マルコと喧嘩をした。
ううん、厳密にはちょっと違う。私が勝手に拗ねてるだけ。いつもと同じこと。
だから皆は「またか!」なんて笑ってるし、オヤジだってグラグラ笑って私の頭を撫でてくれた。
マルコはと言えば、困ったように頭を掻くだけ。
今までなら、どんなに私が悪くたってマルコが「ごめんな」って謝ってくれてたけど、今は違う。

今回は。
今回だけは。

「なぁ、リサ……」
「謝ったら絶交する」

謝られたくない。
聞きたくない、その言葉だけは。

「………一緒に寝るかい?」

私の機嫌を直す為に提案したそれは、今までと全く同じ台詞だ。マルコだって、今までと同じつもりで聞いている。けど、私は知ってる。私が『そういう』意味の台詞であって欲しいと願えば、そうしてくれることを。

違う。
違う違う違う。

「……今日は、いい」

一人で寝る。
目を逸らしたまま答える私に、マルコは困ったような顔で「そうかい」と呟いて。

「遅くまで起きてるから、寂しくなったら来りゃァいい」

大きな手でくしゃくしゃと頭を撫でて去っていった。

「……いいお兄ちゃんだね」

いつまでも。
いつまで経っても。

マルコはお兄ちゃんのままだ。

初めてマルコと『そういう事』をしてから二ヶ月が経った。
お願いした通りマルコは陸で女を買うことは止めたし、私に触ってくれたことだってある。
夜は一緒に寝てくれる日が多くなったし、寝る前と起きた時に額や頬じゃなくて口にキスをしてくれることだって増えた。

変わった、と、思う。もうただの妹じゃなくなった。
好きだって言えばキスを返してくれるし、抱きしめてくれる時とかキスしてくれる時とか、ふとした時に『お兄ちゃん』じゃなくて『男』のマルコが垣間見えるようにもなった、はずだ。

少しずつでいい。ゆっくり、ゆっくり。
私たちの関係が私の望む関係に向かっているんだって、そう思って、嬉しくて。

”うちの妹に何か用かい”

ほんの数日前のマルコの言葉が蘇る。
上陸した島で珍しくナンパされて、タイミング良く現れたマルコが男たちに言った台詞がそれだった。
マルコに睨まれた男たちはあっという間に逃げてったし、何も怖いことなんかなかった。
今までと同じだ。いつだってマルコが助けに来てくれて、大丈夫かい?って抱きしめてくれて。

でも、違う。違うじゃん。

「妹、とか……ばかじゃん」

思い出して滲んだ涙を拭って鼻を啜る。
結局、前に進んでると思ってたのは私だけだった。マルコはただ、可愛い妹のワガママを聞いてくれていただけだ。それなのに舞い上がって、馬鹿みたいにはしゃいで。
あの後、唇を噛み締めて俯く私にマルコは困ったように頭を掻いた。

”あー……その、リサ……悪かっ――おい!”

最後まで聞きたくなくて逃げ出した。悪かった、なんて。そんな言葉聞きたくない。妹を気遣うお兄ちゃんの優しさに気付かないで、馬鹿みたいにはしゃいでた自分が情けなくて。恥ずかしくて。

顔なんか見れるはずがない。
一緒にいられるはずがない。

嫌だ、もう。
何なの、私。

近付いたと思っていた私たちの距離は、気付けばこんなにも離れていた。



「敵襲だあああぁぁ!!」

弾む声と共に敵襲を知らせる鐘が鳴り響く。
誰もが武器を手に我先にと甲板へ駆けていく中、私はのんびりと廊下を歩いていた。いつもなら「私だって戦えるもん!」と敵船に乗り込もうとしてマルコに怒られているけど、今日はそんな気分じゃない。会いたくない。甲板に出なければ会うこともないだろうから、ここは大人しくナースたちの詰め所にでも行くことにしよう。
エリザに愚痴を零して、ついでに何かいい案を出してもらうのも良いかもしれない。

いくら妹にしか見られていなくたって、距離が遠くなったからって、マルコを想う気持ちを捨てられるはずがないんだから。

うん、そうだ。好きだ。大好きだ。
大丈夫、頑張れる。頑張る。そう決めたんだから。

胸のつかえが取れたように思える。足が軽い。鼻唄まで歌いながら詰め所に向かおうと角を曲がった、ら。

「あ」
「あ」

見たことのない男が一人、二人、三人、四人。
開け放たれた窓の向こうの柵に、フックが引っ掛けられているのが見える。敵だ。

そして、私は丸腰だ。
つまり、ピンチだ。

「大人しくしてもらおうか」

突きつけられた銃口に思わず仰け反り、両手を挙げて降参のポーズを取る。

「へぇ、悪くねぇな」
「まだガキじゃねぇか」

後ろ手に拘束された状態で背を押され、また歩き出す。

「宝物庫はどっちだ?」
「仲間が外で命懸けで戦ってるのに、その隙に宝泥棒? 素敵な仲間だね」

言い終わらない内に風を切る音が聞こえたかと思ったら、頬に激痛が走る。
反動で倒れかけた身体を強く引かれて、無理に立たされた状態で背中に銃を押し付けられた。

「とっとと案内しろ!」

人質がいないと泥棒も出来ない腰抜けのくせに。
痛む頬に顔を顰めながら、男たちに急かされて歩き出す。
宝物庫?そんな所行くわけない。

「おい、どこ行くんだ!」
「宝物庫でしょ」

こっち。歩き出した私に、男たちも辺りを警戒しながら慌てて後に続く。ビクビクしながら進む男たちは兄貴たちとそう変わらないくらいの歳だろうに。情けない。
角を曲がって、階段を上がって。宝物庫が上にあるなんておかしいとか喚かれたけど、ここは白ひげ海賊団の船だって言えば男たちはすぐに黙り込んだ。ちょろい。

「お、おい! そっちは甲板じゃねぇのか!?」
「一回外に出て向こうのドアから入らなきゃ宝物庫行けないの」
「な、何だよそれ!」
「話が違うじゃねぇか! お前が簡単だって言うから!」
「はぁ!? 人の所為にすんじゃねぇよ!」

仲間割れをしだした男たちに気付かれないよう、じりじりと後退っていく。甲板に出てしまえばこっちのもんだ。

あとちょっと。
あと、もうちょっと。

「おい! テメェどこ行くんだ!!」
「やば、」

甲板まであと数メートルもない。幸運なことに戸は開いたままだ。

「お、おい! アイツ逃がしたらヤベェぞ!」
「分かってんだよ、んなこたァ!!」
「待ちやがれ!!」

捕まえようと伸びてきた手をギリギリのところで避け、外へ向かって駆け出した。

あとちょっと。
あと、もうちょっと。

ドアの向こうに青い炎が見えた。



――ドンッ!!



背後から銃声が上がると同時に、何かが掠めた左肩に激痛が走る。

「ぅ、あ……っ!」
「リサ!!」

倒れこむようにして甲板に出た私を誰かが抱き止めてくれた。
見慣れたシャツの色や、焦ったような声――それを認識するより早く、その腕の強さと温もりで誰なのかを理解した。

小さい頃からずっと抱きしめてくれていた腕だ。間違えるはずがない。
小さい頃からずっと感じていたぬくもりだ。間違えるはずがない。

「リサ……ッ、リサ……!!」
「、マ、ルコ」

痛みに呻きながら目を開けば、今にも泣きそうなマルコの顔が見えた。
痛いのは私なのに、マルコの方が何倍も痛そうで、ほんの少しだけ笑えた。

「だいじょーぶ……肩、掠っただけ」

傷口を確認したマルコがホッと息をついて、腫れてるだろう私の頬に触れる。
ピリッと走る痛みに顔を歪めれば、何かに耐えるように顔を歪めたマルコが、今度は言葉に言い表せないほど怖い顔で男たちを睨み上げた。引き攣ったような悲鳴が聞こえた。

「リサ!! 大丈夫か!?」
「サッチ、代われ」

駆け寄ってきたサッチに私を預けてマルコが立ち上がったのを見届けて、そっと目を閉じる。
あぁ、畜生。痛いよ馬鹿。

「マルコ……」

痛みに呻きながら呼べば、マルコの気配が立ち止まったのが分かった。

「倍返し、して」

痛くてムカつくから。そう続けると、マルコがまた歩き出す。

「端からそのつもりだ」

倍で済ませられるかは分からねぇがな。
薄っすら開けた目に真っ青な炎が映って、私の意識はそこで途切れた。



目を覚ますと、医務室の天井が視界に広がっていた。
あぁ、気を失ったんだっけ。大して大きな怪我でもなかったのに情けないな、と溜息を落として右手の温もりに気付く。顔を上げてみれば、ベッドに突っ伏して眠るマルコの寝顔が見えた。

「……重症でもないのに」

ずっと手を握っていてくれたんだろう。今の時間は分からないけど、マルコが寝ているということは夜中なのかもしれない。繋がる手に力を篭めれば、僅かに眉を寄せたマルコが睫毛を震わせて目を開ける。

「、リサ?」
「おはよ。そんなトコで寝たら身体痛くなっちゃうよ」

だから一緒に寝よう。
鈍い痛みが残る肩に気を付けながらベッドの端に移動すれば、マルコは無言のままベッドに上がってきた。いつものように腕の中に収まった私の肩に触れないようにと気を遣うマルコに笑みを零せば、ぐりぐりと額を擦り合わせてマルコが安堵の息を漏らす。

「死ぬかと思った」
「こんな小さな傷で?」
「お前じゃなくて、俺が」

心配で苦しくて辛くて死にそうだった。
私の存在を確かめるように身体を撫で回す手に「くすぐったいよ」と笑みを零して目を閉じた。暖かい温もりと枕になっている腕から聞こえる脈の音が心地いい。
あ、また寝れそう。緩やかな波のように押し寄せる睡魔に意識を預けようとした時、それを遮るかのようにマルコの硬い声が耳に届いた。

「なぁ、」
「ん?」
「まだ怒ってんのかい」
「あぁ……うん、まぁ」

実際には怒ってるとはちょっと違うけど。
傷ついた。そう言えばマルコが今度は大きな溜息を零して私を抱きしめる。

「悪かった」
「謝ったら絶交って言ったじゃん」
「親子がいたんだよい」
「は?」

何の話?怪訝に眉を寄せてマルコを見つめれば、苦い顔のマルコがまた額をぐりぐりと擦り合わせて愚痴を零す。

「十歳くらいの子どもと、二十歳過ぎくらいに見える父親が手ェ繋いで歩いてたんだよい」
「……いや、二十歳過ぎで十歳の子どもって無理じゃん」
「だから、二十歳すぎくらいに『見える』父親だっつってんじゃねぇか」
「………それで?」
「…………」

マルコは黙り込んだまま答えない。
でも、言いたいことは何となく分かった。十歳くらいの子どもと二十歳すぎくらいの男って、昔の私たちと同じだもんね。

「――お兄ちゃん」
「………」
「に、戻りたい?」

ただの兄妹でいられた頃に。
私の気持ちを知らずにいられた頃に。

不安が声に出てしまったのだろうか。マルコは観念したように大きく息を吐き出して抱きしめる腕に力を篭める。

「そういうわけじゃねぇ」
「……ほんとに?」
「きっと、お前が他の野郎に取られるのは、一生許せねぇ」
「シスコン」
「兄貴として言ってるわけじゃねぇよい」

多分、男としてだ。そう続けたマルコの唇が額に押し当てられた。
探るように見つめれば、苦笑を零したマルコが今度は頬にキスをしてくれる。

「現実に打ちのめされただけだよい」
「私くらいの子どもがいてもおかしくないんだ、って?」
「俺とお前を親子に間違う奴がいねぇとも限らねェじゃねぇか」
「言いながらどこ触ってるんですかお兄ちゃん」
「その呼び方止めろい」

頬を包んだ大きな手がくいと顎を持ち上げる。

「いいの?」
「腹ァ括ったよい」
「後悔しない?」
「しねぇ」
「……パパ?」
「次そう呼んだらその口塞ぐ」

物凄い形相でそう言われたから、思わず声を上げて笑って、それで。





もっともっと必要として





「マルコ、すき」

返事を待たずに、その口を私の口で塞いでやった。