セブルス・スネイプは混乱の渦中にいた。
そんなはずはない――何度そう言い聞かせても、目の前の少女の存在がそれを否定する。
「ルーシー・カトレット!」
そんなはずはない。だって、彼女は死んだのだから――あぁ、それでも。どうして。
「グリフィンドール!!」
記憶の中の彼女と、目の前で笑う少女が重なって見えてしまうのだ。
かつて、スネイプの同級生にルーシー・カトレットという名の少女がいた。
グリフィンドール寮に属していた彼女は、スネイプの幼馴染であったリリー・エヴァンズの親友でもあり、グリフィンドール生の中ではリリー以外で唯一スネイプに声をかけてくる人物でもあった。五年の終わりにリリーと仲違いをしてしまってからも、彼女だけはスネイプに近付く事を止めなかった。リリーは関係ない、友達だと笑った彼女を、スネイプはただただ鬱陶しいとしか思えなかった。
ルーシーは『変な奴』だった。寮間の対立など物ともせず、友人達の忠告すら無視して話しかけてくる。悪戯が大好きで、同寮の友人であるジェームズ・ポッター、シリウス・ブラック、リーマス・ルーピン、ピーター・ペティグリューと一緒になっていつも悪戯を仕掛けていた。ジェームズ達とスネイプの仲は最悪で、当然彼らもルーシーがスネイプに関わる事を止めた。それすらも彼女はお構いなしだったのだから変わっているとしか言いようがない。
そんな彼女と同じ姿の少女が目の前にいる。グリフィンドールに組分けられて嬉しそうにテーブルに駆けていく少女を、スネイプはただ呆然と見つめた。父・ジェームズの生き写しのハリーと笑い合うルーシーが、スネイプの記憶の中の彼女と無関係だとはどうしても思えない。けれど、どうして。何故そんな姿でそこにいる?答えなど見つからず、スネイプは混乱する頭を振って組分けの儀式を眺めた。
パーティの途中、スネイプは何度も何度もルーシーへと視線を向けた。少女とルーシー・カトレットとの相違点を躍起になって探すが、困った事に探せば探すほど二人の一致点ばかり見えてくる。同じなのだ。笑った顔も、仕草も、何もかも。
不意に少女がこちらを見た。顔を強ばらせるスネイプをじっと見つめてくる少女の目には僅かに困惑の色が見て取れる。まさか――そんな考えが頭を過った瞬間、スネイプは咄嗟に顔を背けた。逃げたのだ。隣に座るクィレル教授と適当な話をしている間も感じる視線に鼓動が早くなる。
もしかしたら少女は本当にスネイプの知る『ルーシー・カトレット』で、昔の事を覚えているのではないか――脳裏に蘇った光景を振り払うようにスネイプはゴブレットを呷った。ワインを一気に飲み干して何もかもを遮断する。思い出したくない。忘れる事など到底出来やしないが、それでも。
「あの子は……本当に………?」
パーティが終わり、生徒達が広間を出て行くとマクゴナガルがダンブルドアに尋ねた。他の何人かの教師達の顔にも混乱が見て取れる。それに対するダンブルドアの返事は何とも素っ気ないもので。
「あの子が何者であるか。それは些細な事じゃ」
「ですが……! ――いえ……えぇ、その通りです」
グリフィンドールに組分けられただけの生徒。それだけだ。そしてそれはハリー・ポッターにも言えることだとダンブルドアは言う。その言葉に心から賛同出来た教師がいたのかは分からないが、誰も異を唱える者はいなかった。
「セブルス」
一人、また一人と大広間を去っていく教師に続こうとしたスネイプは、呼び止める声に足を止めた。
「逃げてはならん」
「それは――、」
それは、何から?尋ねる事も出来ないまま、スネイプは会釈をして大広間を後にした。
大広間で見たルーシーの笑顔が焼き付いて消えてくれない。どうにかして振り払おうと頭を振ると、今度は別の顔が頭を過った。赤ん坊の頃から成長を見守ってきた少年――カーラ・マルフォイ。
あの少女が本当に『ルーシー・カトレット』なのだとしたら、その理由は簡単だ。ハリー・ポッター。ジェームズとリリーの息子である彼の為なのだろうと容易に推測出来る。けれど、もしそれならば――そこまで考えてスネイプは首を振った。考えた所でどうなるというのだ。今更、自分には何も言う事など出来やしない。
「どうすれば良い……?」
逃げるなとダンブルドアは言った。ならば自分は何をすれば良いのだろうか。考えてスネイプは自嘲する。何も出来やしない。そんな権利など持ってはいないのだから。
”セブルスは悪くないよ”
かつて彼女はそう言ったけれど、どうしたってスネイプにはそう思えない。自身を責めて、責めて、責めて――気が付けばもう十年以上経ってしまった。それでもまだまだ足りない。どうやって償えば良いのかすら分からない自分は、一体何をどうすれば良いのだろうか。
翌日から授業が始まった。
夏休み気分の残る生徒達の目をしっかり覚まさせる事はスネイプ達教師の役目であり、言い方を変えれば大量に減点する好機でもある。最初の五年生の授業でハッフルパフから五点、レイブンクローから二点減点したスネイプは、その後の授業でも容赦なくそれぞれの寮から減点をしていった。そこに上級生も新入生も関係ない。
残念ながら罰則を課される生徒はいなかったが、それでも三つの寮――特にグリフィンドール――からそれなりの点を減らす事が出来た。勿論、スネイプが監督するスリザリンにはたっぷり加点している。生徒達の抗議の視線などスネイプには痛くも痒くもなかった。
そんな日が数日続き、とうとうやって来た金曜日。ハリー・ポッターにルーシー・カトレット、そしてカーラ・マルフォイが集まるグリフィンドールとスリザリンの合同授業の日だ。
どんな生徒だろうとスネイプの授業の在り方が変わるわけではない。心の底から憎いと思うジェームズ・ポッターの息子に生き写しであるハリーが相手となると少しばかり大人げない態度を取ってしまう事もあろうが、致し方ない事だ。スネイプとて人間なのだから。
英雄様の素晴らしさを知らしめてやろうと簡単な質問をしてみたが、驚いた事に彼は答える事が出来なかった。グリフィンドールの中には挙手をする生徒もいたが、指名するつもりなどスネイプには毛頭ない。傲慢なハリー・ポッターが調子に乗らないように最初に釘を刺す為の質問であって、グリフィンドールに点をやる為のものではないからだ。
だと言うのに、生意気にもハリーはスネイプに口答えをした。
「ハーマイオニーが分かっていると思いますから、彼女に質問してみたらどうでしょう?」
グリフィンドール生の何人かが笑い声を上げた。スネイプが目を眇めて口を開こうとしたその時、
「あっはっは! ハリー、君、最高!」
誰よりも大きな声で笑い声を上げたのは、あのルーシー・カトレットだった。馬鹿丸出しで笑う少女は控えめに笑うハリーの背中をバシバシと叩いて笑い続けている。
「――静かにしたまえ、Miss.カトレット」
注意すれば、彼女は尚も笑った。まるでスネイプの言葉がおかしくて堪らないとでも思っているかのように。苛立ちを滲ませて睨み付けても止まらない彼女に減点を告げれば、少女は漸く笑いを引っ込めた。
「あ、止まった」
「君には罰則を課す事としよう」
「うげ」
呻きを漏らすルーシーをじとりと睨めば、慌てたように口を押さえたルーシーがそろりと視線を逸らす。本当に、何から何まで『彼女』そのものだ。これで別人だなんてどうして思えるだろう。
失礼な態度を取ったハリーから減点をしてやったスネイプは、その後の簡単な調合の時にも適当に理由をつけてグリフィンドールから点を奪い取る。他の誰でもない、ハリー・ポッターから。憎い男の、息子から。
授業が終わるとグリフィンドール生達は逃げるように教室を出て行った。一人残ったルーシーが不満気にハリー達の背中を見送っている。残されたルーシーを嘲笑いながらスリザリン生達が出て行くと、ルーシーは不満を隠しもせずにスネイプを振り返った。
正直な話、ルーシーへの罰則は口実だ。ただ『彼女』にそっくりなこの少女が気になって仕方がなかったから。もしこの少女が本当に『彼女』なのだとしたら、何かしらの反応があるのではないかと、そう思って。
「それで、私は何をすれば良いんでしょうか」
「授業で使った鍋を洗うのだ。勿論、マグルのやり方で」
嫌そうに顔を歪めたルーシーがのっそりと立ち上がり手洗い場へと向かう。積み上げられた鍋達に大きな溜息を漏らす少女の小さな背中をじっと見つめるが、いつまで経っても少女からスネイプを詰める言葉が出てこない。
もしこの少女が本当にスネイプの知る『ルーシー・カトレット』だったなら、間違いなく文句を零した事だろう。それに、この少女が『彼女』だとしたら――おそらくスネイプにこのような態度は取らない。
恨み言の一つや二つ言ってもおかしくない。何故助けてくれなかったのだと、何故こんな所にいるのだと――実際にそうなればスネイプは酷く狼狽し言葉を失くしてしまうだろう事もよく分かっていた。他の誰の言葉を聞き流す事が出来たとしても、彼女だけは――ルーシー・カトレットだけは。
”お願い、助けて……”
懇願されたのに。助けたいと願ったのに。
叶えてやる事の出来なかった己をいくら叱責しても、過去は戻ってこない。