目の前に立つのはスーツ姿のオッサン元いマルコさん。見慣れないその姿に面食らったものの何とか挨拶をすれば、何故か驚いたようにぱちぱちと目を瞬いていたマルコさんも一拍遅れで返事をくれた。
「悪ィな、待たせちまったか」
「ううん、大丈夫、です」
何故だか顔を見ることが出来なくてさり気なく視線を落とせば、視界に映るのはちょっと高そうなスーツ。マルコさんのスーツだ。何だろう、落ち着かない。おかしい。確かに兄貴はスーツを着ていないけど、それでも学校へ行けば先生が着てるし、そもそも行き帰りにスーツ姿のサラリーマンなんていくらでもいる。見慣れてる、はずだ。それなのに落ち着かない。
「お、おつかれさま、です」
「おぉ……そっちも、お疲れ」
うん
うん
……うん
……じゃあ、行くか
そんなぎこちないやり取りをして歩き出す私たち。スーツ姿のマルコさんと、隣を歩く私。学生だと一目で分かるキャリングケースを持った私は間違いなく社会人に見えないだろう。スーツ姿のオッサンと並んで歩く学生。まさに私たちだ。通りすがりの人たちからじろじろ見られているように思えて居心地が悪い。
「何か食いてぇモンあるか?」
「いや、特には……マルコさんは?」
「俺も特に………あー、いつも居酒屋とかしか行かねぇからな」
どうしたもんかと頭を掻くマルコさんに「居酒屋でいいよ」と言えば、難しい顔で悩んでいたマルコさんは溜息を一つ落として「じゃあ、こっち」と歩き出す。少し前を行くマルコさんの斜め後ろを歩きながら、こっそり溜息。うーん、何だろう。違和感が半端ない。
駅のすぐ近くにあるチェーン店の居酒屋に入ると、まだそんなに遅い時間じゃないからか座敷の個室に通してくれた。適当にマルコさんが注文して店員さんが去っていくと、気まずい沈黙が広がる。な、何か言わないと……!
「い、いつも仕事おそいの?」
しまった。ちょっと言葉が足りない。でも私の言いたいことをちゃんと理解してくれたらしいマルコさんは、笑いながら肩を竦めた。
「家に帰んのは十一時とかそこらかな」
「うぇ、そ、そうなの? 今日は大丈夫なの? まだ六時なのに」
「奇跡だな」
そう言ってマルコさんが笑った時、襖が開いて店員さんがビールと烏龍茶を持ってきてくれた。私とマルコさんを交互にチラ見して、何事もなかったように去っていく。何か、やだなぁ。せっかく普通に話せたのに、また気まずくなってきた。
「お疲れさん」
「お、お疲れさまです」
ビールと烏龍茶で乾杯をしてちびちびと啜る。あぁ、何だか、うん。変な感じだ。
次々に運ばれてくる料理に箸を伸ばすけど、何か食欲が湧かない。気まずい気持ちが消えない。
「――幻滅しちまったかい」
注文した最後の一品が届いた頃、マルコさんが徐ろにそう言った。え、と呟いた私にもう一回繰り返す。
幻滅?何が。意味が分からないと首を傾げる私にどこかホッとしたようにマルコさんが笑った。
「こんなオッサンじゃ嫌だって思ってんじゃねえか、って」
「は? いや、そんなことは……ただ、うーん………」
何だろう。何て言うんだろう。
「いつも兄ちゃんとかサッチさんとか一緒だから、何か……変な感じがするというか………」
マルコさんと二人で話すのなんて初めてでも何でもないのに。
いつもと違う格好のマルコさんが、何でか私の知らない人のように思えたりなんかして。
「いつもと違うなーって」
「そんなん、お前だってそうじゃねぇか」
そう言って伸びてきた手がテーブルを超えて私のほっぺに触れる。むに。摘まれた。
「化粧してんの初めて見たよい」
いつもと違うからびっくりした。そう言ったマルコさんの苦笑した顔が、見慣れてるそれと重なる。あぁ、何だ。同じじゃないか。
「もう十九になるもん、外出る時くらい化粧するよ」
「もったいねぇなぁ」
何が?って聞き返したけどマルコさんは笑うだけで教えてくれなかった。ジョッキのビールを飲み干して、二杯目を注文するマルコさんはもうすっかりいつもと同じだ。二杯目のビールをごくごくと飲んでるマルコさんをじっと見つめてると、照れ臭そうな顔をしたマルコさんが隣をぽんぽんと叩いた。
「こっち」
「ん?」
「ここ」
ぽんぽんと隣を叩くマルコさん。つまり、そっちに行けということらしい。二人しかいないのにテーブルに並んで座るって何か変じゃないか?躊躇する私に、マルコさんが無言のままひたすら隣を叩く。観念して隣に移動すれば、待ってましたと言わんばかりに腕が伸びてきて後ろから抱きしめられた。な、何かちょっと恥ずかしい!
「そ、外だよ!」
「他に誰もいねぇじゃねぇか」
だから恥ずかしいんだよ!とは言えずに黙り込む。私の髪に顔を埋めたマルコさんがぐりぐりと額を擦りつけてくる。くすぐったい。
「もう酔ったの?」
「よってないよい」
おかしいな。まだ二杯目なのに甘ったれた声が聞こえてくる。むぎゅむぎゅと確かめるように腕に力を篭めたマルコさんが後ろで大きく深呼吸してる。ちょっと待った、私、臭くないかな。今日そんなに暑くなかったし、たぶん大丈夫だ。たぶん。……たぶん。
「リサのにおいする」
「リサちゃんだからね」
「おちつく」
そう言ってまた深呼吸。どうやらかなり疲れてるみたいだ。お疲れさまと呟いてお腹に回った腕にそっと触れると弱い力できゅっと握られる。不覚にもきゅんとした。ちょ、ちょっとだよ!
酔ってないのに変わらない
「あー……家に持って帰りてぇ」
「抱き枕の貸し出しは行っておりません」
溜息を一つ零して渋々と離れたマルコさんの、大きくてやさしい手がぐしゃぐしゃと私の頭を撫でる。もう大丈夫なんだろうかと思って顔を上げると、まるで見計らったかのように唇に何かが触れた。
「恋人の貸し出しは?」
「お兄ちゃんが良いって言ったらね」
あらかじめ兄貴から教えられていた台詞を口にすれば、あの野郎の入れ知恵かと悔しげに呟いたマルコさんに強く抱きしめられた。
その後、頼んでもないのに大人のキスなんてものを教えられたんだけど、兄貴に言ったらマルコさんが殺されるから内緒にしておこうと思う。