ルーシー・カトレットは自分が普通でない事を理解していた。
両親の顔を知らないルーシーはおじさんと二人で暮らしていたし、そのおじさんも普通ではなかった。彼女の家はイギリスの山奥にあり、ルーシーの知る限りで家を訪れた客人はたった一人しかいない。おじさんはルーシーをどこかに連れて行ってくれた事はなく、いつだってルーシーは家の周りで遊んでいた。友達は動物ばかりで、人間の友達は一人もいなかった。今日、ホグワーツ特急に乗るまでは。
初めての友人達を振り返れば、ハリーもロンも緊張に顔を強ばらせている。ロンなんて息をするのも忘れている程だ。ロン、と小さな声で呼びかければ、ハッと我に返ったロンが苦しげに喘ぐ。ハリーがロンの背中を撫ぜた。
「ハリー・ポッター!」
厳かに響いた名前にハリーの身体がぎくりと強張った。ロンと同じくらい緊張してしまっているらしいハリーが、ぎこちなく前に進み出ていくのをルーシーは心の内で応援しながら見送る。今は組分けの儀式――新入生達がどの寮に入るかを決める儀式の事だ――の真っ最中だ。
ホグワーツ城の大広間には学校中の人間が集まっていた。広間の扉を潜るとグリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリンの四つの寮ごとに分かれた長テーブルが並んでいて、それぞれのテーブルには現在、上級生達が着席している。その向こうには教員たちが生徒達のテーブルを見渡す形で座っていて、教員テーブルの前に集められたルーシー達新入生は教員テーブルの前に置かれた小さな椅子に座り組分けされるのだ。
椅子に座ったハリーの頭に、マクゴナガルがくたびれた黒い三角帽子を被せる。たっぷり時間をかけた後、帽子は大きな声で叫んだ。
「グリフィンドール!!」
グリフィンドール寮の上級生達が歓声を上げた。他の寮が落胆の声を漏らすのを聞きながら、ルーシーは列車の中でロンやハーマイオニーが言っていた事を思い出す。ハリーは魔法界では知らぬ者がいない程有名なのだと。
ならば、やはり自分は普通では無いのだろうとルーシーは肩を竦めた。何せ、ハリーの事を全く知らなかったのだから。
「あぁぁ……どうしよう、どうしよう」
背後から聞こえるロンの不安げな声に振り向けば、顔色を悪くしたロンが「吐きそう」と呟く。慌てて数歩下がり背中を撫ぜてやる間も、不安げな独り言は消えない。ハリーがグリフィンドールに組分けられたのに、僕がそうじゃなかったら――そんな事を言っているのが聞こえた。
どうしたものかと視線を彷徨わせると、ふと黒髪の少年と目が合った。列車の中で知り合ったカーラ・マルフォイだ。マルフォイ家というものすらルーシーはよく知らないけれど、ロンが言うには純血の名家らしい。カーラは呆れたような顔でロンをチラリと見て肩を竦めた。苦笑を返したルーシーは慰めるようにロンの肩を叩く。大丈夫だよ――気休めにしかならない言葉を口にしようとしたその時、マクゴナガルがまた声を張り上げた。
「ルーシー・カトレット!」
思わずルーシーはびくりと身体を揺らした。びっくりした。呟くとロンがまるで絞首台に向かう囚人を見るかのようにルーシーを見つめる。大丈夫だよ。今度こそそう囁いてルーシーは前に進み出た。広間中の視線を感じながら椅子へと向かう。途中、ちらりと教員テーブルへ視線を向けると、中央に座る白髪の老人がにこりと微笑んだ。ルーシーの家に唯一訪れていた客人、アルバス・ダンブルドアだ。ダンブルドアに微笑みを返して椅子に座ると、すぐに帽子が頭に被せられた。
「ふーむ」
帽子の内側から聞こえているのか、頭の中に直接響いてきているのか。突然聞こえた声に驚き肩を震わせたルーシーは、そんな自分を少しだけ恥ずかしく思いながら「こんにちは」と小さく囁いたが、帽子は聞こえていないかのように独り言を続ける。
「なるほど、なるほど。これは珍しい……さて、どうしたものか――」
一体どれだけかかるのだろうか。黙りこんでしまった帽子にじわじわと不安がこみ上げてくる。もし、寮が決まらなかったら?もし、帰れと言われてしまったら――。どうしよう。思わず呟いて身を捩らせたその時、漸く帽子が叫んだ。
「グリフィンドール!!」
ルーシーはホッと胸を撫で下ろした。帰れと言われなくて良かった。グリフィンドールのテーブルから歓声が上がり、後ろの教員テーブルからパチパチと拍手が贈られる中、ルーシーは立ち上がり帽子を取ってマクゴナガルへ渡した。何か言いたげな顔をしているマクゴナガルに気付いたが、マクゴナガルはふと表情を和らげると「お行きなさい」とグリフィンドールのテーブルへと視線を向ける。頷いてルーシーは小走りでテーブルへと向かった。上級生達が温かく迎えてくれた上級生達にありがとうと返してハリーの隣に着席する。
「一緒で良かったよ!」
「本当! これからよろしくね、ハリー!」
勿論だよ!笑って肯定してくれたハリーと共にロンへ視線を向ける。ロンは完全に青褪めていた。
組分けは続き、ドラコとカーラ、クラッブ、ゴイルがスリザリンへと組分けられ、ネビルとハーマイオニーがグリフィンドールに組分けられた。ロンの顔色は益々悪くなっていく――そして、とうとう名前が呼ばれた。
「ロナルド・ウィーズリー!」
ロンは大袈裟な程に大きく飛び上がった。傍目にも震えているのがよく分かる。ルーシーとハリーが緊張しながら見守る中、ロンは椅子に座り組分け帽子を頭に被った。
「グリフィンドール!!」
帽子はすぐに叫んだ。とても早かった。安堵したロンが満面に笑みを浮かべながら小走りで駆けてくるのを迎えながらルーシーとハリーも笑った。
全ての組分けが終わると、ダンブルドアが短い挨拶を述べてパーティが始まった。ご馳走の並ぶテーブルに目を輝かせ、好きな料理だけをお皿に盛りつけていく。友人達と食べる食事はとても美味しかった。
デザートまでぺろりと平らげると、ルーシーはもう一度教員テーブルの方を見た。中央にダンブルドア、その右隣りにはマクゴナガルが座っていて何かを話している。幼い頃から家に遊びに来てくれていた彼がホグワーツの校長だという事は知っていたけれど、こうして校長席に座っている彼を見るとまるで別人のように見える。もう一度こちらを見てくれないだろうかなんて考えながら見つめていると、不意にダンブルドアの左隣りに座る男がこちらを見た。肩まで伸びた真っ黒な髪に真っ黒なローブ。唇を固く引き結んだ彼は、ルーシーと目が合うと僅かに動揺の色を見せた。けれどすぐに隣に座る紫色のターバンを頭に巻いた男へと顔を背けてしまう。
「ルーシー、どうかした?」
「んー……あ、フレッド!」
斜め向かいに座るロンの兄に呼びかければ、隣に座るジョージと話していたフレッドは「ん?」とこちらを振り向いた。
「何?」
「あそこの黒い先生、何ていうの?」
「黒い? ――あぁ、スネイプか」
フレッドの顔が嫌そうに歪む。スリザリンの寮監だとフレッドが教えてくれた。
「すっげー嫌な奴さ」
「気を付けろよ、すーぐ減点するんだから」
「ふーん……」
曖昧に頷いて再びスネイプへと視線を向ける。スネイプはもうこちらを見る事はしなかった。どうしたの?と首を傾げるロンに何でもないと返し、そして独り言つ。
「気の所為だ」
見た事がある気がする、なんて。
列車の中でカーラを見た時もそうだった。何となく知っているような、不思議な感覚に襲われた。その姿に見覚えは無かったのに、何故か知っている気がして――そんなはずない。だって、ダンブルドア以外に会った事はなかったのだから。
きっとダイアゴン横丁に買い物に行った時にすれ違ったりなんかしたのだろう。そうに決まっている。
パーティが終わり、ルーシー達はグリフィンドールの談話室へと案内された。女子塔へ続く階段を上がれば、部屋の戸に名前のプレートが掛けられている。自分だけが一人部屋だという事に少しばかり寂しさを覚えたルーシーだったが、これはこれで好都合なのだろう。もしかしたらダンブルドアが取り計らってくれたのかもしれない。
「私も一人部屋だったら良かったのに」
同じ寮生となったハーマイオニーがルーシーのプレートを羨ましそうに見つめながら呟いた。
「明日から授業かぁ……」
買ったばかりの教科書をペラペラと捲りはしたが、ハーマイオニーのように暗記するほど読み込んだりはしていない。物珍しさに流し見ただけで、ちっとも頭には入っていないのだ。自分はちゃんとついていけるだろうか。
パーティの席でフレッドとジョージが友人のリー・ジョーダンと悪戯を仕掛ける相談をしていたのが聞こえたのを思い出し、ルーシーは一人笑う。あわよくば自分も混ぜてもらおう、と。勉強なんかよりきっと楽しいに違いない。
そうとなれば早く寝てしまおう。窓を開け放つと一羽の鷹がスーッと部屋の中に飛んできた。机の上に置いた止まり木で羽を休める鷹の羽を撫でてやれば、鷹はじっとルーシーを見つめた。
「友達が出来たんだよ」
『そりゃ良かった』
気持ち良さそうに目を細める鷹に頬を緩ませ、ルーシーは開けたばかりの窓を閉めた。パジャマに着替えてベッドに潜り込むと眠気はすぐにやって来る。
『おやすみ、ルーシー』
耳に馴染んだ声がルーシーの意識を微睡みの中へと誘う。おやすみ。そう呟いてルーシーは眠りについた。
『良い夢を』
囁いた鷹が溶けるように姿を消した事にも気付かずに。