善法寺伊作は保健委員会の委員長だ。
善法寺伊作は前世でも保健委員会の委員長だった。
前世では不運で、
今世でも不運で。
前世は忍で、
今世は普通の学生だ。
伊作が通う大川学園は前世で忍術学園に通っていた生徒たちが通う学園である。
前世で忍術学園に通っていた忍たまは今世でも大川学園で学生として日々を過ごしている。
変わらない。
前世も今世も同じだ。
たった一つ。
桜井レイという人物が在籍していないという点を除けば、だが。
「会いたくない、って……レイが言ったんですか? 本当に?」
目の前で茶を啜るかつての上司に詰問すれば、雑渡は伊作を気遣う風でもなくあっさり頷いた。
「”会いたいかい?”って聞いたら”別に”だってさ。あの子らしいよね」
どうして。何で。疑問ばかりが浮かぶ。
最後に見たレイの姿を思い出して、伊作はぐっと拳を握り込んだ。
「そんなはず、ありません」
ない。有り得ない。
それなのに雑渡は言う。あの子が言ったんだよ、と。
「、何か、理由が、あるはずです」
「そうだねぇ、何か理由があるかもしれないね」
他人事のように飄々と言ってのける雑渡に唇を噛みしめていれば、小さな手が伊作の手に触れた。ハッとして下を見れば、今にも泣き出しそうな乱太郎の顔とぶつかる。
「伊作先輩……また、会えますよね………?」
「乱太郎……」
「だって……っ、あの人が会いたくないなんて言うはずないですよねっ? だって、だって……っ、土井先生!」
伊作の手を痛いほどに強く握った乱太郎が自身の担任を振り返る。つられるように伊作も振り返り、そして息を呑んだ。
「……どうして」
どうしてそんな顔をするんですか?
納得なんて出来るはずがないのに。
どうして受け入れようとしているんですか?
受け入れられるはずがないのに。
「っ、土井先生……!」
縋るように発した乱太郎の呼びかけに、半助が静かに目を開く。
俯かせていた顔をすっと上げて、視線が乱太郎に向けられて。
「――大丈夫だ、乱太郎」
常と変わらぬ笑顔で。
ちっとも堪えていないという顔で。
さっきまであんな顔をしていたくせに。
辛くないわけないのに。
「また会えるよ」
「土井、せんせ……」
「――っと、そろそろ職員室に行かないと。委員会頑張れよ」
伸びた半助の手は、縋るように伸ばされた乱太郎の手を取ることはせず、そのまま先へ進み乱太郎の頭をくしゃりと撫でた。
”土井先生。貴方は今、何を考えているんですか?”
口を開きかけて、けれどそれを尋ねることは出来ずに口を噤む。
医務室を出ていく半助を見送る伊作の脳裏に、到底忘れることの出来ない出来事がフラッシュバックする。
血に染まったレイ。
笑いながら逝ったレイ。
それを強要したのは他でもない伊作たちで。
”――僕は、首を持っていくよ”
べっとりと血の付いた刀で断ち切った。
伊作は首を。
立花仙蔵は右腕を。
潮江文次郎は左腕を。
中在家長次は右足を。
食満留三郎は左足を。
七松小平太は胴体を。
親友だったはずのレイを殺して、解して、それぞれ持ち帰った。
それが任務だったから。
それが、忍である彼らが選んだ道だったから。
”俺、選べねぇわ”
六年生でただ一人、レイだけが選ぶことを拒んだ。
”お前らより大事だと思えるトコ、ねぇんだもん”
だから、レイ一人だけがフリーの忍者となった。
城仕えを拒み、仕事を選んで行っていた結果、レイは伊作たちが仕えていた城から反感を買った。
伊作も、仙蔵も、文次郎も、長次も、留三郎も、小平太も、誰一人として逆らうことなど出来るはずがなかった。
伊作に限って言えば、選ぶことは出来たのだろう。
心を砕いてくれていた上司は、伊作に選択する余地を与えてくれたのだから。
けれど伊作は選んだ。自分がそれをすると。
”良いのかい? 親友なのに”
”親友だからこそです”
他の誰にもそれをさせたくなかったから。
きっと、他の友人たちもそう考えると思ったから。
伊作たちは、自らの意思でレイを殺すことを選んだ。
降りしきる雨の中、彼らはレイを殺した。
それぞれが仕える城主からの命令で、親友を殺した。
頬を伝うのが雨なのか涙なのかも分からぬまま、彼らは我武者羅に武器を振るった。
至近距離で見える友人たちの顔はぐちゃぐちゃで、自分もそうだと分かっていて。
”ははっ、お前らヒデェ顔してんぞ”
レイだけが、笑っていた。
消えない。
刀でレイを貫いた感触が。
そこから流れ出て手に伝った血の色が。
密着させた身体から失われていく体温が。
食いしばった歯の隙間から聞こえる友人たちの呻き声が。
いつまでも耳に残っていて。
”生き、ろよ”
最期まで笑っていた親友は、最期まで自分以外の人間のことを考えていた。
自分だって生きたかったくせに。共に生きたいと願った相手がいたくせに。
討ち取った証を、伊作はいつまでも捨てられなかった。
肉が腐り落ちていく様を、ただただ見つめていた。
漂う腐敗臭に鼻を覆うことすらしなかった。
ただただ、レイだったものが剥がれ落ちて骨だけになるのを待った。
友人たちと会ったのは、その後ただ一度だけだ。
時が経ち、骨だけになったレイの首を持って行った。
友人たちも同じだった。誰が言うでもなく、示し合わせたかのようにレイを所持し続け、骨だけとなったあの日に再会した。
”――お返し、します”
六つに分かれた骨を一つにして。
伊作たちは彼にそれを返した。彼に返さなければと思っていた。
”……………お帰り、レイ”
骨だけとなったレイを腕に抱き、彼は小さな声で囁いた。
その後、レイがどうなったのかは知らない。
ただ、彼がその後どうなったのかは知っている。友人たちの中で、伊作だけが知っている。
病を患った彼は職を辞して姿をくらませた。レイの骨と共に。
そして数年後、初めて彼から果たし状が届いたのだ。ずっと彼を倒すことを野望としていた相手に。
病に冒され、いつ死んでもおかしくない状態だった彼は当然ながらあっさり負けた。ひたすらに鍛錬を続けていた相手に敵うはずもなかった。
”ありがとうございました”
変色した血をべっとり付けて帰って来たその人物に、伊作はただ感謝の言葉を紡ぎ頭を下げることしか出来なかった。
彼の気持ちを汲んでくれたのだろう。納得のいかない勝敗に顔を歪ませながらも、彼の望みを叶えてくれたのだ。
「…………諸泉さん」
返事はない。代わりに寄越された視線が何だと告げている。
聞いても良いだろうか。ずっと聞けなかったことを。
ずっと聞きたくて、それでも聞けなかったことを。
「………あの後――」
「伊作君」
止めたのは雑渡だった。
伊作のかつての上司であり、尊奈門を忍として育てた父親のような存在。
滅多に向けられることのなかった雑渡からの咎めるような視線に口を噤むと、雑渡は「乱太郎くん」と今世ではまだ幼い後輩の名前を呼んだ。
「伏木蔵君は今日は来ないの?」
「あ、今日は当番じゃ――、ぼ、僕、呼んできます!」
雑渡の思惑を正しく理解した後輩は慌てて医務室を出て行った。
自分がいるべきではないと悟ったのだろう。彼も後の世を生き抜いた忍なのだから。
「………すみませんでした」
遠ざかる足音を聞きながら謝罪の言葉を紡げば、今度は舌打ちが飛んでくる。
「どいつもこいつも、勝手な奴らばかりだ」
吐き捨てる尊奈門の怒りは尤もだ。
何も言えずに俯いていると、ズンズンとこちらに向かってきた尊奈門に髪を鷲掴まれて上を向かされた。痛みに顔を歪めていると突然口に何かを押し込まれる。甘い。
「、むぐ」
「殺した奴のことなどいちいち覚えてない! 大方、適当に掘った穴に適当に押し込んだんだろ、そこら辺に落ちてた汚い桐箱と一緒にな!」
ふん!と鼻を鳴らしてそっぽを向くかつての先輩を呆然と見つめた。
ぷ、と堪えきれず笑いを漏らした雑渡は尊奈門に恨めしげな目で睨まれ、はいはいよしよしと饅頭を与えている。
そんなかつての上司と先輩のやり取りが次第に滲んでいく。
あぁ、そうか。
二人は一緒に眠れたのか。
もぐもぐ、ごくん。口の中に押し込まれた饅頭を嚥下して、深呼吸を一つ。
「………尊奈門さん」
「何だ!! ――って、お、おい……何泣いて、」
「ありがとう、ございました」
震える唇で紡いだ言葉に尊奈門は嫌そうに顔を歪め、
「出来の悪い後輩とあんな宿敵を持った私は、お前以上の不運だ」
辛辣な言葉とは裏腹に、ぐしゃぐしゃと容赦ない力で頭を撫でてくれた。