「貴方は変わりませんね」
呆れたような声で言いながら目の前におしぼりや箸を並べていく少女に雑渡昆奈門は「まぁね」と笑った。
「そうそう変わるもんじゃない」
「そうですね、少しは変わっても良いと思いますけど」
立ち上がった少女は営業スマイルを浮かべて雑渡の手元にあるコールボタンを指す。
「ご注文がお決まりになりましたら、そちらのコールボタンでお呼び下さい」
失礼しますと言って去っていく少女の背を見送ると、向かいから溜息が聞こえてくる。過去も今も雑渡の部下である諸泉尊奈門だ。
「どういうおつもりですか、組頭」
「何が」
「あんな奴らに関わったって、良いことなんかありませんよ」
そう吐き捨ててメニューへと手を伸ばした尊奈門の怒りは尤もだ。言うなれば一番の被害者でもあるのだから。
「尊奈門、お前はどうして彼らを弔ってやったんだ?」
「弔ってなどいません。腹が立ったから暗い穴に捨ててやっただけです」
顰め面のままメニューへ視線を落とす尊奈門は雑渡を見ようとはしない。心を読まれることを厭ってそうしているのだろうが、こうも表情に出ていては隠すもへったくれもない。バレバレだ。
そもそも、あんな陽当りの良い場所に埋めておいて何が暗いというのか。
「『どうしようもない馬鹿が二人』」
「、」
ぎくり。そんな文字が肩を揺らした尊奈門の背後に見えた。
「お前も大概だけどね」
答えない尊奈門の手からメニューをひょいと取り上げてどれにしようかと眺めていると、向かいで尊奈門が何事かを小さく呟いた。その声は聞き取ることは出来なかったけれど、まぁ大体の想像はつく。
「私はね、尊奈門。彼に同情しているよ」
「……‥土井半助ですか?」
「結局、彼はただ捨てられただけだからね」
捨てられた。それは何よりも的確に半助を言い表しているのだろう。
桜井レイという人間は土井半助を捨てたのだ。そこにどんな思惑があろうがその事実は変わらない。
「レイ君は土井先生より伊作君たちを選んだんだよ」
だからこそレイはフリーの忍者となったのだから。
卒業するずっと前からレイは選んでいたのだ。
想いを寄せてくれていた半助ではなく、伊作たちを。
想いを寄せていた相手ではなく、親友たちを。
「………だから、どうしようもない馬鹿なんですよ」
「そう。あの子は考え足らずのただの馬鹿だ」
あの乱世の中で、レイのしたことは無意味だった。レイよりも長く乱世を生きた雑渡は思う。
忍術学園という箱庭の中でぬくぬくと平和に育った彼には分からなかったのだろう。自分の選択は正しいと思い込んでいたのだろう。
現実はそう甘くなど無いということを、あの少年は知らなかった。
”良いのかい? 親友なのに”
”親友だからこそです”
雑渡の問いにそう答えた伊作の方がよっぽど現実を知っていた。
他の六年生たちも皆知っていた。レイだけが知らなかった。知ろうとしなかった。
討ち取った証として持ち帰ったあの生首が腐り落ちて骨だけになるのを、伊作はずっと見つめていた。そんな伊作を雑渡も尊奈門も見ていたし、愚かだと思っていた。それを口にしなかったのは優しさからくるものではない。言うまでもなく伊作自身が理解していると分かっていたからだ。
”…‥…返して、きますね”
骨だけとなったレイを抱えて儚く微笑んだ伊作を「行ってらっしゃい」と見送った後、小頭の山本陣内は言った。
”可哀想に”
その言葉が誰に向けたものなのかは、雑渡にも分からなかった。
その言葉が似合う人間が多すぎたのだ。
伊作も。彼の友人たちも。半助も。レイも。
誰も彼もが可哀想で、誰も彼もが愚かだと思った。
生まれ変わった今、こうして再び全員と再会を果たして雑渡は思う。
「誰よりも罪深いのは誰だと思う?」
そう問いかけると尊奈門は難しい顔で腕を組み考え込んだ。その様子をちらりと見てから再びメニューへと視線を戻す。もう前回と同じで良いかとコールボタンへ手を伸ばそうとすると、顔を上げた尊奈門が難しい顔のまま尋ねてきた。
「分かりません。組頭は誰だと?」
身を乗り出して真剣な顔で問いかけてくる尊奈門にふと笑みを零し、雑渡はコールボタンを押した。
「あっ! 私まだ決めてませんよ!」
「もう前と同じで良いよ」
「えー! 折角だから他のにしましょうよ! 貸してください」
「残念。もう来ちゃったよ」
ほら、とこちらにやって来る少女を指して言えば、尊奈門はむすっとした顔で唇をひん曲げた。
「お待たせしました、ご注文をお伺いします」
「この間と同じの」
「分かりません。ご注文をどうぞ」
ちぇ。呟いて雑渡は尊奈門に注文を促した。
メニューを捲りながら尊奈門が前回と同じメニューを量を減らして注文していく。
「かしこまりました、少々お待ちください」
復唱を終えて立ち上がった少女――かつての桜井レイの手を掴むと、その拍子に伝票が手から滑り落ちた。少女が嫌そうにこちらを見てくる。性別と共に姿形も少しばかり変わっているが、あの頃と変わらない表情を浮かべる少女はやはり桜井レイ本人だ。
「君は変わらないね」
「………そう変わるもんじゃないって貴方が言ってたでしょう」
「少しは変われば良かったのに」
そう言ってニタリと笑えば、レイ――今世でリサという名を持つ少女は不機嫌を隠しもせずに空いている方の手を広げた。
「変わりましたよ。ほら、女の子」
「中身の話だよ」
「貴方が変わったら私も変わるかもしれませんね」
「少しくらい利口になれば良かったのに」
ぐ、と。リサが拳を握りしめて黙り込む。ぎゅっと寄せられた眉根や逃げるように逸らされた顔に雑渡は目を細めて笑った。
ねぇ、リサちゃん。そっと呼びかければ、リサは益々顔を背けて耐えるようにぎゅっと唇を引き結ぶ。
「誰よりも罪深いのは、誰だと思う?」
「……………俺だと、そう言いたいんでしょう」
吐き捨てられた言葉を鼻で嗤い手を解放すれば、リサは掴まれていた部分を強く擦りながら伝票を拾い立ち上がると素早くこちらに背を向けて行ってしまった。その後ろ姿を眺めながら浮かべた嘲笑に尊奈門が「組頭」と雑渡を呼ぶ。
「一番なんてないよ」
「え?」
「考え足らずのあの子も、あの子の骨を返してしまった伊作君たちも、お前を巻き込んだ彼も、誰も彼もが罪深い」
冷やを口に運び、雑渡は黙り込んだままの尊奈門をひたと見据える。
「もちろん、彼の願いを聞き入れたお前も同罪だ」
「、」
「まぁ……そんなお前たちを止めなかった私も、十分罪深いがね」
時代の所為。その一言に尽きるのだろう。
けれど、その一言で済ませるには彼らは傷付き過ぎた。仕方ないのだと達観出来るほど雑渡も出来た人間ではない。
誰も彼もが未熟で、未完成で、失敗ばかりを繰り返す。
「………組頭は、どうするおつもりですか」
「別に何も」
「ですが、現にこうして――」
言葉を切った尊奈門へ視線を向ければ、尊奈門は何とも言えないような顔でこちらを見ていた。雑渡の考えを理解したのだろう。理解して、けれどそれを受け入れるのが嫌だという顔をしていた尊奈門は、たっぷり沈黙を守った後、それはそれは大きな溜息を吐き出した。
「…………組頭の目的は何ですか」
「何、可愛い部下の野望を果たさせてやろうと思ってね」
「それだけじゃ無いでしょう」
「優しいだろう? 私は」
有無を言わせない笑みに、やがて尊奈門はぐっと寄せていた眉を困ったように下げてぎこちない笑みを浮かべて。
「――はい、貴方の部下になれた私は幸せ者です」
そう言った。
「お前は次のボーナスカットだ」
「えぇっ!?」
「棒読みだった」
「そんなぁ!!」
「お客様、申し訳ありませんが他のお客様のご迷惑になるのでお静かに」
炭を持ってきたリサに注意されてぐっと言葉を詰めた尊奈門が恨めしげにリサを睨む。
「元はと言えばお前が……っ!」
「駄目だよ尊奈門。店員さんに当たらないの」
「そうですよ、リサこわい」
「何がこわいだ気色悪い!」
「雑渡さん、私は酷く傷つきました。諸泉さんのボーナスを慰謝料として私にください」
「考えとくよ」
「組頭!!?」
そんなやり取りにふと笑みを零して、雑渡は思う。
今は乱世ではない。敵対する必要もない。あの頃のような悲しみなど、この平和な世の中では味わう必要はないのだから。
「幸せになりたいねぇ」
ぽつりと漏らした言葉に尊奈門とリサがぎょっと目を見開いてこちらを凝視してくる。
「く、組頭……?」
「大丈夫……?」
「君たち私を何だと思ってるの」
あと尊奈門、お前来月の給料三分の一カット。
そう告げながら失礼なことを口にした少女を引き寄せて額を弾いてやれば、尊奈門の悲鳴とリサの呻き声が重なった。