「じゃ、行ってきます」

盛大な宴会から一夜明けた昼前。徹夜組は二日酔いで死にそうな顔で。徹夜しなかった組も殆どが二日酔いで死にそうな顔で甲板に立ってベイの船を見送ろうとしていた。
出航準備が整ったというのに、中々出航しないベイたちに首を傾げること五分くらいだったか。船室から飛び出してきたリサが、その手に割りと大きな荷物を入れた麻袋を持ってベイのところに駆け寄った。

ごめん!
遅い!
痛い!

そんなやり取りは見慣れた光景で、容赦ない拳骨を食らったリサは頭を摩りながら唇を尖らせて俺たちを振り返り――

そんでもって、さっきの言葉だ。


行ってきます。


「、は?」


間抜けな声を上げた俺たちは、絶対悪くない。

「何言ってんだ?」
「どこ行くんだよ?」

二日酔いで立ってるのも辛いってのに、俺らが必死に踏ん張ってんのは大切な兄妹たちを見送るためだ。頼むから無駄に時間をかけないでくれ。頼む。吐きそうだ。皆が同じような思いを抱えてリサへと視線を送るが、リサはそんな俺たちが理解しがたい発言をしてくださった。

「ベイのとこに行くの」

一拍の間。

「はああああぁぁぁぁ!!!??」

腹の底から叫んだ俺らが、自分たちの声によって更に頭痛に苛まれたことは言うまでもない。




リサがベイの船で行ってしまってから一ヶ月。
モビー・ディック号はとんでもないことになっていた。

「おい、マルコ! これの期限は来週って言ってただろ!?」
「ん? ……あぁ、そうか。悪い、今日が期限なのはこっちだったよい。ほい」
「今渡しといて!?」

たった今受け取ったまっさらな書類を手に叫ぶが、マルコは胡乱気に手を振るだけで何も言わない。
掃除の時間にはリサがサボってないか確認してくると言ってふらりと消えて、絶望したような顔で戻ってきて「間違えちまったよい」なんて情けなく笑って。
訓練の時間にはリサが怪我してないかとその姿を探そうとして、気付いて立ち止まり大きな溜息を零す。その時に運悪く吹っ飛んできたクルーにぶつかって、マストにしこたま頭を打ち付けたマルコは医務室に運ばれた。
飯の時間には毎回リサの姿を食堂に探して、そんな自分を嘲るように笑う。
風呂の後や寝る前に必ずリサの部屋を確認していたマルコが、今でもその行動を繰り返してる事を俺は知ってる。

一ヶ月。
毎日繰り返されるマルコの情けない行動はクルー全員が知っている。
そりゃそうだ、マルコは筋金入りのシスコンなのだから。いつだってリサにべったりくっついて世話を焼いて、リサだってマルコの傍を離れないモンだからこの二人はいつだって二人でワンセットだ。
上陸する時だって、殆どが二人一緒。たまに別々に行動したって、マルコは「リサが問題起こしてねぇか」とか「アイツ、変なのに絡まれてねぇだろうな」とか。だったら一緒に上陸しろとツッコミを入れた俺は間違ってない。

船の中でだって、リサのことを良いなと言ってる新人クルーたちには目を光らせ、殊更に自分の大切な大切な妹であることをアピールする。日頃のアレはその頃からこびり付いた習慣だ。


掌中の珠


前にイゾウからその言葉と意味を教えてもらったことがあるが、それはまさしくマルコにとってのリサだ。
そんなリサがベイの船に行ってしまった。マルコのショックは計り知れない。

「けど、なーんか釈然としねぇんだよな」
「リサの事か?」

夕飯の為に厨房でフライパンを振りながら零した俺の言葉に、近くにいた兄弟が反応する。
そ。肯定して更に出来上がったばかりのピラフを盛りながら、俺はまた唸った。

「だってよ、そりゃマルコはアイツにすんげー執着してたよ? 怖いくらいに」
「ありゃ病気だな。あ、隊長。そっちのソース取ってくれ」
「ほい。そーなんだよ、病気。ありゃ完全に病気だ。けどよ、あそこまで悪化したのはリサも原因だと俺は思うわけよ」
「サンキュ。そりゃあ、アイツだってマルコ隊長にベッタリだったじゃねぇか」
「それだ」

再び油をひいたフライパンに次々に具材を放り込みながら頷けば、隣で火を止めた兄弟が俺を見る。

「だってよ、おかしくねぇか? あーんなにベッタリだったリサがマルコから離れるなんて」
「けど、リサが言い出したんだろ? ベイのとこに行くって」
「それなんだよなぁ……アイツら、喧嘩でもしたのか?」

聞き出そうにも、マルコがあんなんじゃ聞くに聞けない。
ただでさえリサ不足で酷い有様になってんのに、その原因が二人の喧嘩だとしたら……。

「アイツ、死ぬんじゃねぇか?」
「ははっ! 思いつめて身投げでもしたりして」

丁度後ろを通った別の兄弟が突然割り込んできてそんな不吉なことを言う。
勿論、冗談だ。分かってる。分かってるが――。

「………」
「………」
「………」
「………悪ィ、本当にありそうで怖い」
「俺もそう思う……」
「俺も……」

それとなくマルコ隊長を見張っておいた方が良いんじゃねぇか?
賛成
俺も
俺も賛成
俺も

いつから聞いてたのか、あっちこっちから賛同の声が上がる。

「サッチ隊長、マルコ隊長にそれとなく聞いてみたらどうだ?」
「確かに。今のままじゃヤベェんじゃねぇの?」

それは俺も思う。日常生活だけならまだしも、仕事にまで支障が出てるんじゃ放っとくわけにもいかない。

「そうだなぁ……素直に答えてくれっかは分かんねぇけど」

聞いてみる。
頷いた俺に、厨房にいた全員が顔を緩めて安堵の息を漏らした。
ったく、どいつもこいつも……!

可愛い奴らめ!!
サッチ隊長キモい
キモい
キモリーゼント
ダサい
誰だリーゼントダサいって言った奴!!!
違う。サッチ隊長ダサいって言った
俺も
俺も実は思ってた
俺も
お前ら嫌いっ!!可愛くない!!!

厨房は今日も平和だった。




「好きだって言われたんだよい」

夜、とびっきりの酒を持参してマルコの部屋に訪れた俺。いい感じに酒が入った頃にそれとなく聞きだせば、マルコは意外にもあっさりと教えてくれた。

リサに告白された。キスもされた。
何かの間違いだと思って笑って誤魔化そうとしたら、泣かれて。逃げられて。
ベイの所に行ってしまった。

ぼそぼそとマルコが話した内容はこれだ。

「………へぇ」

正直、テンションが下がってしまったのは仕方ないと思う。
心無い返事にマルコが不満げに俺を睨んだけど、そりゃ仕方ねぇよ。

「いや、お前……欠片も気付いてなかったの?」

いや、そりゃ俺だって気付いてなかったよ?
仲の良い兄妹だなーって思ってたよ?
けど、マルコとリサだぜ?あーんなにベッタベタだった二人だぜ?
リサがマルコに惚れてたって聞いたって「あぁ、そう」って思うだけだ。
二人がいつの間にか男と女の関係になってた、って聞いても「あぁ、そうなんだ」って納得しただろう。

「だって、アイツは妹じゃねぇか」

拗ねたように答えるマルコに特大級の溜息を一つ。
リサからの愛情が妹からのそれだと信じて疑ってなかったんだろう。バカだ。アホだ。

「そりゃ、リサだって逃げたくなるよな」

零した途端、マルコの身体がびくりと揺れる。

「あーんなにベッタリだったんだし? そりゃ期待だってしちまうよなぁ」
「………!!」
「まぁ、アイツのことだから、お前の気持ちなんて分かってたんだろうけどな。だから今まで何も言わなかったんだろ?」

そういや、あの夜はずーっとマルコの傍にナースがくっついてたっけ。
そうかそうか。酒が入って緩んじまったわけね。納得。
うんうん。一人で納得して頷く俺を恨めしげに見るマルコなんざ知るか。
俺だって、マルコほどじゃなくてもリサを大切な妹だと思って可愛がってるんだ。
可愛い妹の決死の告白を無下にされたとあっちゃ、怒って当然だ。
まぁ、俺が何も言わなくても本人は十分反省してるみたいだけど。

「で、お前はどうすんだ?」
「どう、って……」
「今のままじゃアイツ、お前への気持ちが消えるまで戻って来ねぇよ?」
「………」
「消える日が来んのかねぇ、あーんなにマルコっ子だったリサが」

何も言えずに俯くマルコに、追い打ちをかけることくらい許されるだろう。

「一年か」
「………!!」
「二年、いや……五年か?」
「………!!!」

絶望を露に俺を見つめるマルコを見遣り、グラスの中の酒を飲み干す。
ちょっとやりすぎたか。

「いや、でも冗談じゃなくてよ。普通にそれくらいかかっておかしくねぇと思うぜ?」

だって、リサだ。あんなにベッタリだったリサだ。
きっとずっとずっとずーーーーっとマルコが好きだったんだろう。
マルコが優しくするもんだから余計に、抜け出せずに悶々してたのかもしれない。
俺たちが気付かない所で、アイツは一人でずっと苦しんでいたのかもしれない。
そう思ったら、マルコにちょっとくらい文句を言いたくなるわけで。

「アイツ、ぶっ飛んでるからなぁ。手っ取り早く忘れようとして男漁りまくってたりして」
「………!!!!!」

ガタン!椅子を倒しながら立ち上がったマルコが、手の中にあるグラスを握り潰した。
瞬時に燃え上がる青い炎をぼんやりと眺めながら、炎と同じくらい真っ青になったマルコが慌て出す。

「ベベベ、ベイの船はどこだよい! いい今すぐ行かねぇと……!!」
「あのなぁ、もう一ヶ月経ってんだぞ? もしアイツがその方法取ろうと決めたんなら手遅れだろうが」

何処の馬の骨とも知れない野郎に、マルコが大切に護ってきた『初めて』をあっさりくれてやったんだろう。
青から白へと顔色を変えたマルコがベッドに倒れ込む。あ、やばい。コイツ死にそう。
けど、実際に有り得そうだから怖い。リサなら何を仕出かしても「やっぱり」って納得出来ちまうから余計に。

「そんで、お前はどうなのよ」
「………」
「ただの妹から変わってねぇってんなら、放っといてやれよ?」

アイツの気持ちを知って、今まで通りなんて無理に決まってんだろ。
それはアイツを傷付けるだけでしかねぇんだから。
続けた俺にマルコは何も言わずに、枕に顔を埋めてしまった。いじけるオッサンの姿なんて見ても楽しくも何ともねぇ。酒の肴にもなりゃしねぇ。

「……ま、頑張れよ。オニイチャン」

あ、身投げはすんなよ? 絶対すんなよ?

聞く人がいれば「フリだろ?」って言われるような発言を残して、俺は部屋を後にした。
さてさて、一体どうなることやら。

「あんなガキんちょ一人いねぇだけで、こーんなにむさ苦しく感じちゃうもんなんだもんなぁ」





拝啓、元気ですかバカヤロー。





リサー、早く帰って来てくれー。お兄ちゃん寂しいぞー。

のろのろと向かった甲板で海に向かって語りかければ、少し離れた所で真っ赤な顔をしたラクヨウとイゾウが同じようなことをしている。アイツらも相当酔ってるらしい。
いい歳した酔っ払いが三人、遠くにいる妹が一日も早く帰ってくることを願って海に叫ぶのだった。