とある弟の切望


摂津のきり丸は独りだった。
戦で住んでいた村も家も家族も焼かれ、幼くして天涯孤独なんていう理不尽を強制された彼はそれでも強く逞しく生きた。必死に稼いだ金で忍術学園に入学してからは友人にも恵まれた。いつだって助けてくれる頼れる先輩たちもいた。

”お帰り、きり丸”

長期休暇のたびに家に住まわせてくれたのは担任でもあった土井半助だ。血の繋がりなんてないのに、ただの担任の先生でしかないのに、彼は家に帰るたびにそう言ってきり丸に笑いかけてくれた。

一年は組に在籍していたきり丸は、友人たちと共に事件に巻き込まれることも少なくなかった。一年は組の事件遭遇率は学園一だとさえ言われていたのだから、教師たちはさぞかし骨を折ったことだろう。けれど、どんな事件に巻き込まれても教師たちは助けに来てくれた。時には上級生の先輩方が助けに来てくれた。
彼らに出来ないことは無いのだと、そんなことを思ってしまうくらい彼らの存在は大きかった。

頼りになり過ぎる上級生――特に最上級生の中で、けれどたった一人だけ。きり丸が頼りにならないと思う先輩がいた。六年は組に在籍していた桜井レイという忍たまである。
ある時には四年生の綾部喜八郎が掘った落とし穴に落ち、ある時にはフラフラと覚束ない足取りで歩いて滑って転んでいた。きり丸が見かける時は、彼はいつだってそんな有様だった。この先輩大丈夫かな?と当時一年生だったきり丸が心配になってしまう程には、彼は最上級生らしかぬ人だった。

不運な保健委員長も中々アレだと思っていたが、そんな彼に世話を焼かれたり怒られたりしているレイを見てしまってからは、桜井レイという六年生はきり丸にとって「頼りにならない先輩」となっていた。最上級生のくせに半助に正座させられて説教されて、時には拳骨やら出席簿の角やらを頂戴する姿は自分たちと変わらないではないかと呆れてしまったものだ。

最上級生のくせに頼りにならない桜井レイは委員会に属していなかった。
疑問に思い友人たちと他の上級生に尋ねてみると、曰く「小松田さんが委員長になったらどう思う?」という返事が返ってきた。恐ろしくて考えたくもないと答えれば、それが理由だと苦笑いされた。つまり、桜井レイという人間はへっぽこ事務員の小松田秀作と似たり寄ったりな人間だということだ。よく進級できたな、と感心したのも記憶に懐かしい。

そんな彼ときり丸は殆ど会話をしたことがなかった。
鉢合わせれば挨拶くらいはしたが、彼はいつだってフラフラで落とし穴に落ちたり先輩や教師に怒られていたり。到底話の出来る状態ではなかったからだ。他の先輩方と話をしている間も彼は伊作や半助に説教されていたし、時には六年生全員がずらりと並んで正座する桜井レイを説教しているのも見たことがある。
五年生や四年生とはいくらか交流があったようだが、それでもやはりきり丸や他の下級生たちは話したことは殆どなかった。

春が来て卒業していった六年生たちは、また来ると約束したのに夏が過ぎても来なかった。
城仕えは慣れるまでが大変だからなぁと山田伝蔵先生や半助が言っていたから、仕方ないのだろう。半年が過ぎた頃、一番最初に忍術学園を訪れたのは驚くことに桜井レイだった。久しぶりと笑う半助に「俺もう駄目死ぬ先生助けて」と相変わらずフラフラの足取りで寄っていって抱きついていた。

他の先輩たちは元気だろうか。聞きたい。けれど話したことがないから聞きづらい。
苦笑混じりに相槌を打つ半助にブツブツと愚痴を連ねていくレイを遠巻きに眺めることしか出来なかったきり丸たちは、一頻り愚痴を吐き出し終えたレイの「そう言えば仙蔵に会って」という言葉を聞き逃さなかった。きり丸たちが聞きたかった話題を挙げたレイに一目散に駆け寄った。

”先輩たちは元気ですか!!?”

それほど必死の形相だったのか、はたまた詰め寄ったのが大勢いたからか。「ひいぃ!!?」と悲鳴を上げながら半助にしがみついたレイの顔は、在校時、半助や六年生たちに説教されていた時の青褪めた顔と同じだった。

レイはきり丸たちが聞きたかった先輩たちの話をしてくれるようになった。
学園を訪れるたびに誰々に会ったと話して聞かせてくれたから、きっと先輩たちに遭遇するたびに教えに来てくれていたのだろう。話したことがなかったきり丸たち下級生にそんな優しさをくれたレイと、どうしてもっと早く話をしなかったのかと後悔した。

驚いたことに、レイは全ての生徒たちを知っていた。名前も顔も委員会でさえも把握していた。
曰く他の先輩方が自慢をしていたのだと。耳にタコが出来るくらいしつこく聞かされていたのだと言う。嬉しくないわけがない。頬を緩めたきり丸たちに、レイは拗ねたような顔で「俺も委員会に入りたかったなぁ」とぼやいた事がある。

”いや、入ってたことはあるんだよ。けどな、なーんか俺がやることなすこと全部アイツ等が駄目出しするわけだ”

最上級生となり生物委員会の委員長となった竹谷八左ヱ門は言った。

”そりゃ、レイ先輩。いっそ放し飼いしちまおうぜなんて言って毒虫逃がそうとしたら誰だって止めますよ”
”だって勝手に逃げるんだから、もういっそ開放しといた方が良くないか? 勝手に戻ってくるようになるって。キソウホンノウを養うんだよ”
”帰巣本能は養えませんから。言葉間違ってます”


あれ、そうだっけ?と笑うレイに、火薬委員会顧問の半助は言った。

”お前が火薬委員会の委員長になったりしたら、学園は一晩で崩壊する”
”土井先生! いくら何でも言い過ぎですよ! 俺だってちゃんと出来ます!”
”どの口が言うんだ!! お前の所為で今まで私がどれほど……っ!!”
”ひぃででででで!!”


青筋いっぱいの半助に頬を抓られて涙目になるレイに、あぁこの人ほんと駄目だなと思ったのは内緒である。

レイはフリーの忍者らしい。
それを知ったのは卒業してから一度も学園を訪れなかった先輩方が漸く学園を訪ねてきてくれた時だ。話に聞くだけじゃつまらない、会いたいという誰かの呟きをちゃんと覚えていてくれたのだろうか、次に来た時にレイはきり丸たちが会いたくて堪らなかった先輩方を連れてきてくれた。
疲れた顔をしていた彼らはそれでも昔と変わらぬ笑顔を向けてくれて。相変わらずレイは彼らに説教を受けていて。

”お前またうちの城の邪魔をしてくれたな”
”私の所もだ!”
”………もそ”
”雑渡さん笑いながら怒ってたよ”
”ったくお前は……”
”フリーだからって敵作り過ぎんじゃねぇっての”


呆れたような、どこか心配しているような。先輩方の表情の意味が分からなくて。「だーってそうしないと戦争になっちゃうじゃんかー」なんてヘラヘラ笑うレイの言葉にぐっと眉根を寄せて黙り込む先輩方の事情なんて全く分からなくて。

”………無茶しすぎるなよ”

そう言ってレイの頭をくしゃりと撫でた半助の気持ちも、きり丸には分からなかった。

レイが連れてきてくれてから先輩方は何度か学園を訪れるようになって、昔のように楽しく話をして。それはきり丸が進級してからも変わらなくて。先輩方が笑っていて。レイも笑っていて。自分たちも笑っていて。これからもずっとそれが続くのだと思っていた。

現実はそう甘くないと、そう思い知ったのはきり丸が最上級生になった年の梅雨明け。
数日前に学園を訪れたレイが半助と何やら話をしているのを見かけた。何を話しているのかまでは分からなくて。ただ、いつになくレイが困ったように笑っていて。去っていくレイを見送る半助が何かに耐えるようにグッと拳を握りしめて俯いていて。

嫌な予感が、した。

それきりレイは学園を訪れることはなかった。
半助はいつも通りに授業をしていて、笑っていて。けれどふとした瞬間に空を見上げるようになって。

”土井先生、レイさんは今度いつ来るんでしょうか”

学園に来る内に仲良くなったらしい下級生たちが半助に尋ねているのを偶然見て、きり丸は気付いた。漸く気付いた。

”さぁ……いつになるんだろうな”

困ったように笑う半助が、生徒たちを見送った後に浮かべた表情を見て。
あぁ、そうか。レイは死んだのか、と。
同時に半助のレイへの想いも気付けたのは、長期休暇も半助と共に過ごしたきり丸だから出来たことなのだろう。

学園を卒業してプロの忍者として生きるようになって、きり丸は現実を知った。
それはとても辛く悲しいことばかりの現実で、けれど必死に生きた。生きなければと思った。

卒業をすると同時に半助の家を出たきり丸が再び慣れ親しんだ家を訪れたのは、数年ぶりに訪れた忍術学園に半助の姿が無かったからだ。聞けば病にかかり職を辞したのだと言う。
どうして教えてくれなかったのかと思うと同時に、そう言えば連絡手段が無かったのだと考え足らずだった自分を恥じた。
数年ぶりに訪れた長屋の一室は既に引き払われていて、隣のおばちゃんに聞けば療養の為に少し前に引っ越したのだと悲しげな顔で教えてくれた。

忍務の合間に半助を探した。
乱太郎やしんべえとも連絡を取り合って、必死になって探して。探して。探し回って。

”何だ、もう見つかってしまったのか”

再会した半助は笑っていた。
病の所為か頬が痩けていて、手もすっかり細くなってしまっていて。
けれど立派になったなと撫でてくれた手の温かさは変わらないままだった。

きり丸たちは時間を見つけては半助の元を訪れた。
半助の傍らには常に古い桐箱があって、しんべえが一度「それ、何が入ってるんですか?」と尋ねると半助は優しい笑みを湛えて桐箱をそっと撫でながら「私の宝だよ」と囁いた。

その桐箱の中身が気になったけど、それ以上何も聞くことは出来なかった。
ただ、何となく。幸せそうに微笑んだ半助を見て良かったと思った。

その後きり丸の仕える城が敵城と戦を始め、半年経って漸く半助の家を訪れると彼はもういなかった。
家の中はガランとしていて、ここ数ヶ月誰かが住んでいたような形跡は無かった。まさか、と思って家を飛び出せば、すぐ近くの小高い山の頂上に小さな小さな石があった。

『どうしようもない馬鹿が二人』

荒く削られた文字はどう見ても墓石にしか見えなくて。それを掘った人物が誰なのかは分からないけど、その荒々しさから酷く怒っていたのだろうということは推測出来た。

あぁ、そうか。先生は死んだのか。

理解した瞬間涙が頬を伝って。
もう一人は誰だろうかと考えて浮かんだのは例の桐箱で。

”私の宝だよ”

窶れた顔を幸せそうに綻ばせた半助を思い出して、全て理解した。

生まれ変わったきり丸は、摂津のきり丸ではなくなっていた。

「きり丸君、これよろしくね」
「はーい!」

受け取った料理を客の元へ届けて、きり丸はふぅと一息ついて店内を見回す。
きり丸の胸には彼の苗字である『土井』の文字が刻まれている。

生まれ変わった今世でも両親は早くに亡くなってしまった。けれどきり丸は独りではない。

「お疲れさん。きり丸君、ほらこれ持ってお行き」
「えっ、良いんすか!? ありがとうございます!!」

中学生のきり丸を雇ってくれる所は無く、何度も頼み込んで漸く了承してもらえたこの小さな小料理屋はきり丸の大切なアルバイト先だ。強面の大将も女将も優しくて、こうして仕事終わりによくお土産を持たせてくれる。
店を出て学園へ帰りながら携帯を確認すれば、時刻は夜の七時を過ぎたところで。たった二、三時間では大した稼ぎにもならないが、ゼロよりはマシだ。メールボックスを開けば兄からメールが入っていた。

『町内会の掃除は来週の土曜日。朝九時から』

「うげぇ……朝からバイト入れようと思ってたのになぁ」

ぼやきながら携帯をポケットにしまい、きり丸は急ぎ足で学園へ向かった。

平和な時代に生まれ変わり、また皆で一緒に笑い合う今、きり丸には気がかりが一つだけある。
桜井レイ。彼は今どこで何をしているのだろうか。生まれ変わっているのだろうか。この世にいるのかどうかすら分からない。
幼い頃から外に出るたび、さり気なく辺りを見回していた兄が何を探しているのかなんて考えるまでもない。きり丸だって同じように探しているし、それはきっと学園中の誰もがそうしているのだろうと思う。

どうか。どうか彼が同じように生まれ変わっていますように。
いつもと同じように笑う兄の、あの時のような幸せそうな顔が見たいのだ。今度は生きたまま兄の傍にいて欲しいと思う。

どうか。どうか。
すれ違う人々の顔をさり気なく確かめ、きり丸は肩を落とし兄たちの待つ学園へと帰っていった。