とある曲者の報復


「向いてなかったんでしょうね」

夜だというのにネオンが街のあちこちを照らしている。こんなに明るくちゃ隠密行動なんて出来やしないな、などと、闇に溶けて生きた過去の自分を思い出して苦く笑んだ雑渡は、隣から聞こえた部下の呟きに「うん?」と首を傾げた。

「彼らのことですよ。忍には向いていなかった」
「あぁ、うん。そうだね」

改めて考えるまでもない。即座に首肯した雑渡は手の中の缶コーヒーをぐいと呷った。
たまには飲んでみようかなと無糖のものを選んでみたが、苦い。うえ、と舌を出して呻いた雑渡に一つ溜息を落とした山本がポケットから取り出した何かを差し出してきた。微糖と書かれた缶コーヒーだ。

「飲めないのにブラックなんて買うからですよ」
「気が利くね」

ありがとう、と缶を受け取り、代わりにこれあげると飲みかけの無糖コーヒーの缶をその手に押し付ければ、再度溜息を落とした山本はけれどそれ以上何も言わずにそれを受け取り飲み始めた。昔も今も、有能過ぎる部下である。
プルタブを起こして新しいコーヒーに口を付けるが、やはり苦い。

「私、コーヒー好きじゃないよ」
「飲むの止めなさい」
「ねぇ、カフェオレないの?」
「あとは緑茶しかありません」

じゃあそれ頂戴と言えば「それはどうするんですか」と言いながらも、山本はポケットから取り出した緑茶のボトルを寄越してくれる。
そのポケットどうなってんの?と聞いたけれど「貴方のと変わりませんよ」と素っ気なく返された。二本目のコーヒーまで押し付けられた山本は片手にブラック、片手に微糖のコーヒーを見下ろして三度目の溜息を落とす。

「まぁ、保健委員の子たちが向いてないのは知ってたけどね」
「伊作たちだけではありませんよ」
「皮肉な話だ。忍者を育てる学校に通ったことが原因で忍者になれなくなっちゃうんだから」

飲み慣れた温かい緑茶を喉に流し込んでほうと息を吐けば、隣で山本が「本当に」と呟いて目を伏せる。
誰もが向いていなかった。己の感情を殺し影となって生きることを強要される忍になど、そうそうなれるはずもなかったのだ。どんなに技術を磨こうと、どんなに知識を身に付けようと、心を殺しきれなければ何の意味もない。

「私は桜井レイという人間をよく知らないのですが……」
「会う機会も少なかったからね。そうだな……馬鹿な子だったよ」
「それは話を聞いただけでも分かります」
「学園にはくの一のたまごもいただろう? あの子らからすればいいカモだったと思うよ」

医務室で何度も見た少年の姿を思い出して雑渡は笑った。

「あの子は医務室の常連だったけど、その原因の八割はくのたまだからね。伊作君もよく標的にされてたみたいだけど」

雑渡の記憶の中の桜井レイは、いつだって疲れきった顔をしていた。落とし穴に落ちて薄汚れていたり、妙な薬の混ざった饅頭を食べさせられて青褪めていたり。学年が上がるにつれて必修となる房中術の相手にさせられていたというのは羨ましいと思わなくもないが、薬を仕込まれて強制的に連れ込まれた先で言葉に出来ないほどの恐怖を植え付けられて帰ってきたレイの怯え様を見てしまえば、もう羨ましいとは言えない。好奇心でどんなことをされたのかと尋ねたことがあるが、ガクガクと身体を震わせて真っ青になりながら自らを抱きしめるようにして縮こまる姿に「うん、ごめん何でもない」と頭を撫でて煎餅まで与えてやったほどだ。

「あとは後輩の子たちとかね。ほら、クセの強い子たちばかりだったし」

情報収集の為に同性を相手にすることだってザラにあった時代だ。
実習の相手は基本的に上級生を選ぶことが多いらしく、伊作たちも一つ上だったり二つ上だったりの先輩を相手にしたと聞いた。当然ながら当時の四年生、五年生も上級生を選ぶことになるのだが、如何せん当時の六年生はクセが強すぎた。後輩たちが少しでも『普通』な人間を選ぶのは当然のことであり、そうなると相手はレイか伊作かの二択しかない。他の六年生など恐ろしくて、余程の強者でない限り選ぶことなど出来なかっただろう。

「可哀想に」

しみじみ呟く山本に「ほんとにね」と返して雑渡はボトルを口へと運んだ。
くのたまたちに利用され、後輩たちに利用され。暴露してしまえば雑渡だって一度だけ関係を持ったことがある。致し方ない状況だったのだから不可抗力だと思うが、その時を境にレイが雑渡との距離を取るようになったのも確かで。

「ちょっとやりすぎたかな」
「何の話です?」
「いや、こっちの話」

何でもないない。手を振って誤魔化すがこの部下のことだから信じてはいないのだろう。それでも雑渡に話す気がないのだと悟れば「貴方は本当に変わらない」と疲れたような声で言うだけで深くは聞いてこなかった。有能な部下で頼もしい限りだ。

「何だかんだ言ってもお人好しな子だったからね。頼まれたら断れなかったんじゃない? 土井先生も大変だっただろうねぇ」
「………可哀想に」

しみじみと。本当にしみじみと呟くものだから、雑渡はふと笑みを零して蓋を閉めたボトルをポケットへとしまい込んだ。壁に寄りかかって道行く人たちを眺め、時代の違いを実感する。過去の記憶をほんの少し持った状態だったのならまだ良かったのかもしれないが、何の因果かあの頃の記憶をしっかり持っているのだ。幼い頃は中々馴染めなくて大変だった。精神年齢ばかり高くて扱いづらい子どもだったことだろう。そしておそらくそれは他の人たちにも言えることなのだろうと思う。

「いっそ忘れてれば良かったのに。そう思わない?」
「そうですね……いや、どうでしょう」

肯定しかけて悩み始めた部下に首を傾げれば、ちらりとこちらを見た山本は「また一から貴方を知るのは大変そうなので」と、何とも心外な台詞を吐いてくださった。む、と不機嫌を露にじとりと睨めば、苦笑を浮かべた山本は手の中の無糖の缶コーヒーを飲み干して言った。

「私に限って言えば、持っていて良かったと思いますよ。何もかもを忘れて一から築くのも悪くはありませんが、何もかも忘れていれば良かったと思うほど悪い人生でもなかったので」
「………ふぅん」

そう。素っ気なく呟いて雑渡は山本から視線を逸らした。
何故だろうか、よく分からないけど負けた気がする。別に勝負などしていなかったのに、この歳上の部下にしてやられた気がする。
むぅ、と唸り腕を組んだ雑渡に隣で山本が小さく笑みを漏らしたその時、すぐ近くの居酒屋の戸が開いて誰かが出てきた。

「やぁ、尊奈門」
「、組頭!? 小頭まで! どうして……!」
「取り敢えず、外でその呼び方するのは止めなさい」

あ、すみません!と慌てて口を押さえた尊奈門の目が赤いように見える。一体どんな話をしてきたのやら。

「あの……どうしてここに?」
「お前のことだから、どうせ怒鳴りつけるだけで何も教えずに出てきたんだろう?」
「、あ……!!」

しまったという顔をする尊奈門に「やっぱり」と溜息を落とせば、見るからに焦った様子の尊奈門が「も、もう一度行ってきます!」と再び店の中へ戻ろうとする。パーカーのフードを掴んでそれを止めれば、ぐえと呻いた尊奈門が咳き込みながらこちらを睨みつけてきた。

「げほっ、な、なにするんですかっ!」
「陣内。これ持って帰って」

掴んだフードを山本の方へ向ければ、即座に頷いた山本が雑渡に代わりフードを握る。

「行くぞ、尊」
「で、でも!」
「いいから」

渋る尊奈門を引きずるようにして山本が歩き始めると、尊奈門はちらちらと何度もこちらを振り返りながらも大人しくそれに従って去っていった。その場に一人残った雑渡は、さてあとどれくらいで出てくるだろうかと携帯を取り出して時間を確認する。何だ、もうすぐ八時じゃないかと独りごちると腹が空腹を訴えてきた。飲み屋などが並ぶこの通り。あちこちから漂う食欲をそそる匂いに溜息を落とした雑渡は、携帯をポケットに押し込むと迷うことなく先ほど尊奈門が出てきた居酒屋の戸を開けた。
店員に待ち合わせをしていると嘯いて目的の人物がいる個室へ案内してもらえば、テーブルに並ぶ料理と一人戦っていた半助がぽかんと間抜けな顔で雑渡を見上げ、「次は貴方ですか」と溜息と共に肩を落として向かいの席を勧めてくれた。

「だって先生、中々出てこないから。私もお腹減ったよ」
「助かります。注文するだけ注文して手を付けずに帰ってしまったものですから」

食べきれなかったらどうしようと思ってましたと苦笑する半助に「残して帰っちゃえば良いのに」と言えば、食堂のおばちゃん怖いんですよとわけの分からない返答をもらった。そう言えば学園の食堂のおばちゃんはお残しを許さない人だという話を誰かから聞いたことがある。誰だっただろうか。伊作だったか、伏木蔵だったか。

「お説教は十分ですよ」

はて、と首を傾げていると半助の声が届いた。

「尊奈門君にたっぷり怒られましたから」
「おやおや、土井先生ともあろう人が」
「それだけのことをしてしまいましたからね」

苦く笑った半助がメニューを差し出してくる。料理は十分並んでいるから酒でも頼もうとコールボタンに手を伸ばせば、すっと障子が開いて店員が新しい箸と小皿を持ってきてくれた。ついでに酒を頼み、再び閉じられた障子から向かいに座る男へと視線を戻す。

「ねぇ、土井先生」
「何ですか?」
「いいこと教えてあげましょうか」

ぴたりと箸を止めた半助が視線を上げて雑渡を見る。ニタリと目を細めて笑いかければあからさまに嫌そうな顔で目を逸らされた。

「傷付きますよ、私だって」
「すみません、つい」
「――まぁ、それは良いとして」

良いんですか
良いんですよ

そんなやり取りをして本題に入ろうとすれば、障子が開いて酒が運ばれてきた。ありがとうと礼を言って店員を見送り、雑渡は料理に視線を落としたままの半助を見てから徐に財布を取り出し、中から二つ折りのメモ用紙を出してテーブルに置いた。す、と半助の方へ差し出せば、メモへと視線を向けた半助が探るような目でこちらを見つめてくる。

「あまり人様の事情に口を出したくは無いんですがね」

そう言って目を細めた雑渡とメモとを交互に見やり、半助は箸を置いて背筋を伸ばした。

「何が目的ですか?」
「何が、とは?」
「理由もなくこんなことをする人じゃないでしょう、貴方は」

何が目的ですか。再度繰り返された問いかけに雑渡は片眉を跳ね上げ、やれやれと溜息を落とした。相変わらず向けられてくる探るような視線を振り払うように手を振ってみせるが、半助の警戒は緩まない。

「今の私はただのサラリーマンですよ。貴方が何を警戒しているのかは知らないが、別に大したことは考えちゃいない。ただね、土井先生。それでも私はあの乱世で忍組頭として生きてきた記憶を持っている」

テーブルに身を乗り出し、油断なくこちらを見据える半助に雑渡はニタリと目を細めた。

「貴方たちは私の大切な部下たちを巻き込んだ」

半助の肩が微かに揺れる。

「罪を犯したのは彼らで、罪を犯させたのは貴方たちだ」
「――ならば尚更、何故?」

硬い表情で問いかけてくる半助を見つめ、やがて雑渡はにっこりと笑った。

「ただの同情ですよ。巻き込まざるを得ない状況にしかなれなかった貴方たちへのね。それと――まぁ、レイ君とは色々ありましたから」
「、」

今度こそはっきりと見えた動揺にニタリと目を細め、雑渡はぐいと酒を呷った。箸を持ち冷めてしまった料理を口に運ぶ間も感じる鋭い視線には、半助の感情がいっそ滑稽なほどに篭められている。

「ご心配なく。薬の上での行為だ、彼のことは何とも思っちゃいないよ」
「………貴方ともあろう人が薬に負けたと?」
「くの一って怖いよねぇ、やたら強力なんだもの。あの子はモテモテだったから先生も大変だったでしょうね」

向けられる敵意の篭った視線にニンマリと笑みを返してやれば、数拍の後、小さな舌打ちを零した半助が一気にビールを呷った。苛立ちを隠そうともしない半助の様子にくつくつと喉を鳴らせば、料理の残る皿をこちらに押し付けた半助がメモをぐしゃりと鷲掴む。

「あぁ、一つ言い忘れてましたが、レイ君は――」
「知ってますよ。一度会いましたから」
「おや、それはそれは。一度会っておきながらまだ手に入れてないなんて、さすが土井先生」

さらりと嫌味を吐いてやった雑渡は、ひくりと頬を引き攣らせた半助に機嫌を良くして料理を腹に収めていった。