03


カーラ・オッド・マルフォイは退屈していた。
ホグワーツ特急に乗り込んでから数時間、教科書なんてもう読み飽きてしまったし、暇潰しにと家から持ってきた本も読み終えてしまった。窓の外へ目を向けても相変わらず変わり映えのない景色ばかり。寝て時間を過ごそうとしてみたが、ほんの数十分で目を覚ましてしまえば、もう眠気などやってこない。

「ちゃんと片付けろよ」

あちこちに散らばる菓子のゴミに顔を顰めれば、お菓子を頬張っていたクラッブとゴイルがヘラヘラと機嫌を取るような笑みを浮かべながらゴミを集め始めた。車内販売で仕入れたお菓子の殆どはこの二人の腹の中に収まってしまっている。

「結局お前らだけで食べちゃったじゃないか」

どこか不貞腐れたように呟いたドラコがカーラを見る。

「全然食べてなかっただろ、お腹空いてないか?」
「見てるだけでお腹いっぱいだ」

うんざりしたように答えれば、確かにと溜息を漏らしながら同調したドラコが立ち上がる。

「ドラコ?」
「会ってみたいと思わないか?」

誰に、とは言わなかった。列車がキングズ・クロス駅を出発してからというもの、ハリー・ポッターがこの列車に乗っているという噂はカーラ達のコンパートメントにも聞こえていたからだ。
別に会いたいとは思わない――そう言おうとしたカーラだったが、結局何も言わずに立ち上がった。どうせ、ここにいたって何もする事がないのだから、それなら気分転換に散歩をするのも悪くない。

「お前たちも来い」

コンパートメントの戸を開けたドラコがクラッブとゴイルに命令する。お菓子の食べかすを払って捨てた二人はすぐについて来た。通りすがりの生徒からハリー・ポッターのいるコンパートメントの場所を聞いてそこへ向かう間、ドラコはどこか楽しそうに見えた。

「ドラコ楽しそう」
「だって、父上だって言ってたじゃないか!」

弾んだ声にカーラは曖昧に笑みを返した。
マルフォイ家は魔法界に於いて絶大な権力を所持している名家だ。マルフォイ家の人間は純血主義を掲げていて、ドラコとカーラの父・ルシウスも、母・ナルシッサも例外なくそうである。
十数年前、ルシウスは『例のあの人』の下にいた。純血である事に誇りをもっていたからこそ、そうでない者達や、純血のくせにマグルやマグル生まれと懇意にする、いわゆる血を裏切る者達を卑下してきた。ハリー・ポッターによって闇の帝王と恐れられた『例のあの人』が凋落すると、ルシウスを筆頭に多くの者達が手のひらを返して自らの保身に走ったが、それでも思想まで変える事など出来るはずがない。

闇の帝王を打ち破ったハリー・ポッターは、闇の魔法使いである――そんな根も葉もない考えがルシウス達のような者達の間に広まっていくのも、そう時間はかからなかったらしい。マグルの親戚に預けるという形で魔法界から隔離されていた事も、その思想を支持する原因の一つとなった。
きっとルシウスはカーラ達がハリー・ポッターと接触する事を望んでいるのだろう。そんな父の気持ちを汲んだのか、ただ父に褒められたいのか――前を行くドラコの背中を見れば、答えは一目瞭然だった。




ハリー・ポッターに会った時、カーラは少し前にダイアゴン横丁で出会った少年の事を思い出した。
マダム・マルキンの洋装店で制服の採寸をしていた時に出会った子だ。あの少年がハリー・ポッターだったのだ。
ハリー・ポッターは普通の少年だった。ルシウス達が言うような闇の魔法使いにはどうしたって見えなかったし、一緒にいるのがウィーズリー家の子だという事実がハリーがルシウス達の考えるような人物でないと完璧に否定していた。

「こいつらはクラッブとゴイルだ」

ハリーの視線がドラコとカーラの後ろに向いている事に気付いたドラコが無造作に言った。

「そして、僕がマルフォイだ。ドラコ・マルフォイ。それから――」
「カーラ・マルフォイ。よろしく」

正直な話、もうすぐにでも元いたコンパートメントに戻りたい気分だった。それでもマルフォイとしての矜持からカーラは完璧な仕草で挨拶をする。

カーラはマルフォイ家の人間ではない。
幼い頃に預けられたのだとルシウスは言った。カーラは本当の両親の事を何も知らないまま、カーラ・マルフォイとして生きてきた。実の両親が迎えに来るかもしれないと夢見ていた時もあったが、もうそんな期待もしていない。
何より、ルシウスとナルシッサはカーラをドラコと同様に扱ってくれた。同じように教育してくれたし、同じように愛情を注いでもくれた。不満など何もない。今更迎えに来られても困るだけだ。

「その内、家柄の良いのとそうでないのとが分かってくるよ。間違ったのとは付き合わない事だね、その辺は僕らが教えてあげよう」

ドラコの言い方は失敗だった。ハリーは明らかに気分を害したようだし、ウィーズリーも剣呑な眼差しでドラコを見据えている。
ふと、カーラは自身に向けられる視線に気付いた。ウィーズリーの隣に座る少女がこちらをじっと見つめていたのだ。

「何か?」
「え? あ、いや……ううん、何でもない。――あ、私はルーシー。ルーシー・カトレット、よろしく」

差し出された手を、カーラは反射的に握り返していた。
カトレット――聞いたことのない名だ。おそらくこの少女もマグル生まれか混血なのだろう。マルフォイ家には大凡相応しからぬ家柄であるに違いない。けれど、何故だろう。ルーシーと名乗った少女をカーラはじっと見つめた。

「……どこかで、」
「え?」
「――、いや……何でもないよ」

気の所為だ。会った事がある気がするなんて。

「君はどこの寮に入るのかな」
「あぁ、四つあるんだよね。さっきロンから聞いた」
「マグル生まれなの?」
「うーん、多分違うと思うんだけど……」

曖昧に笑うルーシーにカーラは首を傾げた。どういう意味?問いかけるとルーシーは困ったように笑い頬を掻いた。

「親はいないんだ、だから分からないの。親戚のおじさんが育ててくれたから――あ、おじさんは魔法使いだよ」
「あぁ……」

そうか、君もか。無意識に呟いた言葉はルーシーには届かなかったらしい。首を傾げるルーシーに微笑んでみせると、ルーシーは僅かに頬を赤くしてへラリと頬を緩ませた。

「カーラはどこの寮か決まってるの?」
「僕はスリザリンだ。マルフォイ家は代々そうだから」

実際、マルフォイ家の人間でないカーラがスリザリンに入ることが出来るのかは分からないけれど。不安が無いと言えば嘘になるが、表に出すような無様な真似はするなと教わっている。気取られてはいけない。それがマルフォイだから。

「もし同じ寮になれたら、その時はよろしく」
「うん。でも、同じじゃなくてもよろしくね」

虚をつかれて目を瞠るカーラにニカッと笑ったルーシーは、何故か剣呑な空気を取り巻いて睨み合うドラコを呼んだ。驚くドラコの正面に立つとその手を握りブンブンと上下に振る。よろしくね、なんて笑うルーシーに呆気に取られていたドラコは、不意に我に返り慌てて手を振り払った。

「痛い! 何するんだ!」
「クラッブとゴイルもよろしくー」

ドラコの声など聞こえていないかのように、ルーシーは戸惑うクラッブとゴイルとも強引に握手を交わす。

「で、何の話だっけ?」
「――もういい! カーラ、行こう!」

頬を薄く染めた――決して好意的な意味ではない――ドラコに手を引かれ、カーラはコンパートメントを後にした。クラッブとゴイルが慌てて後を追ってくるが、そんな事お構いなしにドラコはズンズンと元いたコンパートメントへ向かって歩いて行く。

「全く! 何なんだアイツは! ポッターだってそうだ、あんな、ウィーズリーなんかと……!」

ブツブツと不満を述べていくドラコに引きずられるようにしてコンパートメントに戻ってきたカーラは、どっと疲れを感じて椅子に腰を下ろした。大きな溜息を漏らせば、片付け残ったお菓子のゴミが落ちている事に気付く。

「さっさと片付けろ」

クラッブとゴイルは慌てた様子でゴミを片付け始めた。カーラやドラコよりも遥かに大きいのに、その動きはとんでもなく薄鈍だ。親同士が知り合いという事もあり幼い頃一緒にいるけれど、カーラの知る限り、この二人が俊敏に動いた事など一度たりともない。身体の大きさと力の強さだけが取り柄のこの二人を友人とは思えなかった。
それはドラコも同様らしく、彼はいつだってこの二人を子分のように扱うし、クラッブとゴイルもそれを受け入れているように見える。

つまらない。既に何も見えないほど暗くなった窓の外へと視線を向けてカーラは溜息を落とした。
ホグワーツでの生活が、カーラが想像するより楽しい物であれば良いのだけれど。