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「いやぁ、良かった良かった!」

まったくだ!
よっしゃ、飲むぞ!!

楽しげな笑い声が響き渡る。

いつもより早い時間に帰宅した妹を出迎えたのは、母親代わりでもあるエリザと、たまたま店の定休日で家にいたサッチだ。
真っ白な布で腕を吊っているリサに目をひん剥いた二人は、近所迷惑など欠片も気にせず悲鳴を上げた。

うわあああああぁぁぁっ!!!!
リサ!!? どうしたの!!? どうしたのよそれっ!!?

二人の叫び声を聞いて部屋から飛び出してきた兄たちが玄関に集まり、更に悲鳴が重なっていく。
予想はしていたが、ここまで予想通りだといっそ清々しい。
リサの後に続いて家に入って来たマルコとエースも当然のごとく問い詰められ、喚く家族たちに何度も何度も説明する羽目になった。

ふざけんじゃねぇ!!
何処だそのクソガキは!!
ぶっ殺してやる……!!
野郎共!! 行くぞゴラァ!!!
おおおぉぉぉぉ!!!!

さすが元不良たちといったところだろうか。
歳を重ねてすっかり丸くなっていたはずの彼らは、この時ばかりは剣先のように鋭かった。
触れるもの皆傷付ける、ではないが、恐らく彼らに敵と認識された者たちがこの場にいたならば、骨も残っていなかっただろう。
騒ぎを聞き付けてやって来た白ひげが騒ぎを鎮めてくれなければ、どうなっていたか分からない。

一通り騒ぎが収まると、今度は半月もの間ずっと隠していたリサへの説教が始まった。

俺たちはそんなに信用ならないのか
一人で抱え込むなんて真似、二度とするんじゃねぇぞ

諭すように窘めてくれた兄たちに加えて、

バガヤロオオォォォ!!
なん、なんでっ、言っでぐれながっだんだよおおぉぉお……!!
ご、ごめんなぁ……! 気付いで、やれなぐでっ!

涙も鼻水も垂れ流して訴えてくる兄たちには、リサも相当応えた。
何も知らずにいたこと。一緒に暮らしていたのに全く気付いてやれなかったこと。
自分たちを責める必要など欠片もないというのに、優しい兄たちは気付かなかった自分たちを責めるから。
リサまで一緒になって泣き出し、白ひげやマルコたちが溜息を零したことは言うまでもない。

日が暮れてから始まった宴会。
コックでもあるサッチが腕に縒をかけて作った沢山の料理がテーブルに並ぶ。
何はともあれ、事件は解決したのだ。もうリサが理不尽に傷つけられることはない。
あちこちで笑い声が飛び交い、兄たちは上機嫌に酒を呷る。明日が平日であり、各々仕事があるということは彼らの頭からはすっぽり抜け落ちているのだろう。

「マルコ、あの」
「ん?」
「その……自分で食べれるよ?」
「そうかい、ほら、あーん」
「………あー」

ぱくん。口の中に入ったパスタをもぐもぐと咀嚼し、ごっくん。飲み込んでマルコを見る。
既に次のパスタをフォークに絡めて待機しているマルコは、どうやらリサの言葉など聞く気がないらしい。

「………利き手は無事なのに」
「気にすんな。ほら、あーん」
「恥ずかしいんだってば」

高校二年にもなって、兄からご飯を食べさせてもらう妹がいるだろうか。いや、いない。絶対いない。
怪我や病気で利き手が使えない、起き上がれない、という理由ならまだしも、リサの利き手は全く何の問題もない。
吊っているのは左腕だ。だというのに、マルコは頑として譲らない。

「まぁ、これもお仕置きの一環だからねい」
「お……っ、は、反省してます………」
「んなこたァ分かってるよい。ほら、あーん」
「………あー」

ぱくん。もぐもぐ、ごっくん。
恥ずかしい。せめて飲み物くらいは自分で飲もうと、リサの右手には絶えずコップが握り締められている。
時折向けられる兄たちの生温い視線が居た堪れない。
残念なことに、兄たちは知っているのだ。リサのマルコに対する想いを。
今までそれを気にしたことは無かったし、頑張れよと応援されて嬉しい限りであったが、今この時ばかりは違う。恥ずかしくて堪らない。

良かったじゃねぇか。
いっぱい食べさせてもらえよ!

ニヤニヤと笑う兄たちには恨めしげな視線を向けつつ、口元に運ばれるものをパクリと頬張る。

「よぉ、リサ! 美味いかっ!?」

狙ってやって来たのか、ただ純粋に尋ねたかっただけなのか。
おそらく前者であるだろうが、やって来たサッチの問いにリサは思わず口篭る。
変な意味に取られかねないからだ。――が、それを許してくれる兄であるはずもなく。

「美味くねぇか? 自信作だったんだけどなぁ」

その声と言葉だけは落ち込んだように。
けれど俯いたその口元だけは至極楽しそうに。

「………すっごく美味しいよ!」

自棄になって大声で返したリサに、あちこちから笑い声が上がった。




「ほれ、お茶」
「ありがとう」

お茶を受け取るリサはどこか拗ねた顔をしている。先程からかわれたことをまだ根に持っているのだろう。マルコは苦笑した。
お仕置きと言いはしたが、それは建前でしかない。
ここ最近、仕事にかまけてばかりで碌に話も出来なかった分、存分に構い倒したかっただけなのだ。
リサもそんなマルコの考えを知っているからこそ、不満気な表情は変わらない。

「悪かったよい、そんな拗ねんなって」
「拗ねてない」
「あー……ほら、ケーキ食うかい?」
「もうお腹いっぱい」

いっぱい食べさせてもらったもん。
鼻を鳴らすリサに苦笑し、少々やり過ぎたかと少しばかり反省した。
さて、どうしたものか。ご機嫌取りの方法を考え始めて数秒後、くぁ、と大きな欠伸をするリサに、マルコは目を細めた。
時計を見ればもう日付が変わろうとしている。
まだまだ騒ぎ足りない家族たちは時間など気にせずドンチャン騒ぎを続けているが、明日に事情聴取を控えているリサはそろそろ眠った方が良いだろう。

「そろそろ部屋戻るかい?」
「………ん」

ゴシゴシと目を擦る手を掴んで止めさせ、部屋に戻るぞと手を引いて立ち上がらせる。

「お? 何だ、もう寝るのか?」
「あぁ、お前らも程々にしとけよい」

明日どうなっても知らねぇぞ。忠告するマルコに、俺は明日定休日だ。ラクヨウが笑う。
その顔を見るに、どうやら他の奴らにはマルコの忠告を報せてやる気はないのだろう。
騒ぎ足りないのはラクヨウも同じなのだろうから。

「……まぁ、いいか」

明日の朝、二日酔いと寝不足――下手したら徹夜だ――で苦しむであろう兄弟たちが楽しそうに笑っているのを尻目に、マルコはリサの手を引いて部屋を後にした。

「ねむい」

部屋に戻るなりベッドに向かうリサに風呂はどうするのかと問えば、ドクターストップと返ってくる。
患部を心臓より高くする為だろうか、左腕を上にして寝転がった眠そうなリサの目がマルコを捉えた。

「マルコはねないの?」
「あぁ、俺ももう寝るよい」

保護者としてリサに付き添うことになっているのだ。適度にアルコールも摂取したし、そろそろ寝ておかないと辛いかもしれない。
布団を掛けようと頑張っているリサを手助けして、部屋に戻ろうと回れ右したところで。

「ここで寝ないの?」

どうして?
不思議そうな顔をするリサの目に見つめられ、マルコはたじろいだ。
言葉を探す間も視線は消えず、眠いから早くとまで言われる始末。

そもそも、高二にもなって一緒に寝るというのはどうなんだ?
好きだって言ってるくせに、どうして気付かない?

口に出すことが出来ればどれほど良いことか。けれど、それが出来たら苦労しない。
大きな溜息を零して。マルコは諦めた。
諦めて部屋の明かりを落とし、ベッドに潜り込む。

妹。こいつは妹。
忘れろ。今だけは忘れろ。
惚れてない。惚れてなんかない。
妹だ。妹と寝るだけだ。妙な期待をするな。

ふわりと香る甘い匂いに気付かないフリをして、何度も何度も言い聞かせる。
頭が痛い気がするのは決してアルコールの所為ではないはずだ。

「おやすみなさい」

ふにゃりと顔を緩めたリサが目を閉じて、数分後には健やかな寝息が耳に届いてくる。

「…………そろそろどうにかしねぇと」

本気でヤバイ――というか辛い。
今回のようなことが二度と起きないとも限らないし、告白してきた相手にうっかり惚れてしまうなんてことも無いとは言い切れない。
リサの気持ちを疑うわけではないが、そろそろガッチリ固めてしまった方が良いかもしれない。己の精神衛生の為に。

もしサッチやエースたち兄弟が聞いたならば「いや、お前もう既にガッチガチじゃねぇか」と突っ込みを入れられそうなものだが、今この場にいないのだから入れようがない。

そうだ。そうしよう。
そうと決まったら、明日にでも伝えるべきだ。余計な邪魔が入る前に。

決意したマルコは、丁度良く訪れた睡魔に目を閉じて意識を深く沈めた。

無自覚なマルコは知らない。
今頃、酒も入って上機嫌な兄弟たちが「そろそろ観念するんじゃねぇか?」「認める気はねぇけどな!」などと笑い合っているということを。


件の男子高生の天敵はマルコであったが、マルコにとってのそれは他の誰でもない、家族である。
マルコがそれを思い知るまで、あと数時間。