桜井リサは焦っていた。
先ほど予期せずして出会ってしまった三人組の姿を振り払うように、息を切らして家へと急ぐ。
どうして。あぁ、どうして。
出会いたくなんてなかったのに。
違う。嘘だ。分かっている。
会いたかった。会いたくて堪らなかった。
しつこく声をかけてきた男たちを追い払ってくれた彼らは、髪型こそ違えどその顔は同じで。
レイ先輩、レイ先輩と無邪気に笑いながら駆け寄ってきてくれた子たちで。
”大丈夫っすか?”
驚き硬直していると覗き込むようにして顔を近づけてきた少年。
”おねーさん、もう大丈夫だよ”
怯えているように見えたのだろうか。安心させるように笑う少年は躊躇なくリサを「おねーさん」と呼んだ。
あぁ、そうだ。俺は女なんだった。彼らにぎこちなく礼を紡ぎながらリサは頭がスッと冷めていくのを感じて。笑みを貼り付けながら彼らにジュースを奢り、再度礼を告げてその場を立ち去った。
怖くて。
怖くて。
ただただ怖くて。
ガチャガチャと慌てた手付きで鍵を開けて家の中へと駆け込んだ。
気持ちを落ち着かせる為に蛇口を大きく捻って手を洗えば、勢いが強すぎた水がはねて服や顔に飛んだ。冷たいはずのそれは熱を持ったリサの身体には生温く感じて。
まるで、あの時の血のようだと、思って。
貫かれた感触や頬に飛んだ血の生温い温度だとか、彼らのぐちゃぐちゃの泣き顔だとかが蘇って。
「――っ、」
吐き気が、した。
分かっている。何もかも自分が悪いということくらい。
”誰よりも罪深いのは、誰だと思う?”
ちゃんと分かっているんだろう?とでも言いたげに寄越された問いかけ。
分かっている。分かっているに決まっている。
あの時だって分かっていた。分かっていたに決まってるじゃないか。心の内で呟いてリサはトイレを出た。胃の中のものが流れていく様を眺めながら、いっそ何もかも全てこうして流れてしまえば良いのにと思う。
彼が想ってくれていたことは知っていた。
だって彼は隠そうともしなかったし、自分も隠そうとはしなかったから気付いていたのだろう。
学生時代からそうだった。教師と生徒という間柄だったけれど、それでも心は繋がっていた。それを断ち切ったのはレイの方だ。
自分が鈍臭い落ちこぼれだということをレイは知っていた。
そんな落ちこぼれはくのたまからもよく標的にされた。彼女たちの標的はほぼ常にレイだった。一年の頃から何度も何度も騙されて、下剤やら妙な薬やらの入った饅頭や団子を食べさせられて。彼らはそんなレイに呆れながらも傍にいてくれた。助けてくれた。
クセの強い友人たちだった。
人間離れした体育委員長、
燃える戦国作法の異名を持つ作法委員長、
ギンギンに忍者している会計委員長、
沈黙の生き字引と呼ばれた図書委員長、
九年目のプリンスと呼ばれた用具委員長、
どうしようもなく不運な保健委員長。
忍者を目指すくせに個性的すぎる彼らは揃ってとんでもないお人好しで、迷惑をかけるだけでしかないレイを見捨てることなくいつだって手を差し伸べ続けてくれた。
くのたまたちに下剤入り饅頭を食べさせられた時には伊作が解毒剤をくれたし、筆記試験で補習になった時には仙蔵や文次郎がつきっきりで勉強を教えてくれた。図書室に行けば長次がレイに合った本を持ってきてくれたし、実技の補習の際には小平太と留三郎が練習に付き合ってくれた。
いつだって手を差し伸べてくれて。
いつだって見捨てないでいてくれて。
そんな優しい彼らが、学園を卒業した後には殺し合わなければならないなんて、耐えられなかった。
いつだって助けてくれた彼らを少しでも助けたいと望んだ。助けられてばかりだった自分が、少しでも彼らを助けたいと思った。
現実は甘くない。分かっている。独り善がりだということも知っていた。
知っていて、けれど割り切れるほどレイは出来た忍者ではなかった。
仙蔵と留三郎がとある密書をそれぞれ追っていることを知った。
このままいけば二人は出会い殺し合うことになる――だからこそ、レイはそれを阻止した。その密書を狙う者の依頼を引き受けて彼らより先にそれを手に入れた。何度も、何度も、何度も。思い返してみれば、よくあんなにも邪魔することが出来たと思う。
少しでも長く生きていてもらいたいと願った。
あの戦に乱れた世界で、ほんの少しでも長く生きていて欲しいと願った。
独り善がりだと分かっていても、それでも、優しすぎる彼らの死ぬ可能性を見過ごすことなど出来なかった。
彼らの生命をほんの僅かでも繋がせることが、彼らに助けられ続けてきた自分の使命だとさえ考えていた。
それがどんなに愚かな考えだと理解していて尚、それを貫くことを決めた。
だから後悔などしていない。何度繰り返したとしても、きっと自分は同じ選択をしたのだろうと思うから。
ただ、それでも。
それでも――、
”幸せになりたいねぇ”
しみじみ呟いた雑渡の言葉が、頭から消えてくれない。
「あっ!」
「っ、え……!?」
懐かしい彼らと思いがけず再会を果たしたその次の日。
タイムセールを目当てにリサは自宅から少し離れたスーパーに来ていた。アルバイト帰りにこのスーパーの前を通った時、貼ってあったチラシを偶然見かけたのを思い出したのだ。一人暮らしをしているこの現状、ほんの少しでも安く手に入れたいと思うのは当然のことである。
近所のスーパーよりも安くなった商品をカゴに入れながら、さてそろそろ会計に向かおうかとしていた所に聞こえた声。それと同時にカゴを掴む誰かの手にリサは足を止めて驚き振り返った。
「この間のおねーさん!」
「、き、みは……」
そこには記憶の中のそれとさして変わらない笑顔でこちらを見るきり丸の姿があった。え、何でここに?と思った直後に聞こえた「きり丸ー?」という声。懐かしい、声。どくん。心臓が跳ねた音がした。
「何だ、知り合いか?」
「昨日話したおねーさんだよ。ジュース奢ってくれたんだ」
心臓が煩くて。
彼らが何を話しているのかも聞こえなくて。
きり丸に何かを言われて驚いた顔をした彼が、こちらを振り向いてぺこりと頭を下げた。
「いやぁ、すみません。何かジュースを奢ってもらっちゃったみたいで……」
「、ぁ……い、え………わ、たしも、助けて、もらいましたから」
声が震える。心臓の音が煩い。手汗が酷い。
どうしよう。何で。あぁ、どうしよう。息が。苦しい。
「おねーさんのおかげで臨時収入もらえましたー!」
あひゃひゃ、とだらしなく頬を緩ませるその笑い方はお金が絡んだ時に見せていたかつての後輩の笑い方と寸分違わぬもので。そんな後輩に拳骨を落とす彼の姿も記憶のそれと全く変わらぬもので。
「ったく……すみません、うちの弟が……」
弟。
あぁ、そうか。
今世では彼らは兄弟なのか。
ぼんやりと考えながらリサは笑みを浮かべた。
「――いえ、仲が良くて羨ましいです」
上手く笑えているだろうか。彼らは顔を見合わせ、ほんの少し照れた様子でまた笑った。
足が震える。平衡感覚が狂ってしまったようだ。世界が揺れている。自分はいま、真っ直ぐに立てているのだろうか。
「おねーさん、名前なんて言うんすか?」
「、ぇ」
「こらっ、きり丸!」
失礼だろういきなり!
えー? 名前聞くくらい良いじゃんかー
そんな二人のやり取りを見ていられなくて目を伏せると、こちらが気分を害したと思ったのか彼が慌てて謝罪の言葉を紡いだ。
「………リサ、です。桜井、リサ」
微かに上擦った声で自身の名前を告げれば、きり丸は「リサさんっすね! 俺はきり丸っていいます。土井きり丸」と朗らかに笑いながら名前を教えてくれた。いい名前だねと返せば、きり丸は嬉しそうに顔を綻ばせている。
「、桜井……」
小さな小さな声で呟いた彼の声に視線を向ければ、硬い表情でこちらをじっと見つめていた彼がぎこちなく口を開いた。
「あの……不躾な質問ですみませんが………」
「、はい」
「………ご親戚に、レイという名前の人は……」
ひゅっと喉が鳴った。
私のその反応は彼らに期待を抱かせてしまったらしい。
「い、いるんですか!?」
詰め寄ってきたきり丸が縋るように見つめてくる。あぁ、どうしよう。しくじった。
必死に頭を働かせてみるが答えが出ない。見つからない。
「、いえ……ごめん、なさい………突然で、びっくりしただけで……」
申し訳なさそうな顔を作りながらそう零せば、見るからに落胆した様子できり丸が「そう、ですか」と肩を落とした。
逃げなければ。ここにいてはいけない。気付かれてはいけない。訴え続けてくる声に従ってもう行くと告げれば、きり丸はぎこちなく笑いながら「すみませんでした」と頭を下げる。
「ごめんね、本当に……その、」
「いや、良いっすよ。こっちこそすみません、変なこと聞いて」
「ううん……じゃあ、」
ぺこりと頭を下げて背を向けると、リサは動揺を気取られないようにレジへ向かって歩きだした。振り返ることなく通路を進み、手早く会計を済ませてスーパーを後にしたリサは自転車のカゴに袋を押し込むと全力でペダルを漕いで家へと急ぐ。
駄目だ。
そんなはずがない。
――レイ……?
聞こえてなんかない。気の所為だ。
絶対、気の所為だ。