材料の片付けを始める。向けられた背中はまるでルーシーを拒絶しているようで、ルーシーは無意識に唇を噛んだ。
歩くたびに片足を引きずるスネイプの姿をじっと見つめて拳を握る。
「……まだ、治らないんですか」
足。呟いたルーシーに、スネイプは振り返らないまま「ご覧の通りだ」と素っ気ない返事。少しくらいこっちを向いてくれれば良いのに。そんな事を考えながらスネイプの隣に並ぶと、またスネイプから探るような視線。
「手伝います。歩くの大変そうだから……」
元はと言えば自分の所為だ。あの部屋へ行かなければスネイプが足を怪我する事もなかった。
スネイプは何も言わずに少しだけ横にずれてルーシーの場所を作ってくれる。手伝う事を許してくれた事にホッとした。
「先生、何であの部屋に行ったんですか?」
あの部屋に三頭犬がいた事を教師達は知っていたに違いない。スネイプの事だ、きっと知っていただろう。見上げた先でスネイプが表情を変えないまま淡々と答えた。
「君のような不届き者が侵入するやもしれんと思ったのでね」
「あの部屋、何が隠されてるんですか?」
被せるようにして質問を重ねれば、顔を顰めたスネイプが鼻を鳴らす。君には関係のない事だ。返ってくる声は刺々しかった。それをこちらへ。指示する声も素っ気ない。
「我輩からも尋ねたい事がある」
「はい?」
「立ち入りを禁じられているはずのあの部屋が『危険』だと、何故知っていたのかね?」
ひくり。頬が引き攣った。こちらを見るスネイプの目が「規則を破るな馬鹿野郎」と言っている。あーはははは。笑って誤魔化そうとしてみたけれど、こちらを見るスネイプの目が眇められただけで効果は得られそうにない。
「…………か、勘……?」
「なるほど」
嫌だこの人怖い何なのもっとフレンドリーに出来ないの。心中の訴えが届くはずもない。さっと視線を逸らし片付けに集中しようとするが、突き刺さる視線が痛い。無視出来ない。ダメだ。謝ったらダメだ。認めてはダメだ。
「っ、せ、先生が意外にも優しくてびっくりしました!」
「何……?」
虚を突かれた様子のスネイプを見る事も出来ないまま、ルーシーはペラペラと喋り続けた。まさか先生に慰められるとは思わなかった、先生も優しさ持ってたんですね――喧嘩を売っていると思われても仕方のないような事を並べ立てながらルーシーは泣きたくなった。もっとマシな事が言えないのか。けれど普段のスネイプを思えば口をついて出てしまう言葉がこんな内容でも仕方がないようにも思える。スネイプに目をやる事など出来やしなかった。
「…………」
「…………」
口を閉じると落ちる沈黙。痛い。視線も沈黙も痛い。作業をする手が震える。やばい。ハーマイオニーごめん。グリフィンドールの点数マイナスになったかもしれない。ゆっくりとその場を離れたスネイプがコツコツと靴音を慣らして背後の机へと移動する。怖い。いきなり攻撃されるかもしれない。怖い。
「――え、えーと……」
何とかして機嫌を直してもらわなければ。誤魔化さなければ。どうやって。分からない。
だらだらと汗を流して視線を泳がせていると、背後で小さな溜息。身体が震えた。
「それが終わったら帰りなさい」
「、ぇ……?」
あれ、減点は?そう思って振り返ると、別段いつもと変わらない様子のスネイプがこちらを見下ろしていた。いつも不機嫌そうな顔をしてはいるけれど、いつもに増して怒っているという風にも見えない。
「……ぐ、具合悪いんですか?」
思わずそう聞き返して。グリフィンドール一点減点。そう返された。気の所為だった。通常運転だ。減点はされてしまったけれど、それでも一点だ。セーフ! 超セーフ!心の中で叫んでルーシーは作業を再開した。
目の前で作業をする少女を見下ろしてスネイプは溜息を落とした。まったく。何故こんなにも同じなのだろうか。
ズキリと痛む足に顔を顰め、近くの椅子へと腰掛ける。その気配を察した少女が振り返り心配そうな視線を向けてきた。馬鹿な奴だ。心の内で呟いてスネイプはさっさと作業を終わらせろと顎で指す。
衝動的に抱き寄せた小さな身体を思い出してまた溜息。教師失格だ。何も知らない少女に『彼女』を重ねるなんて。どんなに似ていたって、違う。分かっている。頭では分かっている。
けれど、あまりにも同じだから。父親と瓜二つのハリー・ポッターと共に行動する少女が、学生時代を否が応でも思い出させる。そして同時に思い知らされる。これが自分の犯した罪なのだと。
「……君のおじさんは、何か言っていたかね」
少女が驚いた様子で振り返る。
「おじさんを知っているんですか!?」
それにスネイプは答えない。
知っている。知ってはいる。知りたくない事まで知っている。けれど知らない。知らないのだ。
知らないままでいたかった。中途半端に知ってしまうくらいならば、何も知らないままでいたかった。もしくは、全てを知っていたかった。そうすればあんな事にはならなかったかもしれない――違う、嘘だ。変わらない。何を知っていたとしても、変わらない。スネイプは変われなかっただろう。その事を嫌というほど知っている。思い知っている。
「知ってたなら、家に遊びに来てくれれば良かったのに」
アルバスしか来てくれなかったんですよ。少女が唇を尖らせて言う。
皆、私の事知ってるくせに。マクゴナガル先生だって、スネイプ先生だって。ゴーストとかが来れないのは仕方ないけど、生きてる人達は来てくれたって良かったじゃないですか。何も知らずに少女が言う。
「そしたらこんなに減点とか罰則とかされずに済んだかもしれないのに」
「君が真面目な態度で日々の生活を送っていれば、減点も罰則も無いと思うのだがね」
「最近はしてないですもん」
だってハーマイオニーが。だって先生が。
拗ねるルーシーにスネイプは呆れ返って言った。違う楽しみを見つければ良いだろう、と。
「そもそも、あれだけの宿題に加えてクィディッチの練習さえあるというのに、よく他の事をする気になるものだ。楽しみを見つけるのは宿題を完璧に仕上げてからにしたまえ」
「グリフィンドールは好奇心旺盛な生徒の集まりだってジョージが言ってました」
「それは好奇心旺盛とは言わん。無謀と言うのだ」
だからスネイプは言う。グリフィンドールは無謀な奴らの集まりだと。ルーシーが笑った。
「先生は計画的に行動しそうですもんね」
「それが普通だ」
素っ気なく返しても少女は笑うだけ。記憶の中の彼女と同じように、楽しそうに笑うだけ。
やがて全ての作業を終えたルーシーが、荷物を抱えてスネイプに言った。
「先生、また来ても良いですか?」
「先程の我輩の忠告は、もう忘れられてしまったようですな」
「じゃあ、宿題を教えてもらいに来ます。それなら良いですよね?」
スネイプは探るようにルーシーを見た。じっとこちらを見上げる顔を見下ろして、溜息を一つ。
あぁ、馬鹿な。舌打ちしたいのを堪えて、けれど苦い顔になるのは止められず。
「………どうせ、断ったって勝手に来るのだろう」
面倒くさい、迷惑だとばかりに答えてみるけれど、少女はやはり笑うだけ。嬉しそうにニシシと笑った少女が教室を出て行くと、スネイプは苦い気持ちで大きな溜息を落とした。
「……何も覚えてなどいないくせに」
どうしてお前はそうなんだ。絞り出した声は、スネイプには珍しく弱々しいものだった。