とある宿敵の鬱憤


届けられた果たし状を見た瞬間、言いようもない感情が胸の中を渦巻いた。
それが怒りだったのか悲しみだったのか、はたまた別の何かだったのかは今でも分からないでいる。




楽しげな笑い声があちこちから聞こえてくる。時折混じる下品な笑い声に顔を顰め、それらを振り切るようにして店員の後に続いて行くと、小さな個室へと辿り着いた。スニーカーを脱いで畳の上に上がれば、腰を低くして店員に「どうも」と頭を下げたおとこが革靴を脱いで向かいの席へと収まった。

「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
「ありがとう」

高校生か大学生か、それくらいの歳頃だろう女の店員に男が微笑み礼を言えば、店員はほんの僅かに頬を染めてはにかみ去っていった。

「気持ち悪い」

躊躇なく吐き捨ててやれば、向かいに座る男は「はは……」とぎこちなく笑う。そんな男を目を眇めて睨め付けた尊奈門は、ふんと鼻を鳴らしながら顔を背けメニューを手に取る。

「中生」
「じゃあ、私もそれで。何か食べるかい?」

スーツの上着を脱いだ男もメニューを手に取り、どれにしようかななんて呟きながらペラペラとページを捲っていく。
メニューを捲りながら目に付いたものを適当に挙げていけば「そんなに食べるの?」と笑いながら男は呼び出しボタンを押した。さして時間も経たずにやって来た先程の店員に注文していく男を、頬杖をついて値踏みするようにじろじろと視線を送る。男の笑顔がぎこちない。

「あの、ね……尊奈門君」

注文を受けた店員が障子を閉めて去った頃、男がこちらを振り返る。ぎこちない笑みを浮かべたままの男をそのままじとりと睨めつけてやれば「う、」と言葉を詰めた男は居住まいを正して殊勝に頭を下げた。

「申し訳ありませんでした」

その謝罪が何を指しているのかは理解しているが、受け取るつもりなど尊奈門には毛頭無い。頭を下げ続ける男を尊奈門は頬杖をついたまま無言で見つめ続けた。耐え切れなくなったのか、チラリとこちらを窺うように見た男は目が合った瞬間「わ、悪かったと思ってるよ!」と目を潤ませて叫んだ。

「君に迷惑をかけたことも、あんな形で決着を付けさせたことも申し訳ないと思ってる! けど……っ、」
「黙れ」

必死に言葉を並べようとする男にただ一言吐き捨ててやれば、男はぐ、と言葉に詰まりバツの悪そうな顔で顔を背けた。

「貴様の言い分など聞くつもりは無い」
「………じゃあ、今日はなんの用で来たんだい?」

視線を合わせないまま男が零す。居心地悪そうに身を揺らした男にふんと鼻を鳴らしたその時、再び障子が空いて店員がビールを持ってきた。ただならぬ空気に気付いたのか、好奇心丸出しで尊奈門と男とを交互に見やりながらジョッキとお通しを並べていく。そんな店員に男はぎこちない笑みで「ありがとう」と礼を紡いだ。
そんな男に構うことなく手元に置かれたジョッキを持ち、ぐいと呷る。乾杯などする気も毛頭無い。最後まで不躾な視線を送りながら店員が去ると、男はこっそり溜息を落として同じようにジョッキを手に取り口へと運んだ。

「この変態が」
「ぶっ、げほっ、ごほっ!」

ビールを口に含んだところを見計らって吐き捨ててやれば、案の定男は無様に咽せた。おしぼりに手を伸ばす男をじとりと睨み、改めて思う。どうして自分はこの男に一度も勝てなかったのかと。気に入らない。全く以て気に入らない。

「そ、尊奈門君……私はべつに、」
「十も歳の離れた男子生徒に手を出し、後生大事にそいつの骨を肌身離さず持ち続けた挙句、同じ死に方をしたいなんてふざけた理由で果たし状を送って来るような貴様を変態と呼ばずに何と呼ぶんだ? クズか? カスか?」
「………すみません」

改めて言葉にしてみると本当にどうしようもない。男自身もそれを痛感したのか、がっくりと肩を落として謝罪の言葉を告げた後はもう反論しようとはしなかった。

「………あの、尊奈門君」
「何だ」
「一つ、聞きたいことが……あの、君、今いくつだっけ?」
「十九だ」
「ちょ、み、未成年がお酒……!」

慌てふためく男を無視してジョッキのビールを一気に飲み干し、やや強めにテーブルに置く。ダン、と音を立てて置いた尊奈門はじろりと男を睨みつけて言った。

「貴様の説教を受ける気はない」
「いや、そうだけど……私、一応教師だし………」
「はっ」

男のぼやきに嘲笑を返せば、大きな溜息をついた男は「美味しくない……」とぼやきながらジョッキを呷る。そんなものこちらも同じだと吐き捨てながらコールボタンを押し、やって来た店員にビールのおかわりを頼む。ついでに男の分も足してやれば、男は「ちょ、ちょっとペース早くない!?」と慌てたけれど、そんなことは尊奈門の知ったことではないので無視した。

「尊奈門君、あの、それで今日は――」
「私は貴様が大嫌いだ」
「………はい、存じております」
「今この瞬間に喉を掻っ切って殺してやりたいと思う」

残念ながら時代がそれを許してはくれないけれど。本当に残念だ。
尊奈門の気持ちを読んだ男が苦く笑うからそれが更に苛立ちを募らせる。

「申し訳ないと思ってるけど、後悔はしてないよ」
「捨てられたくせに」
「、い、たいとこ、つくね……」
「所詮、貴様は伊作たち以下だったということだ」

拗ねたような顔で「分かってるよ」と呟いた男はジョッキの中身を一気に飲み干した。タイミング良く新たなビールが届けられ、先に頼んだ料理がいくつかテーブルの上に並べられていく。いただきます、と手を合わせてから料理に箸を伸ばせば、既に赤みを帯びた顔の男が「行儀いいね」なんて苦笑した。

「ちゃんと分かってるよ」

同じように手を合わせて箸を持った男はこちらを見ないままにそう呟いた。
全て理解している。男は言う。

「そもそもレイが彼らを選ぶことは分かってたしね。私はレイの選択を受け入れるつもりだったし、実際そうした」

いや、違うか。そう言って男は笑う。自分が情けないという顔で。

「受け入れたつもりだったんだ。けど、実際に別れを告げられて、この世からいなくなって、自分が浅慮だったことを思い知らされたよ」

理解はしていたのに。覚悟もしていたのに。
実際にそうなって、思っていた以上にそれは苦しかった。
二杯目のビールをちびちびと飲みながら、酒が入った男は饒舌に自嘲する。何とも無様だと尊奈門は思った。

「それでも何とか生きてたんだけどね……まさか、返されるとは思わなかったなぁ」

ははっ、と眉を下げて笑う男から目を背けて尊奈門はビールを呷った。

”………返して、きますね”

そう言って儚く微笑んだかつての後輩の姿を思い出して苦い気持ちになる。雑渡の言葉が蘇る。皆が皆、罪深い。その通りだ。
桜井レイが帰ってきてしまった。そんなことは欠片も予測していなかったのだろう、男は驚いたと笑う。

覚悟をしていたと言う。
自分以外の誰かを選ぶ日が来るということを。
自分以外の誰かの為に生命を落とす日が来るということを。
もう二度と触れられない場所へ行ってしまうのだということを。

理解して、覚悟をして、予想以上の傷を負ったけれど、生きて、生きて、生きて。

けれど帰ってきてしまった。
二度と帰って来ないと思っていた存在が、桜井レイが、帰ってきてしまった。返されてしまった。

必死に保っていたものが切れてしまったのだろう。
土井半助を生かし続けてきた何かが、桜井レイの帰還により壊れてしまった。

”可哀想に”

今になって分かる。山本のその言葉が誰のことを指していたのか。
あの頃、尊奈門も何となくで理解していた。もう二度と土井半助という宿敵に見えることはないのだろうと分かってしまった。尊奈門が宿敵と認めた男は、どこにもいなくなってしまうのだと。

尊奈門のそれは正しかった。悲しいくらいに、悔しいくらいに的中してしまった。
だからこそ自らの手で引導を渡したのだ。どうしようもなく壊れてしまった男でも、一度は宿敵と認めた相手だったから。
そうするべきだと思った。誰にでも頼めたはずのこの男が選んだ相手が、よりによって尊奈門だったから。あぁ、もう駄目だと思ってしまったのだ。

それがお前の罪だと雑渡は言った。
そしてそれを止めなかったのが自分の罪だとも言った。
尊奈門に行くなと言わなかった。伊作に止めろと言わなかった。それこそが自分の罪だと雑渡は言った。

それならば、一体何が正解だったのか。
どの選択なら罪とならなかったのか。そんなこと、誰にも分かりはしないというのに。

「――幸せになりたいか?」

口をついて出た問いかけ。ハッと我に返るがもう遅い。
向かいの男はぱちぱちと数度瞬いて、それから諦めたように笑った。

「望む資格が私にはないよ。私は多くの人を傷付けすぎた」
「探しているくせに何を言う」
「………そうだね、駄目だって分かってるのにね」

男は笑う。
自分が傷付いた顔をしていることにも気付かないまま。

「幸せなら、それで良いよ」

傷付けすぎたなんて言うくせに、今も尚こうして自分を傷付けていることに気付かないまま。

「だから私は貴様が嫌いだ」
「ごめんね」

やはり。尊奈門は思う。
不運委員長と呼ばれたかつての後輩より、目の前の哀れな男より、自分のがよっぽど不運ではないかと。