顔をぐちゃぐちゃにして泣きじゃくる少女と、そんな少女を抱きしめて笑う男。
人の通りが無いから良いものの、傍から見れば中々に異様な光景である。君たちせめて公園とかどこか邪魔の入らない所にでも移動しなさいよと思わなくもないが、まぁ彼らがそれで良いのなら良いのだろう。見ている分には面白いから何も言わない。
「組頭」
三つの気配が背後に現れると同時に聞こえた声は雑渡の部下、高坂陣内左衛門のもので。何だ?と返事をすると「全て指示通りに」と雑渡が望む答えが返ってきた。今世でも私の部下は優秀だと満足して笑みを浮かべていれば、隣にやって来た部下が雑渡と同じように街路を見下ろして小さな溜息を零す。
「あんな所で」
「お前もそう思う?」
「恥ずかしい人たちですね」
「んー、まぁ良いんじゃない? どうせ――」
どうせすぐに雰囲気ぶち壊されるし。雑渡の言葉は最後まで続かなかった。
どどどど、と地鳴りのようなものが聞こえたと思ったら、遠くから物凄い勢いで半助とリサの方へ駆けていく気配が多数。足元では彼らも気付いたらしく「何だぁ!?」と驚く半助の声が聞こえた。
「レイ………ッ!!!」
「、えっ、あ……伊、作?」
伊作が。留三郎が。
仙蔵が、文次郎が、小平太が、長次が、全速力で駆けてきた勢いそのままにレイに飛び付いた。リサと共にいた半助は邪魔だとばかりに遠くに突き飛ばされている。あ、地面とキスしたよ。雑渡の呟きに高坂が苦く笑った。
「レイ……っ、レイ……!!」
「馬鹿野郎!!」
「何ですぐに帰ってこないんだ!!」
「全くだ! 私たちがどれほど心配したと……っ!!」
「レイーーー!!!」
「うがーー!」
かつての親友たちが我先にとばかりに叫ぶ。押し潰されて苦しげに呻くレイには気付かないらしい。
あーあ、と呟いて雑渡は笑った。
「土井先生、可哀想に」
「それを狙ったんでしょう」
何を言ってるんですか、と呆れたように呟く部下の台詞にニタリと笑い、雑渡は「尊奈門」と背後に控える年若い部下の名を呼んだ。
「はい」
「ほら、戻ってきたよ」
お前の宿敵が――そう言い終わらない内に尊奈門は雑渡の脇を通り過ぎて建物を飛び降りていった。
「土井半助ぇ!! 覚悟おおおぉぉぉ!!!」
「うわあああぁぁっ!! きたあぁぁ!!」
何で今来るんだよおぉぉ!!
叫ぶ半助の言葉はおそらく尊奈門だけでなく、リサを押し潰さんばかりに引っ付いている友人たちにも向けられているのだろう。
「煩い!! 勝負だ!!!」
そう言って木刀を振り回す尊奈門から逃げ回る半助と、そろそろ窒息しそうなリサと歓喜に泣き喚く伊作たち。
「うん、こうでなくちゃね」
「満足ですか?」
溜息とともに隣に並んだ山本の問いに雑渡は「うん」と躊躇うことなく頷き笑う。
「また尊が仕事をサボりますよ」
「その時は給料カットするから良いよ」
高坂の呟きにそう返せば、雑渡を挟んで立つ部下二人が顔を見合わせて苦笑し肩を竦めた。
「尊奈門君! もう止めようって!」
「うるさーいっ!! 私と勝負しろ!!」
「でも出席簿しか持ってないし……」
「何でいつも出席簿なんだよっ!! とにかく勝負しろーーーっ!!」
叫び木刀を振り回しながら半助を追いかける尊奈門を眺め、雑渡はふと口元を綻ばせた。やはりあの方が尊奈門らしい。
そんな雑渡を横目に見てひっそりと笑む山本と高坂もきっと同じことを思っているのだろう。
「伊作も元気になりましたね」
「保健室行くのが楽しみになったよ」
「………貴方までサボらないでくださいね」
山本の小言を聞き流した雑渡は、案外上手くいくものだと笑った。
過去の記憶を持ちながら生まれ変わったことに何か意味があるのだろかと考えた時、雑渡の頭に浮かんだのは一人の少年の姿だった。
彼の死を境に壊れてしまった彼らの世界。どうにもならない厳しい現実に打ちのめされ、とうとう修復出来ないままに終わってしまった過去。
生まれ変わった彼らは再び同じ学び舎にいて、けれど桜井レイだけがいなくて。誰よりも先に再会したのが半助でもなく伊作たちでもなく雑渡だった。そのことに意味を見出そうとして、決心した。
気に入っていたのだ。忍術学園を。あの小さな箱庭で笑っていた彼らを。彼らが学園を卒業した後どんな風に変わっていくのか考えるだけで楽しみだった。現実を突きつけられて絶望するのか、それとも必死に食らいついて生きていくのか。部下ともなった伊作がどんな風になるのか楽しみだった。
それなのに、桜井レイという存在が邪魔をした。
雑渡の楽しみを阻害した。六年生たちの中に深く刻み込まれた親友の存在は彼らの世界を壊してしまった。現実を見た彼らが絶望するかもしれないことは分かっていたけれど、雑渡が望んだのはあんな結末ではなかった。
絶望という名の現実の中で、彼らがどんな風に生きていくのかが見たかった。どんな答えを出すのかが知りたかった。
桜井レイはそれを阻害した。彼らが出すべき答えを、桜井レイという人間が代わりに答えてしまった。到底許せることではなかった。
「君には借りがあるからね」
親友たちと抱き合って泣く少女を見下ろして雑渡は呟く。
少々意地悪をしすぎた自覚はある。不必要に彼女を揺さぶって傷を付けた。女として生きる彼には、独りで生きる彼には雑渡の言葉たちは深く突き刺さったことだろう。
「土井半助ぇ!!」
「もう勘弁してくれぇぇ!!」
生き生きと半助を追いかける尊奈門と、涙まで浮かべて逃げ続ける半助。
着ている服が違えど、その光景は過去に何度も見た光景だ。
あぁ、漸く戻ってきた。心の内で呟いて雑渡はその場に腰を下ろした。
「組頭……」
「個性だよ」
横座りを指摘される前に言い慣れた文句を返せば、溜息を落とした山本は「そうですね」と苦く笑う。
「そのままで結構です」
「お、珍しい」
「変わらないというのは、嬉しいことですからね」
どうぞ、と差し出されたカフェオレを受け取り、プルタブを起こしてごくごくと喉へと流し込んだ。
「苦い。茶の方が良い」
「貴方がカフェオレと仰ったんですよ」
まったく、と溜息を落としながらも差し出される緑茶。カフェオレは高坂に押し付けた。
「それにしても組頭」
「何だ」
「どうして伊作たちに教えたんです? 明日にでもしてやれば――」
「ただの嫌がらせ」
「――だと思いました」
苦笑する高坂の後に山本が「可哀想に」と呟きを漏らした。
親友との再会を果たした彼らは、これから彼女にべったり張り付くのだろう。過去そうであったように。ただでさえ危なっかしくて放っておけなかった桜井レイが女になったとなれば、心配性な彼らがどうするのかは目に見えている。後輩たちだって彼女との再会を喜び離れないだろうことも容易に想像出来る。
半助とリサの二人きりの時間など皆無に等しくなり、加えて半助には尊奈門が付き纏うようになる。昔のように。
「あーあ、土井先生も大変だねぇ」
ニタニタ。ニタニタ。
楽しくて堪らない。
保健委員は不運だと思うし、尊奈門も十分不運だと思う。
それでも雑渡は思うのだ。一番は間違いなく土井半助だと。
「レイ君に惚れちゃったのが運のツキだよねぇ」
「惚れたのが悪いのか、惚れられたのが悪いのか……」
「………可哀想に」
苦笑する高坂と溜息を漏らす山本にニタリと笑みを深めて雑渡は言う。
「良いんじゃない?」
出席簿の角でどつかれて地に伏した尊奈門を見下ろして。
やっと終わったと溜息をついた半助が、抱き合って笑い合う彼女たちに割り込めずに項垂れて。
そんな彼らを雑渡たちは少し離れたところから見下ろして笑う。
「これも一つのハッピーエンドだよ」
雑渡の台詞に同調するかのように、優しい風が彼らの間を吹き抜けていった。