「ちゃんと教えてあげたじゃないか」
じとりと恨めしげな視線を向けた先でカーラが何でもないように肩を竦めた。
昨晩は散々だった。思い出してルーシーは溜息を落とす。
意地悪なピーブズが大声でフィルチを呼び寄せるのに悪態をつきながら逃げ込んだ場所は、入学した夜にダンブルドアが立入り禁止と言っていた部屋だった。厳重に施錠された部屋はルーシー達の入室を拒んだけれど、優秀なハーマイオニーの手にかかれば解錠する事は造作もない。あっという間に開いた戸を蹴破る勢いで中に転がり込んだルーシー達は、結果的にフィルチを撒く事に成功した。
そう、成功はしたのだ。フィルチから逃げる事だけは。
けれど、逃げ込んだ先で頭が三つもある大きな犬に襲われかけた事を思い出してしまえば、めでたしめでたしとは到底言えないだろう。
今朝会ったドラコの「どうしているんだ?」という間抜け面を拝んだ所で、昨夜の恐怖が消えるはずもないのだから。
「規則を破らずに大人しく寝てれば良かったんだよ」
呆れ顔のカーラに、ルーシーは下唇を突き出して唸った。
昨夜トロフィー室で見た盾にはルーシーと同じ名前があった。あれがレイの言う『覚えている時のルーシー』なのだろうと思ったけれど、丸一日過ぎた今でもルーシーは確認出来ずにいる。聞けば良いだけだ。レイにでも、ダンブルドアにでも、マクゴナガルにでも、スネイプにでも。けれど出来なかった。
もしかしたら見間違えだったのかもしれない――そんな風に考えてもみたけれど、確認の為にトロフィー室に行く気にはなれなかった。
ハリーとロンはと言えば、あの夜の出来事を素晴らしい冒険のように考えているらしく、興奮した様子で頻りにあの夜の事を話し合っている。三頭犬の足元に仕掛け扉があったのだとハーマイオニーから聞いてから、あの三頭犬が守るものは何だろうかと互いに意見を出しては興奮を高めているようだ。
森番のハグリッドに連れられて初めてダイアゴン横丁に行った際、グリンゴッツ銀行の金庫から出した小さな包みがあの三頭犬の足元に隠されているのだろうとハリーは言う。きっとそうだよ!そう叫ぶロンの顔はキラキラ輝いていた。いつもならばルーシーも二人に混じって楽しく会話をしていただろう。あの三頭犬も、三頭犬の足元の隠し扉も、隠されているものも、何もかもがルーシーの興味を引くものだ。けれど、今はそれどころではない。
迎えた選抜の日の朝、ルーシーはハリー、ロンより一足先にクィディッチ競技場へと向かっていた。清々しい天気だというのにルーシーの足取りは重い。
不意に足を止めて空を見上げると、細長い包みを持った一羽の鷹がルーシーの元へまっすぐに飛んできた。足元にぽとりと落とされたそれを拾うルーシーの肩に鷹が止まる。
「重いって」
重みでぐらりと傾いだ体勢を持ち直しながら訴えるが、知るかと一蹴された。拾い上げた包みから出てきたのは箒だ。新品、ではない。もう随分と使い込まれているように見えるそれに、ルーシーは眉根を寄せる。どうしたと言わんばかりの顔でこちらをじっと見つめてくる鷹に、ルーシーは視線を向けないまま口を開いた。
「これ、『ルーシー』の箒なの」
シーカーだったんだね。続けた言葉に鷹がぱちぱちと目を瞬く。嘘が下手だ。
「トロフィー室で見た。ハリーのお父さんの名前と一緒の盾に、私と同じ名前あったよ」
『同姓同名だろ』
「それ、私が信じると思う?」
じとりと視線を向けると、鷹はバサリと羽を広げて飛び上がった。反動で地面に手をついたルーシーが恨めしげに空を見上げるが、もう既にその姿はない。
「……レイのバカ」
手にした箒はずしりと重かった。
競技場に着くと、既にマクゴナガルとウッドの姿があった。他の選手達もいる。フレッドとジョージが手を振ってくるのにへらりと笑い返すと、マクゴナガルが一つ咳払い。
「さて、では始めましょうか。ウッド」
「ルールは簡単だ。チェイサーがクァッフルを運び、ゴールに入れる。ビーターはそれを邪魔する役だ。棍棒で暴れ玉のブラッジャーを殴り、チェイサーを妨害する。ここまでは良いか?」
ルーシーは頷いた。
紹介されたのはグリフィンドールチームのチェイサーの三人。三年生のアンジェリーナ・ジョンソン、アリシア・スピネット、そして二年生のケイティ・ベルだ。
「僕はキーパー。ゴールを守る。シーカーの役割は……まぁ、また今度教えるよ。今日はミニゲームをしよう。僕が守るゴールに何点入れられるか――フレッドとジョージは相手のチェイサーの役を頼む」
「ビーターの選抜はしなくて良いのか?」
フレッドの問いかけにウッドは何を言っているんだとばかりに溜息を零す。
「ビーターは力仕事だ」
ルーシーの細い腕では棍棒を思い通りに扱うことなど出来やしないだろう。ウッドの台詞に、けれどその通りだと思ったのか誰も何も言わなかった。アリシア、アンジェリーナ、ケイティが顔を見合わせて笑う。
容赦しないわよ、とアンジェリーナが。去年は補欠だったんだもの、とアリシアが。今年から選手になったのだというケイティは、ルーシーやハリーと同じくマクゴナガルに見出されて選手に抜擢されたという。
「一回も試合に出ずに落とされるなんて、嫌よ」
選手は譲らない。三人の気迫に気圧されながらルーシーはマクゴナガルをちらりと見上げた。返される視線が言っている。真剣にやりなさい。今年こそグリフィンドールが優勝するのだと意気込むマクゴナガルに妥協というものは存在しないらしい。
「貢献しないと罰則になっちゃうので」
正直、気乗りはしないのだけれど。『ルーシー』がシーカーだったという事実が重い。手にした箒が重く感じるのは、ルーシーが選手になることを拒んでいるからだろうか。
「その箒、初めて見た」
「うん、おじさんが送ってくれたの」
へぇ、とジョージが。使い込まれた箒を見下ろしてルーシーは溜息を飲み込んだ。今は余計なことを考えるべきではない。ルーシーの我儘の所為で選抜試験が行われるのだ、マクゴナガルの言う通り、真剣にやらなければ。
箒に跨がり空へと上がる。身体の奥底からふつふつと沸き起こるこの高揚感は、一体誰のものなのだろうか。
選抜試験が始まった。
”ルーシー・カトレットだよ。よろしくね”
そう言って笑った『彼女』と同じ姿で、同じ声で。『彼女』が使っていた箒に跨った女子生徒が自由自在に空を泳いでいる。飛び方など知らないはずの生徒は、けれどまるでずっと昔から知っていたかのようにクァッフルを脇に抱え、自分よりも遥かに大きいフレッドとジョージを躱す。すいすいと縫うように彼らの間をすり抜けた先、ゴールを守るウッドに向けてクァッフルを投げる独特のフォームは、遠い記憶の中に見たハリーの父親のそれと重なって。
「あいつなのか」
呟いてスネイプは苦々しげに眉根を寄せた。
ダンブルドアが肯定した。『彼女』と同じペットを従えていた。名前も、姿も、声音も、何もかもが同じで。性格までもが酷似している女子生徒を『彼女』と無関係とはどうしても思えなくて。
けれど、違うと思いたかった。たとえダンブルドアが肯定したとしても、違うと思いたかった。
もう死んだと思っていた。もうこの世にはいないと、そう思って生きてきたのだ。『彼女』の記憶を持たない彼女が、笑っている。学生時代の頃のように。楽しそうに。
”――、――――”
不意にフラッシュバックした光景にスネイプは固く目を瞑りふるりと頭を振った。駄目だ。思い出しては駄目だ。違う、そうじゃない。忘れた事などない。忘れる事など出来やしない。けれど、駄目だ。駄目なのだ。
あの光景は、駄目だ。もう、二度と。見たくない。駄目だ。だって、そうしなければ押し潰されてしまう。立ち上がれなくなってしまう。
来なければ良かった。スネイプは競技場に来てしまった事を後悔していた。
マクゴナガルがハリー・ポッターとルーシー・カトレットを選手にしたと聞いて。スリザリンチームのキャプテン、マーカス・フリントが偵察に行くと言い出して。先生も一緒にいかがですかと言われて頷いた。『彼女』の姿をこの目に映したかったから。学生だった頃、何度も見ていたあの笑顔を、もう一度見たいと思ったから。
望むべきではなかった。
より一層、後悔の念に苛まれるだけだった。
無言のまま立ち上がり、グラウンドに背を向ける。早く、早くここを立ち去らなければ――何かに追い立てられるようにしてスタンドを下りようとしたスネイプの目に、ダンブルドアの姿が映った。その傍らの手すりには『彼女』の、そして女子生徒のペットである鷹が止まっている。一点の曇りもない目がスネイプを真っ直ぐに見据えていた。カチカチと鋭い嘴が微かに動く。
何故だろうか。声が聞こえたような気がしたのは。
”逃げるのか”
そう言われたような気がして。こちらをまっすぐ見つめる目に気圧されて、スネイプは動きを止めた。背後では少女が飛んでいる。あの頃のように。
「スネイプ先生……?」
突然かけられた声にハッと振り返れば、困惑顔のカーラがスネイプを見つめていた。どうかしたんですか?と尋ねてくるカーラから目を逸らせない。
「あの……?」
「――……、いや……」
何でもない。そう言ってスネイプはその場に腰を下ろした。そんなスネイプに困惑と疑問の眼差しを向けながらもカーラがスネイプの斜め前に座る。上空を見上げたカーラの横顔を、スネイプはそっと見つめた。
カーラ・オッド・マルフォイ。マルフォイ家の養子として迎えられ、育てられた少年。その少年の実の両親が誰なのか、スネイプは知っている。いっそ、知らなければ良かったのに。知らずにいられれば良かったのに。
「ルーシー! 凄いじゃないか!」
グリフィンドールチームのキャプテン、オリバー・ウッドの興奮気味の声がグラウンドに響く。スタンドで見学していたグリフィンドール生達から歓声が上がり、スネイプは顔を顰めた。
「予想以上だ! いけるぞ! 今年こそ優勝だ!」
「馬鹿馬鹿しい」
吐き捨ててスネイプは今度こそ立ち上がった。それにつられるようにしてスリザリンチームのメンバーが立ち上がり後に続く。
「大丈夫ですよ! 我々が負けるはずがありません!」
フリントがそう言うのに頷きを返し、スネイプはちらりとダンブルドアの方へ視線を向けた。傍らにいたはずの鷹はもうそこにはいない。不思議な奴だ。恐ろしいとも思う。
「フリント」
「はい!」
「グリフィンドールに遅れを取る事は我輩が許さん」
「分かってます」
今年のスリザリンチームの練習は、去年の倍以上のものになりそうだ。