ジェームズは顰め面のまま歩いていた。
「別に僕が行く必要ないのに」
頭の後ろで手を組んで、さも嫌だとばかりに足を投げ出して歩く。向かう先は医務室だ。つい先ほど、寮監のマクゴナガルがわざわざ談話室までやって来てルーシーが倒れた事を報せてくれたのだ。ジェームズからすれば甚だ迷惑なお報せである。
「それなら行かなければ良いんじゃない?」
廊下に掛けられた絵画のレディが楽しげな声を投げかけてくる。ジェームズは肩を竦めた。
「そうしたいよ。でも、そうしたら後でマクゴナガルに何て言われるか」
それに両親の耳に入っても面倒だ。彼らはスリザリンに組み分けられた娘の事を、それでも心の底から愛しているのだから。ジェームズが見舞いをサボればどうして行かなかったのかと尋ねられるのだろう。ルーシーが嫌いだから、なんてジェームズには言えるはずもなかった。スリザリンに組み分けられた妹の事なんて考えたくもないけれど、それでも両親に嫌われたくなかったし、悲しませたくもなかったからだ。
初めて訪れた医務室はとても静かだった。グリフィンドールの賑やかな談話室とは大違いだ。ジェームズはすぐにでも帰りたい気持ちでベッドに近寄った。締め切られたカーテンは一つだけだから、きっとあそこにルーシーがいるのだろう。カーテンを開けると同じ顔が眠っていた。
「……ひどい顔」
青白い顔は本当に生きているのかと疑ってしまう程だ。授業ではスリザリンを視界に入れないようにしていたから、ルーシーの顔色なんて覚えてはいないが、それでもルーシーが未だ寮に馴染めていない事は知っていた。ついうっかり視界の端に映った妹は、いつだって一人だったからだ。
「…………スリザリンなんかに入るからだ」
好きか嫌いかと問われたら「好きではない」と答えるけれど。それでも妹なのだ。共に母の腹に宿り、共に成長し、共に生まれた。共に生きてきた。性格が合わなくとも、ルーシーはジェームズのたった一人の妹なのだ。
もしグリフィンドールに入っていたら、そうしたら一緒に笑えていたはずなのに。楽しい友人達に囲まれて、笑っていたはずなのに。こんな青白い顔になんてならなくて済んだ。両親に友達が出来たなんて悲しい嘘をつかなくて済んだ。
ベッドから落ちている手に気付いてそっと戻してやると、まるで離れないでと言っているかのように握られた。ただの反射だと分かっていたが、少しだけホッとする。ギスギスしていた心が少しだけ和らいだ気がした。
いつも避けられていた。ジェームズではない。ルーシーがジェームズを避けていたのだ。いつからだっただろうか、もう覚えていないけれど、いつの間にか距離が出来ていた。それなのに、今ルーシーがジェームズの手を握っている。行かないでとばかりに握っている。嬉しくないなんて、そんなの嘘だ。心配していないなんて嘘だ。心配するに決まってるではないか。大事に決まっているではないか。青白い頬にそっと手を伸ばすと、ひんやりした感触が伝わってくる。ジェームズは唇を噛みしめた。
突然、医務室の戸が開いた。驚いて振り返れば戸口にリリーが立っている。
「エヴァンズ?」
「ポッター、来てたのね」
入ってきたリリーの後には当然のようにスネイプが続いた。嫌がるスネイプの手をリリーがしっかりと握っている。グリフィンドールとスリザリンで仲良くするなんて、そんなの間違っているのに。
「ルーシーの具合はどう?」
「まだ起きないよ。どうして君と……そいつが?」
「友達なの」
さらりと返された答え。ぱちぱちと目を瞬いて、ジェームズはリリーを見て、スネイプを見た。スネイプも驚いた顔でリリーを見ている。
「友達?」
「僕は違う」
「セブったら……まぁいいわ。あのね、彼がルーシーを見つけたのよ。魔法薬学の教室で倒れてたルーシーを見つけて、スラグホーン先生を呼んでくれたの。それで、先生がここにルーシーを運んだのよ」
ジェームズはまたちらりとスネイプを見て、リリーを見て、それからルーシーを見た。
「……あ、そう」
素直に礼を言うとは思っていなかったのだろう。僅かに顔を顰めたけれど、リリーはそれについて何も言わなかった。嫌がるスネイプの手を引いてこちらに来たので、ジェームズは少しだけ横にずれて二人にスペースを作ってやった。ルーシーの手を握っている事について何か言われるかもしれないと思ったけれど、何故か放す気にはなれなかった。
「本当は仲が良いのね」
微笑んだリリーが繋いだ手を指して言う。何も言わないでくれれば良かったのにと思ったけれど、それも仕方のない事だとジェームズは分かっていた。学校では話すどころか目を合わせる事もしないのだ、ポッター兄妹は仲が悪いというのはホグワーツ中で認識されている事だった。
「別に……握ってきたから、そのままにしてるだけだよ」
繋いだ手を見たスネイプが嫌そうに顔を歪めているのを見て、ジェームズは口早に答えた。好きで繋いだわけではない。今更ルーシーを大事に想っているなんて言うつもりはなかったし、知られたくもなかった。
「どうして教室にいたんだ?」
「ルーシーは放課後いつもそこにいるのよ。スラグホーン先生の許可を頂いて、薬学の勉強をしているの。凄いのよ、六年生で習う薬だって作っていたんだから」
「ルーシーが?」
ジェームズは顔を歪めてルーシーを見た。まただ。また自分の知らないルーシー。幼い頃は知っていたのに、入学してから知らないルーシーばかりだ。教わったはずのない呪文を一発で成功させて、教わったはずのない薬をいとも容易く作ってしまう――天才だなんて幼い頃は知らなかった。それとも、自分が知らないだけで昔からそうだったのだろうか? 両親がジェームズの為に隠していてくれたのだろうか?
ジェームズは何も知らなかった。教えてもらえなかった。
勉強が出来るなんて知らなかった。薬学が得意だなんて知らなかった。
スリザリンに入るような資質なんて、持っているなんて思ってもみなかった。
「ルーシーはスリザリンじゃない」
口をついて出た言葉にハッとするが、もう言葉は戻せない。顔を見合わせるリリーとスネイプを見ないまま、ジェームズは繋いだ手を見つめて口を開く。
「スリザリンなんか、似合わない」
似合わない。だってルーシーは優しい子だった。一緒にお花畑に行けば花冠を作って遊ぶ子だったし、傷ついた小鳥を見つければ家に連れ帰って手当てをしてやる子だった。ジェームズはいつも箒で遊んでいて、ルーシーはそんなジェームズを凄い、凄いと褒めながら笑っていた。
”ジェームズはクィディッチの選手になれるね!”
そんな事を言ってジェームズを喜ばせてくれる、優しい子だったはずなのに。
スリザリンなんか似合わない。似合うはずがない。レイブンクローやハッフルパフになっても、スリザリンにだけはならないと思っていたのに。信じていたのに。怖いのだ。ルーシーが”スリザリン”のように嫌な奴になってしまうのが。
自分からどんどん遠くなってしまうのが怖い。いつか彼女も闇の魔術を使うのだろうか?
「どうせ、そっちの寮でも浮いてるんだろ」
吐き捨ててジェームズはルーシーの手をぎゅっと握った。
連絡を受けて医務室に来てから、一度もスリザリン生が訪れていない。リリーに強引に連れて来られたスネイプだけだ。あんなに優しかったルーシーに友達がいないなんて。友達がいると嘘をつかなければならないなんて。
グリフィンドールに入っていれば、笑っていられたはずなのに。彼女の表情はどこへ行ってしまったのだろうか。
”……君、誰なの?”
”…………私は、ルーシーだよ”
泣きそうに顔を歪めて呟いたルーシーを思い出す。あれは拒絶だ。ルーシーはジェームズを拒絶していた。それならば、誰なら良かったのだろう? 双子の兄すら拒絶する彼女は、一体誰を求めているというのだろうか。
背を向けて逃げてしまったのはジェームズだけど、そうさせたのはルーシー自身だ。
「――君達が来たなら、僕はもう行くよ」
「起きるまでいてあげないの?」
立ち上がったジェームズにリリーが咎めるような視線を向けてくる。ジェームズはルーシーを見下ろした。変わらず青白い。手だって殆ど冷たいままだ。ずっと繋いでいるのに、まるでジェームズが熱を分ける事を拒むかのようにひんやりしている。
「僕がいたって喜ばないよ」
「そんな事ないわ。だって兄妹だもの、嬉しいに決まってるわよ」
そんなの嘘だ。心の内で吐き捨ててジェームズはルーシーの手を放した。
ルーシーは喜ばない。ジェームズはそれを知っている。ジェームズではない。彼女が望んでいるのは、待っているのはジェームズ・ポッターではない別の誰かなのだ。
責めるような視線を無視して、ジェームズは医務室を後にした。
「どうしたの? ひどい顔ね」
帰り道、同じレディにまた声をかけられたけれど、話をする気になれなかったジェームズは適当な言葉を返す事にした。
「双子だからね」
咄嗟に出てきたのはそれで、自分がどれだけ彼女を想っているのかを突きつけられたような気がしたジェームズは走りだした。
どうせ、あの子は僕を見たりしないのに。