リサが船にやって来てからひと月とちょっと。

「はぁ……」

気が付けばあの子は海を眺めて黄昏てる。重苦しい溜息を吐き出して、そのうち泣き出すのよ。
ほら、じわじわ涙が滲んできた。それをゴシゴシと必死に拭って、また溜息。

それから、呟く。

「マルコ……」

会いたいよ、って。
バカな子。

リサがいつからマルコを想ってたのかなんて知らない。
私が気付いた時にはリサはマルコが好きだった。だから、きっと出会った頃からずっと好きなんだと思う。
最初は父や兄に向けるようなそれだったんだろうけど、私が気が付いた頃にはもう異性に対するそれに変化していた。
正直、あれで何でマルコが気付かないのかと思った。マルコ頭がおかしいのか、とも。

けど、すぐに気付いた。
マルコは頭がおかしい。極度のシスコン。あれはもう公害レベルだと断言出来る。
久しぶりに会う妹に抱き付いたうちのクルーを蹴り飛ばしてガン飛ばして、おまけに「手ェ出したら殺す」なんて地を這うような低い声で囁いて。
サッチによれば、上陸のたびにリサが問題ごとに巻き込まれてないかと心配してそわそわしてるらしいし。
船でだって、掃除の時間も食事の時間も寝る前の時間もひたすらリサ、リサ、リサ。狂ってるとしか言いようがない。

それだけ盲目に妹を溺愛していたからだろうか。
一番最初に気付くべきだったマルコが、一番最後まで気付かなかった。
それなりに場数踏んでるはずのマルコが、欠片も気付いていなかった。
妹と信じて疑わない。異性として見られてるなんて微塵も気付いていない。
リサはどれだけ苦しんだのだろう。今更そんなこと考えても仕方のないことなんだろうけど。

「それで、何が言いたいの?」

窓の向こう、欄干に寄りかかって海を眺めるリサの姿を眺めながら、手の中の受話器に問いかける。

『だからよ、リサを頼むよ』
「これ以上どうしろって言うのよ」

情けない顔をした電伝虫は、何処から生やしたのかリーゼントを萎れさせて溜息をついた。

『大丈夫だって、マルコのことだからきっと上手くやる……はずだ』
「随分と自信なさげね」
『アイツ、バカだからなぁ』

アンタに言われたらおしまいね。
心の中で返して溜息を一つ。

サッチから連絡が来たのは今日が初めてだ。
けど、モビー・ディック号から連絡が来たのは今日が初めてではない。
ナース長のエリザとオヤジ様、イゾウ、ラクヨウ、ビスタ、ハルタ。他にもあそこのドクターだとか航海士長だとか……毎日のように連絡を寄越してきては尋ねるのだ。

リサはどうだ?元気にしてるか?と。

その中に、いなければならないはずのマルコはいない。
本来なら、誰よりも先に連絡を寄越してくるはずのマルコが。
サッチたちによれば、向こうは向こうで大変らしいけど、知ったこっちゃない。
私にとっても大切な家族を、マルコは無神経に傷つけて泣かせたのだから。

昨夜のリサの言葉が甦る。

「”私、さ。次の島で男でも買ってみようかな、と、思う”」
『はァ? 何だよ突然』
「昨日リサが言ったのよ。男を買ってみるんですって」
『はァ!? ちょっ……待っ! ダメだぞ!!?』
「それはあの子に直接言ってちょうだい」

止めないわよ。言っておくけど。
続けた言葉に向こう側のサッチと、その後ろにいるらしいコック集団が慌てているのが分かる。
どいつもこいつも、どうしようもないシスコンだ。私も人のことは言えないけど。

「マルコに伝えてちょうだい。”良かったわね、これで気が晴れるでしょう”ってね」
『ちょっ、待った! ベイ……!!』
「待たない。明日には島に着くわ。じゃあね」

まだ喚き立てるサッチたちを無視して受話器を置けば、眠りにつく電伝虫。お疲れさん、と声をかけて甲板へ出れば、振り返ったリサが情けなく笑った。

「島、見えてきたねぇ」
「明日には着くわよ。――後悔しないのね?」

問いかけに、リサは一瞬だけ悲しげに眉を寄せて、すぐに笑った。

「うん、いいの。イイ女になって、奪ってやるの」

マルコがいつも相手にしてるような百戦錬磨の娼婦たちのように、大人な女になってリベンジするのだとリサは笑う。

「バカね」

一度や二度男を買ったくらいで、アンタみたいなハナッタレのガキが大人になれるわけないじゃない。
そういう風に育てられたんだから。他でもない、マルコ自身に。
色気のいの字もない彼女は、それに気付いているのだろうか?

長年の恋を成就させようとするその姿勢は褒めてやりたいと思う。
だって自分たちは海賊だ。指を銜えて見ているくらいなら、どんな手を使ってでも奪う――それが正しい。
けど、それでも。どうしたって不可能なことがあるのだ。
リサの野望はまさしくそれで。
もしかしたら、リサだって分かってるのかもしれない。
分かってて敢えてそうしようと言うのなら、私はもう何も言わない。

「精々、イイ男を捕まえなさいよ」

初めてをくれてやっても良いと思えるような、男を。
リサにとってのそれはマルコしかいないのだろうけど。

「うん、ありがとう」

泣きそうな顔で笑う妹を、やはり可愛いと思ってしまうのだ。




一夜明けた日の正午、船は問題なく着港した。
我先にと仕事のないクルーたちが船を降りていって、上陸する支度を終えたリサが甲板へと出て来た。

「ベイは行かないの?」
「私は後で行くわ。気を付けて」
「うん、行ってきます」

帰って来た時は今と何か違って見えるのだろうか。
相変わらず情けない顔で笑って街へと向かうリサを見送って、ここ最近止めていた煙草に火を点けた。
肺いっぱいに吸い込んだ煙を吐き出せば、苦いものだけが身体の内に残る。これは煙草の苦味か、それとも。

「船長!!」
「ん?」
「アレ!!」

アレ。見張り台にいたクルーが指したのは真っ青な空に浮かぶ真っ白な雲。
その中に確かに見える小さな青い点。
目を凝らさなくたって分かる。
あぁ、何だ。結局来たのか。
煙を吐き出して、呆れて笑った。

「ホント、どいつもこいつもバカばっかりね」

あの鳥は特に。
遠くに見えていたそれは、全力で飛んできたのだろう。
物凄い速さで飛んできてあっという間に甲板に降り立った。

「っ、リサ……!!!」
「いないわよ」

甲板に降り立ち、見慣れた人間の姿に戻った途端口にしたのはあの子の名前。
どうしようもないわ、本当に。
いない。即座に告げた私を物凄い形相で振り返ったマルコは、息を切らしながら私に突っかかってきた。

「どこだ……っ! アイツはっ! 何処にいる!!」
「もう島に降りたわ。男、買いに行くんですって」

言い終わらない内に再び鳥に変身したマルコが、物凄い速さで街へと飛んでいく。
ぼぼぼ、と真っ青な炎が爆ぜる音を拾いながら、近くにいたクルーたちと肩を竦めて笑いあった。

「なぁ船長、上手くいくと思うかァ?」
「さぁ? どうかしらね」

けど、マルコが来たことで何かが変わることは間違いない。はずだ。
リサが諦めるのが先か、マルコが観念するのが先か。

「一番の被害者は、今頃リサといるであろう男ね」

呟いた私に、違いねぇ。周りが声を上げて笑う。
今頃、理不尽にもマルコに蹴り飛ばされてる頃だろうか。





不運だったわね。





近くにいたクルーの手から酒を奪い取ってぐびりと呷る。
私たちの大切な家族の為に、どうか成仏してちょうだい。
献杯の意を篭めて掲げた瓶が、陽の光に反射してキラリと輝いた。