「お前に男が出来るとは思えねぇなァ」
「うるさい」

馬鹿みたいに大口開けて笑う兄貴の鳩尾に拳をめり込ませて鼻を鳴らす。嘔吐く兄貴なんか知ったことではない。
大体自分はどうなんだ、そんなガサツで不潔で馬鹿な兄貴にあんな美人な彼女がいるなんて驚きってレベルじゃない。何がどうしてそうなった。彼女、目大丈夫か?頭大丈夫か?そんなレベルだ。

怒りも収まらないままにフンッと鼻から勢いよく息を出せば、くつくつと笑う声が耳に届く。じとりとそちらへ視線を向ければ、酒瓶を手にしたマルコさんと目が合った。

「何笑ってんですか」
「いや、仲が良いなと思って」
「馬鹿にしてる」
「してねぇって」

下唇を突き出して顔を顰める私に、またマルコさんが笑い出す。思い切り睨みつけてやると、マルコさんは両手を挙げて降参のポーズと共に「悪い悪い」なんてちっとも悪びれずに謝罪の言葉を口にした。くそう、馬鹿にしやがって。

「だからしてねぇって」

心を読んだのか、下唇を突き出したままの私の頭を大きな手がぽんぽんと跳ねる。ゴツゴツした男の人の手だけど、兄貴の手とは全然違う。デスクワークが多いマルコさんと大工の兄貴とでは違って当然なんだけど、兄貴の手を見慣れてる私からすればマルコさんの手は『珍しいもの』だ。
何となくその手を取ってまじまじと見つめてみる。私の手よりも遥かに大きいそれは、見慣れた兄貴の手よりも綺麗で、皮膚が硬くない。こんな表現をするのはおかしいかもしれないけど、マルコさんの手は『優しい』。そう思った。

「おっさんの手なんか見たって面白くねぇだろうよい」

相変わらずくつくつ笑うマルコさんは酔っているのだろうか。もう片方の手にはもう新しい酒瓶が握られていて、グラスも通さずにそのまま瓶に口を付けて飲んでいる。飲み切る自信があるんだろうけど、だらしない。ちゃんとグラスを使って飲むべきだと注意したのはもうずっと前のことで、マルコさんは「この方が美味く感じるんだよい」なんて言って笑ってたと記憶してる。

「どう違うの?」
「ん?」

唐突な問いに首を傾げるマルコさんを見上げた。
何本も瓶を空けてるのに全く変わらないように見えるマルコさんが、実は結構酔っていることを私は知っている。この人、酔っ払うと私に構い出すんだ。ちょいちょいと私を手招きするマルコさんに応えるように身を乗り出せば、するりと腰に回った腕が私を引き寄せてマルコさんの足の間へと移動させられる。

「相変わらず可愛いなぁ、お前は」
「知ってる」

酔っぱらいの言葉を鵜呑みにするほど馬鹿ではない。素っ気なく返せば、声を上げて笑ったマルコさんが私の頭に頬ずりをする。酒が入ってない時は絶対にこんな事しない人なんだけど、その所為か酔っ払った時のマルコさんは中々にタチが悪い。ぎゅうぎゅうと抱きしめる手が確かめるように私の身体を撫で回す。セクハラだ。

「あぁ、だから彼女いないのか」
「何言ってんだい、さっきから」
「マルコさんて変な人だよね」

いや、髪型見れば分かるんだけど。そう続けると私を撫で回していた手が頬を引っ張り出す。

「ひゃえへ」
「ごめんなさいは?」
「ほえんらはい」
「マルコさん好きは?」
「ひゅきひゅき」

よし。解放された頬を抑えながら、この酔っ払いめと心の内で毒づく。こんなガキに好かれたって嬉しくも何ともないだろうに。日頃から自分を「おっさん」呼ばわりして私を「若い奴」と呼ぶマルコさんが、誰よりも私を子ども扱いしているってことを知っている。それはもう、腹が立つくらいに。

「ムカつく」
「最近の若ェ奴は気が短くていけねぇ」

ほらまた。

「最近のおっさんはセクハラばっかでいけねぇよい」

口調を真似ながら太腿をさする手をベチンと叩いてやれば、後ろから聞こえる笑い声。

「何でもかんでもセクハラだもんなァ」
「少しは遠慮しろおっさん」

ダチの妹の身体撫で回して何が楽しいんだか。もっとメリハリのある綺麗なお姉さんにすれば良いだろうに。そんな所を目撃したら即通報するつもりではあるのだけれど。

「はぁ……」

大きな溜息を零せば、宥めるように『優しい』手がまた私の頭を撫でた。肩越しにマルコさんを振り返れば、それはもう凄く優しい目が私を見つめている。

「早く彼氏作ろ」
「兄貴が泣くよい」
「マルコさんは泣かないの?」
「泣いて欲しいのかい?」

質問に質問で返されて思わず唸る。唸りついでに泣くマルコさんを想像してみたけど、どうもピンとこない。

「ドヤ顔で笑うマルコさんしか浮かばない」
「ははっ、何だそりゃ」

声を上げて笑ったマルコさんは、手にしていた酒を一気に飲み干して空になった瓶を転がした。あぁ、片付け大変だ――そんなことを考えていれば、空いた両の優しい手が私を強く抱きしめる。

「まぁ、あながち間違いでもねぇよい」
「んん?」

今度は頭ではなく頬に頬ずりをされる。当たるヒゲのくすぐったさに身を捩れば、追い討ちをかけるかのようにヒゲでじょりじょりされた。これだから酔っぱらいは。

「くすぐったい」
「いい匂い」
「おい酔っぱらい、人の話を聞け」

噛み合わない会話に溜息を零して抵抗を諦めれば、肩に顔を埋めたマルコさんの髪の毛がふよふよと私の頬を撫でる。くすぐったいけど逃げることも出来ないから、自分の方から頭に頬を寄せた。頬で髪の毛を潰してしまえばくすぐったさも減るだろうと思って。傍から見ればイチャついてるようにしか見えないんだろうけど、この酔っぱらいがどこまで正常なのか分からないから良しとしよう。酔っ払って絡んでくるマルコさんが悪いんだ。

「末恐ろしいガキだよい」
「酔っ払ってセクハラするおっさんだって末恐ろしいと思うんだけど」

いつか警察のお世話になりそう。呟いた私にマルコさんはまた笑って。頬に柔らかい感触。

「………とうとうその域にまで達したか」
「お前、俺を何だと思ってんだよい」
「酔っ払ってタチの悪いセクハラ三昧なおっさん」
「心外だ」

何が心外だ。鼻を鳴らせば「お前にしかしねぇよい」だなんて。溜息しか出ない。

「私以外の人にしない方がいいよ」

じゃないと警察のお世話になるよ。そう諭してやれば、また肩に埋めた頭がコクコクと縦に揺れる。

「あまり度が過ぎると私も通報するからね」
「俺とお前の仲じゃねぇか」
「どんな仲だ」

兄貴のダチにここまで許してるんだ、十分過ぎるだろう。むしろ、もう通報しても良いくらいの域に達してるはずだ。当たり前のように抱きしめられて、当たり前のようにセクハラされるから感覚が麻痺してきてはいるけど、改めて考えてみればこの状況は十分通報レベルだと思うんだ。

「考えてもみろよい」
「ん?」
「俺以外の男にこうされるなんて、考えらんねぇだろい」

抱きしめられて、身体中撫で回されて、頬ずりされて、キスされて。

「いや、アンタ以外にこういうことする男がいたら通報するわ」

兄貴のダチで、もう長い付き合いだから許してやってるんだ。そう答えれば、マルコさんは何が楽しいのかくつくつと笑う。

「そんなんじゃ彼氏なんざ出来ねぇじゃねぇか」
「………それは、また別の話だと思うですよ」
「どうだかな」

漸く解放されて振り返れば、酔っ払いのおっさんは想像した通りのドヤ顔を浮かべて私を見つめていた。

「俺も、お前に男が出来るとは思えねぇな」
「その内いい人が現れて恋に落ちるもん」
「まさか」

笑うマルコさんの腕に握り拳をお見舞いすれば、その手をあっさり掴んだマルコさんはそのまま私の手を強く引いた。簡単に引っ張られた身体は難なく受け止められて、今度は後ろからではなく前からマルコさんの腕の中だ。

「俺は、お前は俺と恋に落ちる気がするよい」

至近距離で囁かれた言葉に盛大に顔を顰めた。

「そんな胡散臭くて恥ずかしい台詞、よく口に出来ますねオジサン」
「だてに歳食っちゃねぇ」
「褒めてねぇよ」

もうやだこの酔っ払い。口をひん曲げて訴えた私に、マルコさんは「諦めろい」なんてあんまりな言葉をくださった。

「何が嬉しくて兄貴のダチなんて」
「そんな嫌そうな顔すんじゃねぇって」

つんつんと頬をつつく手を叩き落として大きな溜息を一つ。覗き込んでくる顔を睨み付けた私は、やがて目を伏せてまた溜息を落とした。先程の溜息とは意味合いが違うことに気付いたのだろう、マルコさんの優しい手が私の頭を撫でながら自分の方へと引き寄せる。今度は私がマルコさんの肩に顔を埋める形になった。

「オッサンの匂いしかしない」
「その内慣れるよい」

もうとっくの昔に慣れてんだよ。心の中でそう返した私は、悔し紛れに目の前にある逞しい首筋に噛み付いてやった。





酔っ払いと私





「キスマークはもっと優しく付けるもんだ」
「教えてくれる人がいないもんで」
「教えて欲しいってんなら、喜んで」
「そうだね、酔っ払いのオッサンを今すぐ素面に戻す方法を教えて」
「そりゃ簡単だ」

言い終わると同時に唇に柔らかいものが押し付けられる。
視界いっぱいに広がるマルコさんの顔に目を見開いた私は、ぱちぱちと目を瞬いた後観念してそっと目を閉じ、直後に背中を撫で始めた手を容赦なく抓ってやった。