「変わったよね」

相変わらず私を足の間に挟んで座るマルコさんが、ぐりぐりと押し付ける頭を上げた。

「ん?」
「変わった」

繰り返すとマルコさんが後ろで首を傾げている。答えは出なかったのだろう、何が?と聞き返してくる声に「マルコさん」と答えて手の中の烏龍茶をごくごくと飲み干した。すぐ傍にある烏龍茶のボトルを取ろうとすると、後ろから伸びてきた手が先にそれを取ってコップに注いでくれる。

「俺?」
「うん、昔はすっごい怖かった」
「あー……」

曖昧な声を上げたマルコさんが後ろで頭を掻いているのが分かる。あの頃は若かったからなぁ、なんて言い訳をするマルコさんはきっといつものように笑っているんだろう。

「にーちゃんも変わった」
「そうだなぁ……まぁ、色々あったしな」

うん。頷いてなみなみと注がれた烏龍茶を啜る。
色々あった。ありすぎた気もするけれど。

父さんと母さんが死んで、兄貴は家を出て行くどころじゃなくなってしまった。
親戚は私を引き取ることは了承してくれたけど、不良で問題児だった兄貴を引き取ることは嫌がった。お前は一人で生きていけ――言外にそう言われて見捨てられたも同然だった兄貴は、それでも何一つ文句を言わなかった。

父さんの弟を喪主にして行われた葬儀に、兄貴は現れなかった。親戚は皆そんな兄貴を悪く言ったし、私だってどうしてと思った。父さんと母さんが棺に入れられて、淡々と葬儀が進んで。お通夜と告別式を終えて二人が火葬された時も兄貴は現れなかった。

納骨を終えて私が正式に父さんの弟の家に引き取られることになった日。兄貴は久しぶりに私の前に現れた。
誰もが兄貴を責めた。私は怖かった。また兄貴がキレちゃうんじゃないかって。父さんに言ったみたいに、酷いことを言うんじゃないかって。最悪手を上げるかもしれない――そんな恐怖に泣きそうになっていた。

”リサを、頼みます”

ただ一言、兄貴はそう言って去っていった。
投げつけられた暴言に怒ることなく、ただ頭を下げて一言だけ。
呆気に取られる親戚たちに囲まれて、私は呆然と遠くなっていく兄貴の背中を見つめていた。

兄貴は一体どんな思いであの台詞を口にしたんだろうか。今でも分からない。

「親戚とは連絡取ってんのかい」
「んーん。向こうから何もこないし、私から連絡することもないし……多分、嫌われちゃったしね」
「そりゃ、引き取ったその日に家出されたらなぁ」

後ろでマルコさんが苦く笑うのに「仕方ないじゃん」と返して口を尖らせる。

「一人にしない方が良いって思ったんだもん」

遠ざかるあの背中がどうしても消えなくて。
親戚の家に着いてからも焼き付いて消えなくて。怖かった。このままもう二度と会えなくなるかもしれない、そう思ったらいても立ってもいられなくて。

誰もいなくなったこの家に兄貴は一人でいた。
薄暗い部屋の中に立っていた兄貴が自殺しちゃうんじゃないかって思ったら、勝手に口が動いていた。

”いなくなっちゃやだ!”

泣きながら叫んだ私に兄貴は驚いた顔で振り返った。何でここにいるんだと言われて、でも何も言い返せなくて。大嫌いだったはずの兄貴にしがみついて、私はまたわんわん泣いた。そんな私に兄貴が珍しく狼狽えていたのを覚えている。
私を探しに来た叔父さんが家に帰ろうと言ってくれた。兄貴も早く帰れと言った。でも私の家はここだった。ここしかなかった。兄貴にしがみついて離れない私に叔父さんは怒って。なら勝手にしろと言い残して行ってしまった。

何やってんだと兄貴も怒って。私は泣いて。
必死に私を追い返そうとする兄貴に、私は泣いて、泣いて、泣きまくって。とうとう兄貴が折れた。後悔したって知らねぇぞと呟いて、大嫌いな兄貴の手が私の頭をくしゃりと撫でた。

兄貴は泣いていた。

学校を辞めて働き始めた兄貴と二人で暮らし始めたものの、大変なことだらけだった。
私は家事なんて出来なかった。お母さんの手伝いはしていたけど、だからって最初から最後まで一人で全部作ることなんか出来なかったし、当然ながら兄貴も出来なかった。それでも極力お金を使わない生活をしなければならなかったから、不味いご飯をいっぱい食べる破目になった。

兄貴と対立してた不良が殴り込みに来たこともあった。
こっちの事情なんてお構いなしに兄貴をぶっ飛ばしにくる不良たち。そのたびに兄貴はそいつらを返り討ちにして、また恨みを買う。大人しく殴られようとした事もあったけど、骨折なんてされたら仕事にならないから、結局はある程度やられた所で返り討ち。敵は減らない。

マルコさんもそんな不良たちの一人で、兄貴とはよく殴り合いの喧嘩をしていたらしい。
その日はマルコさんの前に他の奴らが来ていて、何とか追い返したものの兄貴はボロボロ。テーブルの上のご飯もぐちゃぐちゃ。さすがに追い打ちをかける気になれなかったのか、傷だらけの兄貴にしがみついてわんわん泣く私に気を削がれたのか。舌打ちをしたマルコさんは泣き喚く私に煩いと怒鳴りつけて携帯を取り出した。呼び出されたサッチさんが両手に食材の入った袋を抱えてやって来て、手際よくご飯を作り始めて。

”お前、親戚に引き取られたんじゃなかったのかよい”

兄貴に下手くそな手当てをする私に、ソファを陣取ったマルコさんが言った。一緒にいる。そう答えた私に兄貴が苦い顔をして、マルコさんも舌打ちと溜息。これからも兄貴と対立してた奴らがわんさかやって来るぞとマルコさんは言った。離れた方が身の為だとも。こんな不味そうな飯食ってねぇで、親戚の家でうまい飯食わせてもらえば良いだろう――たぶん、多少なりとも心配してくれていたんだろう。兄貴も反論しなかった。

”もうお兄ちゃんしかいないもん”

そう言ってまた泣いた私にマルコさんがうぜぇと舌打ちをして。兄貴が黙り込んで。サッチさんが美味しいご飯を食べさせてくれた。私やお兄ちゃんが作るのと違って美味しくて、本当に美味しくて。

「いっぱい泣いたなぁ」
「泣くことしかしてなかったな」

笑うマルコさんに「仕方ないじゃん」とまた口を尖らせる。
好敵手とでも言うのだろうか。不良の考えなど分かるはずもないが、どうやらそれなりに兄貴を認めていたらしいマルコさんやサッチさんは、それから何度か家に来てくれた。兄貴や私を狙う奴がいれば代わりにぶっ飛ばしてくれたし、サッチさんは美味しいご飯を作ってくれた。私に料理を教えてくれたのもサッチさんだ。その内に兄貴と仲の良かった人とか、兄貴を慕っていた人とか――当然ながら、どいつもこいつも不良だ――たくさんの人が家に集まるようになって、今に至る。





今ではただの酔っ払い





「何で助けてくれたの?」
「そりゃお前、あんだけビービー泣かれたら」

他にどうしろってんだよい。笑うマルコさんの大きな手がわしゃわしゃと頭を撫でる。

「つまり、私が可愛くて仕方なかったと」
「最初はあーんなビクビク怯えてたくせに、ちょっと優しくしたらコロッと笑顔見せちまうんだもんなぁ」

マルコさんの後ろからやって来たサッチさんが「ほいよ」とお皿を渡してくれる。私の好きな鮭のおにぎりが二つ。ありがとうとお礼を言えばわしゃわしゃと頭を撫でられた。マルコさんに払われたけど。

「会うたび少しずつ懐いていくもんだから、俺ら躍起になって会いに行ったよな」

一番必死だったのはマルコだったけど。笑いながら兄貴たちの方へ行くサッチさんの背中を見送り、チラリとマルコさんを見る。

「余計なこと言いやがって」
「ほほー、マルコさんはそんな昔から私が好きで好きで堪らなかったのか」

ロリコン。すぐそこまででかかった言葉を飲み込んで笑う。チョップされた。痛い。

「ロリコンじゃねぇ」

口に出してないのに何で通じてんだ。怖い。

「お前以外にゃ興味ねぇよい」
「、ぅ、あ……そ、ソー、デスカ」
「ソーデスヨ」

熱くなった頬を手のひらで覆う。後ろから聞こえる笑い声が腹立たしい。この酔っ払いめ!