陸は嫌い。島が見えると皆は物凄くテンションが上がるけど、私はその逆。
だって、マルコが行っちゃうから。
「リサ、お前も降りるのかい?」
「うん、シャンプー切れそうだから」
そうかいって笑いながら私の頭をポンポンしてくれたマルコを呼ぶサッチの声が聞こえてくる。
「早くしねぇと先行くぞー」
「あぁ、今行くよい」
先に船を降りたサッチが下から手を振っている。それに片手を挙げて応えたマルコは、私を振り返ってぐしゃぐしゃとさっきより強く頭を撫でた。
「あんま遅くならねぇ内に戻って来るんだぞい」
「うん……行ってらっしゃい」
笑顔を作ってみたけど、上手く作れただろうか?
頭を撫でていた優しくて温かい手が離れていって、顔を上げるとマルコの背中がどんどん遠ざかっていくのが目に映る。早くしろよと急かすサッチと並んで町へ向かうマルコは、サッチほどじゃないけど機嫌が良さそうで、それを見た瞬間また気が滅入った。
「………行こ」
今日、帰って来ないんだろうなぁ……。
じくり、じくりと胸の奥が疼いているのを感じながら、とぼとぼと町へと向かった。
気が乗らない時はパーッと買い物をするに限る。特別必要もないのに、新しい服とか化粧水とか、あ、良いかもって思ったやつは全部買ってやった。船に戻ったら後悔する――というかもう既に後悔し始めてるけど、しょうがない。このモヤモヤをどうにかしたかったんだもん。結果から言うと、出来なかったんだけど。
「つか、前みえない……」
買いすぎた。特に服。前が見えない。ヨタヨタと足がふらついて、呑んでもないのに酔っ払いみたいだ。あぁ、もう、最悪だ。本当に最悪だ。
「おいおい、お前何やってんだぁ?」
「買いすぎだっての!」
すれ違う兄貴たちが笑いながら声をかけてくれるけど、じゃあ手伝ってよと言ったら「酒場に行くから無理だ!」と明快な返事。妹より酒と女かコノヤローって言っても当たり前だって返ってくるだろうから、諦めて船へと足を進めた。
「わっ!」
「え? ちょ、わああぁっ!」
何かにぶつかってバランスを崩した服たちが地面に落ちる。あぁ、着る前に全部洗濯しなきゃ。溜息を零しながら顔を上げれば、どうやら私がぶつかってしまったらしい相手が尻餅をついていた。その辺りに散乱してるのは本、本、本。私のじゃないから、多分相手のだろう。
「いたた……大丈夫ですか?」
「あ、はい……すみません、前が見えなくて」
盛大に散らばった服を掻き集めながら謝れば、同じように本を集めていた相手が顔を上げてこっちを見る。私より少し歳上だろうか。ずれたシルバーフレームの眼鏡を直しながら、お兄さんが眉を下げて笑った。
「あぁ、ごめんね。僕も前が見えなくて……怪我はない?」
「は、はい……大丈夫です、あの……そっちは?」
「大丈夫だよ、ありがとう」
別に悪く言うつもりはないが、私の兄貴たちは野蛮人だ。見るからに海賊。笑い方はギャハハハなんてガサツなものだし、仕草だって同じ。
目の前にいるお兄さんは、それとは正反対な雰囲気を持った人だった。物静かで知的な感じがするのは、あの船では見慣れないインテリっぽい眼鏡の所為だろうか。それか、拾い集めた大量の本がそう見せているのかも。とにかく、私の周りにはいないタイプの人間であることは間違いなさそうだ。
お兄さんを凝視している間に本を集め終えたお兄さんは、全然終わってない私の服たちを拾い始めた。慌てて私も服を集める作業に戻る。
「はい、これで全部かな?」
「あ、ありがとうございます……すみません、手伝わせちゃって」
「構わないよ、ぶつかってごめんね」
一々優しいお兄さんに顔が熱くなるのが分かった。何か、恥ずかしい。そう、恥ずかしいんだ。照れ臭い。こんな風に優しくされることなんて滅多にないから。マルコだって優しいけど、やっぱり海賊だし、お兄ちゃんだし、私への対応は家族に対するそれであって、初対面の相手に対するそれとは全然違う。
「あ、あのっ、えと……すみませんでした、」
早くここを去ろう。顔は服で隠せてるけど、何か居た堪れない。そう思って頭を下げると、バサバサと地面へ逆戻りする数着の服たち。漂う沈黙。気まずい。恥ずかしい。何これ馬鹿じゃないの私。穴があったら入りたい。誰か私が入れる穴を掘って。
「っ、あははっ!」
現実逃避を始めていた私の耳に届いたのは、楽しげな笑い声。服が落ちた所為で見えるようになったお兄さんは、本を抱えながら楽しそうに笑っていた。
「その量じゃ、一人で運ぶのは大変だよね。ちょっと待っててくれるかい?」
「へ?」
「僕の家、すぐそこなんだ。急いで置いてくるから、運ぶの手伝うよ」
「い、いえいえ! ほんとっ、だいじょうぶですから……っ」
そんな私の言葉も虚しく駆け足で去って行ったお兄さんは、数分もしない内に戻って来た。その手には大きな袋が二枚ある。
「お待たせ、はいこれ」
「、あの……?」
「服、入れた方が運びやすいだろう?」
「ど、どうも……すみません……」
差し出された袋を受け取って落ちた服を袋に詰めると、お兄さんは当たり前のように二つとも奪い取って歩きだした。
「何処まで運ぶの?」
「あ、あのっ、持てます、から」
「いいから。ほら、そっちも落ちちゃうよ」
顎で示されたのは化粧品やらシャンプーやらが入った袋で、慌ててそれを抱え直せば、クスクスと笑ったお兄さんが歩き出す。こっちで合ってる?って言葉にコクコクと頷けば、ほら、行こう?なんて優しい笑みで呼びかけられる。は、恥ずかしい。何か、すっごく、恥ずかしい……!
「あの……えっと……すみません」
「気にしないで、困ったときはお互い様だよ」
「……あり、がとう」
ボソボソと聞き取れるかどうかも分からない小さな声でお礼を言えば、ちゃんと聞き取ってくれたらしいお兄さんはこれまた素敵な笑顔でどういたしまして、だって。つられて笑えば、お兄さんの目が更に細まった気がした。
「へぇ、海賊なんだ?」
「そう……あの、ごめん」
「? どうして?」
「だって………その、怖い、でしょ?」
「ははっ、そうだなぁ……でも、前が見えなくなるくらいの服を抱えてフラフラ歩いて、すみませんなんて頭を下げた拍子に、折角拾い集めた服をまた落としちゃうような子が海賊だって言われてもピンとこないというか……」
「う……」
「違う意味では怖いと思うけど」
「わーっ! もう忘れて!! やだ! 忘れて!」
声を荒らげて訴えれば、お兄さんはまた声を上げて笑う。恥ずかしい。悔しい。言い返せない。ちくしょう。
「今日来たってことは、もしかして白ひげ海賊団?」
「……うん、見えないと思うけど」
「ははっ、ごめんごめん。でもすごいなぁ、世界一の海賊団のクルーだなんて」
あ、あの船がそうだよね?うわぁ、すごい大きい!初めて見たよ!
声を弾ませるお兄さんはさっきより少しだけ幼く見えて、何かちょっと可愛かった。それに、世界一の海賊団って言われると凄く嬉しい。緩んだ顔のままありがとうと言えば、こっちを見て目を丸くしたお兄さんはすぐにまた笑顔を返してくれた。
「ありがとう、助かりました」
「ここで大丈夫?」
「平気。誰か呼んで手伝ってもらう」
タラップの所まで運んでくれたお兄さんにお礼を言えば、気にしないでと頭を撫でられた。驚いて顔を上げれば「ごめん、つい」なんてお兄さんが笑う。家族以外の人に頭を撫でられたのなんて初めてだから、何だか照れ臭くなって俯けば、上から笑い声が降ってきた。
「何だリサ! 男が出来たのかァ!?」
「ち、違うよ! 運ぶの手伝ってくれただけだもん!」
「おーい! リサに春が来たってよ!!」
「マジか!」
「そりゃスゲェ! あのリサをもらってくれる奴がいたなんてな!」
「違うっつってんだろ!! 覚えてろよバカ兄貴共!」
空気を読まずに好き勝手言っては下品に笑う兄貴たちに舌打ちを零して、お兄さんを振り返る。目を丸くしていたお兄さんは目が合うと楽しそうに笑って、何だかそれが悔しくてでも怯えられなかったことが嬉しくて、何かよく分からないけど私も笑った。
「――リサ!!」
離れた所から聞こえた声に振り返れば、マルコが物凄い速さでこっちに駆けてくる所だった。腕とか足とか、所々に青い炎がチラチラ揺らめいてる。
「マルコ!? ど、どうしたの、そんなに慌てて……」
「はぁ……お前が一人でバカみてぇな量の服を持ってフラフラ歩いてるって聞いたんだよい」
あぁ、さっきのクソ兄貴共か。酒場に着くなり言い触らしてくれたんだろう。帰って来たら蹴り飛ばしてやる。
そんな事を考えてる私を余所に、マルコは私の足元にある袋に入った服たちとお兄さんとを交互に見て、溜息をついてから私の頭に拳骨を一つくださった。
「い゛っ……!」
「このアホンダラ。人様に迷惑かけてんじゃねぇよい」
「ご、ごめんなさい……」
「おいアンタ、悪かったな。ありがとよい」
「あ、いえ……」
大量の服が詰め込まれた袋を持ち上げたマルコがタラップを上っていく。その背中を見つめていると、お兄さんがクスクスと笑っているのに気付いた。振り返れば、何が楽しいのか肩を震わせて笑っているお兄さん。
「どしたの?」
「いや……仲良しだなと思ってね」
首を傾げる私の頭をくしゃくしゃと撫でると、お兄さんは「じゃあ僕は帰るね」と背を向けて歩き出す。その背中に「ありがとう!」と大きな声で呼びかければ、振り返ったお兄さんはヒラヒラと手を振り返してくれた。
「………駄目だ」
タラップを駆け上がり、兄貴たちに蹴りを食らわせて部屋に入るとマルコがそう言った。ベッドに腰を下ろして腕を組むマルコは物凄く不機嫌そうで、とてもついさっきまで酒場で楽しく酒を飲んでいたとは思えない。
「そんなに怒んなくたって良いじゃん」
確かに前が見えてなかったけど、向こうだって同じだって言ってたんだからお互い様だと思う。そう訴えれば違うと溜息をつかれた。
「あんな奴、お前にゃ合わねぇよい」
フンと鼻を鳴らしたマルコがこいこいと手招きをする。素直に近寄れば、腕を掴まれてマルコの方へ引き寄せられ、腕の中に収まった。
「……酒場戻んないの?」
「そんな気分じゃなくなった」
その言葉に、私がどれだけ喜んでるか知らないでしょう?
「………優しくていいなと思ったんだけどなー」
足の間に座り込んで足をプラプラさせれば、駄目だと言わんばかりに強く抱きしめられた。
結局あなたに恋してます
「……今日はオヤジのところで寝ようかな」
「バカ言ってんじゃねぇ、ここで寝ろよい」
「ひとり、寂しいもん」
「じゃあ俺と寝りゃ良いだろうが」
言うなりマルコが私を抱えたままベッドに潜り込む。目論見通りの展開にほくそ笑みながら、マルコに擦り寄ってそっと目を閉じるのだった。