とある生徒の困惑


「悪いなぁ、お前たちにまで手伝わせちゃって」

申し訳なさそうに謝る恩師に乱太郎としんべえは「気にしないでください」と笑顔で答えた。
前日の昼休み、何度も溜息を落とすきり丸にどうしたのかと問いかければ、明日は町内会の掃除があるのだときり丸は言った。朝からアルバイトを入れる予定だったのに、とぼやくきり丸は生まれ変わってもお金への執着心は変わらなかったらしい。
それならば少しでも早く掃除を終わらせてアルバイトに行けるように掃除を手伝うと自分たちの方から申し出たのだが、きり丸の実兄はどうせまたきり丸が頼んだのだろうと呟き溜息と共に肩を落とした。

「オレじゃなくて、乱太郎たちの方から手伝うって言ってくれたんだ」
「どうせわざとらしく溜息でもついて見せたんだろ」

じろりと視線を向けられてきり丸が明後日の方を見ながら口笛を吹く。何とも分かりやすい親友に苦笑を漏らせば「やっぱりそうじゃないか!」と半助がきり丸の頭に拳を落とす。

「いっでぇ……!」
「ったく! お前は昔っからちっとも変わらないな!」
「んなこと言って、自分だって全然変わってないくせに。昨日だってせっかく俺が女将さんからお土産もらったのに、練り物があるからってちっとも手付けなかったじゃないすか」

ぐ、と言葉を詰めた半助が苦い顔で顔を逸らす。本当に、ちっとも変わらない恩師と親友だと乱太郎はくすりと微笑んだ。

あの日、保健室にやって来た雑渡から聞かされた桜井レイの存在。
自分たちと同じようにこの時代に生まれ変わったという彼は、それなのに何故か自分たちには会いたくないと言ったらしい。

どうして。乱太郎はそれからずっと考えていた。
何で。あんなに仲良くしてくれたのに。

かつて、乱太郎が属していた保健委員の委員長であった善法寺伊作と仲の良かった桜井レイという六年生の忍たま。
不運委員長とも呼ばれた彼と同じくらい落とし穴に落ちていた彼は、その分怪我をする頻度も多く医務室の常連であった。保健委員として医務室にいることが多かった乱太郎は、他の下級生に比べれば桜井レイという先輩と接する機会が多かった。
乱太郎が覚えている限り、レイはいつだって伊作に怒られていた。何故かいつもフラフラで、バランスを崩して倒れ込んだ先が落とし穴という不運に見舞われることが多かったらしい彼に、伊作が「もっとちゃんとしなよ!」と説教しているのは幼いながら何とも言えない光景だと思ったものだ。

乱太郎たちの担任でもあった半助がレイを気にかけていたことも知っていた。レイが医務室で手当を受けているとどこから聞きつけて来たのか医務室にやって来た半助が、まるで般若のような顔で説教を始めるのだ。「またか!」だの「もっと危機感を持て!」だの怒鳴る半助にレイは疲れきった顔で「せんせい不可抗力ですぼく悪くない」などと呻き、最終的にはびーびー泣きながら「お、俺だってっ、ちゃんと逃げたもん! 後輩使うなんて卑怯だろ!? あんな可愛い後輩を疑えるわけないじゃんかばかああぁぁ!!」とよく分からないことを叫んでいた。一転して慰める立場に回ってしまった半助が「あぁ……うん、分かったから……ほら、泣き止みなさい」と手拭いでぐちゃぐちゃの顔を拭いてやっていたのも覚えている。半助にしがみついて「くの一こわいくの一こわい」とブツブツ呟いていたレイに何となく察して同情してしまってからは、医務室にやって来るレイに「レイ先輩……いつもお疲れ様です」と茶を差し出すようにもなった。きょとんと目を丸くしたレイがおそるおそる伸ばしてきた手の温かさだとかぎこちない手つきだとかは、生まれ変わった今でも覚えている。

そんなレイは卒業してからも学園に顔を出してくれた。
中々来てくれない伊作たちの近況を話しに来てくれるレイは相変わらずぎこちない手つきで乱太郎や伏木蔵の頭を撫でてくれて、変わらないその手の温かさが嬉しくて安心出来て、彼が学園に来ている間はしょっちゅう会いに行っていた。

乱太郎が最上級生となった年。
梅雨明けを間近に控えた日を最後にレイは姿を見せなくなった。その理由が分からないほど幼くもなく、辛く苦しい現実だって知ってしまっていた乱太郎は伏木蔵と共に医務室で静かに泣いた。
レイと親しかった半助の笑顔が作られたものに変わり、ふとした瞬間に空を見上げるようになったことを知っていた。知っていたけど何も言えなくて、何も出来なくて。最上級生なのに無力な自分を何度も悔やしく思ったものだ。

卒業してからは生きることに必死で。ただただ必死で。
学園には何度か顔を出したけれど、そのたびに向けられる後輩たちの無邪気な笑顔を見るたびに、自分が汚いものに思えて仕方なくて。
あぁ、先輩たちは皆こんな気持ちだったのだろう。だからレイほどには学園へ来てはくれなかったのだと。何も知らなかったかつての自分を思い返して苦い気持ちにもなった。

半助が職を辞したときり丸に聞いてから、乱太郎は自分の情報網を駆使して彼の居場所を突き止めた。
再会した半助は細く痩せこけていて、どうしてもっと早く診に来れなかったのかと自分を責めた。もしかしたら手立てがあったかもしれないのに。確実に生命を削っていく恩師に何度もごめんなさいと頭を下げ、そのたびに彼は昔のように頭を撫でてくれた。

人里離れた小さな山小屋に移り住んだ半助の傍らにはいつだって桐の箱があった。

”私の宝だよ”

しんべえの質問にそう答えて微笑んだ半助の表情は、医務室でレイを慰め頭を撫でていた時のそれと同じだった。乱太郎たちと話しながら彼は無意識の内にその箱の蓋を何度も撫でていた。大切なその桐箱を慈しむように、その存在を確かめるかのように繰り返されるその行為は、あぁやはりレイ先輩は死んだのだと突きつけると同時に、半助がいかにレイを大切に想っていたのかを如実に語っていた。
泣いては駄目だ、もう子どもではないのだから――そう思うのに視界が滲んでいくのをどうすることも出来なかった。

”先生たちは……逝ったよ”

一年近く経って再会したきり丸から聞かされた言葉に「そう」と素っ気ない返事をした。

もう長くないと知っていたのに看取ることが出来なかったこと。
きり丸があの箱の意味を知っていたこと。

何もかもが一気に押し寄せてきて、ただただ滲んでいく地面を見つめ続けることしか出来なかった。

「土井先生」
「うん? どうした、乱太郎」

落ちていた煙草の吸殻をトングで拾い上げた半助がこちらを見て首を傾げる。ゴミ袋にそれを放り、再度「どうした?」と覗き込んできた半助の顔は昔と変わらない。具合でも悪いのか?と心配そうに寄った眉も、熱はないなと額に触れた温かくて大きな手も、変わらない。

この人は気付いていないのだろうか。

「――私、喉が渇いちゃいました」

へらりと眉を下げて笑えば、すぐ近くでゴミ拾いをしていたしんべえが「僕もー!」と手を挙げる。「オレもー」ときり丸が同調すると、半助は乱太郎たちをぐるりと見回してあの頃と同じように仕方ないなと笑った。

「あっちに自販機があったから買って来なさい。ほら、きり丸」

取り出した財布から小銭をいくつか掴んできり丸に渡す半助に、きり丸が「でへへ! 奢り! 奢り!」と嬉しそうに笑う。

「行こうぜ! 乱太郎、しんべえ!」
「うん!」
「あ、待ってよー!」

走り出すきり丸としんべえに続いて走り出した乱太郎は、数メートル走った先で何となく足を止めた。振り返ればゴミ拾いを再開する半助の背中が見える。あの頃より少しばかり歳が近くなったものの、変わらず大きく見える背中。あの頃からずっと見つめ追いかけ続けてきた背中だ。父親のような、兄のような――時に優しく時に厳しい教師は、きっとこれからも生徒である自分たちには本心を見せようとはしないのだろう。

これは我儘なのだろうか。
見せてくれたら良いのに、と思うのは。

”――大丈夫だ、乱太郎。また会えるよ”

乱太郎を安心させる為の笑顔や言葉じゃなくて、半助自身の本心を見せて欲しいと思うのだ。

「らんたろー! 早く来いよー!」
「――うん! 今行く!」

再び走り出した乱太郎たちは、辿り着いた自動販売機の前で一人の少女と出会った。
しつこいナンパに辟易していた少女を助け出し、「助けてくれたお礼」と言ってジュースを奢ってもらった。名前も名乗らず去っていった少女は初めて見る顔なのに、何故か懐かしいような感覚を覚えて。

「きり丸、しんべえ」
「んー?」
「なぁにー?」

儲け!と半助からもらった金を財布にしまうきり丸と、早速ジュースを飲み始めるしんべえに呼びかければ、二人は首を傾げて乱太郎を見る。

「あの人……どこかで会ったことない?」
「はぁ?いやぁ……オレは見覚えねぇけど」
「うーん、僕も知らないなぁ……いつ会ったの?乱太郎」
「いや………分からない、けど……」

首を捻り、乱太郎は少女が去っていった方向をじっと見つめ続けた。