18


マルコ。

その名前には聞き覚えが――正しくは『見覚え』があった。
ほんの数日前、彼女の携帯を覗き見たときに見つけた名前。
たった一文で彼女を喜ばせた、憎い男の名前。

「おまえ、が」

口の中で呟いた言葉は声にならなかった。
南国果実を彷彿とさせる奇抜な髪型の男。長身で、スーツを身に纏った男はどう見ても二十代には見えない。三十、下手したら四十を過ぎている。
こちらを真っ直ぐ見据えていた眠たげなその細い目が、スッと下がり彼女へと向けられた。


見るな!!


咄嗟にそう叫ぼうとしたが、声になることはなかった。

どうして。思って気付いた。
震えている。手が、足が。全身が。
握りしめた手のひらはじっとり湿っていて、そこで漸く気付いた。

こわい、のだと。

恐怖――そう、これは恐怖だ。
あの男に見据えられて、その目に確かな敵意を見つけて。
緑頭の男子生徒から向けられたそれとは比べ物にならないほどの、殺意にも似た敵意。悪意にも似た、それ。

「、ま、るこ」

引き攣ったような彼女の声にハッとして顔を上げれば、彼女もまた震えていた。
『マルコ』に冷たい目で見下ろされて、身体を震わせていた。

どうして。
何故、彼女にそんな目を。


パンッ


静まり返った教室内で、乾いた音が上がった。
音の出どころは『マルコ』と、彼女だ。

呆然と頬を押さえる彼女。
『マルコ』は相変わらず冷たい目で彼女を見下ろしている。

殴った。
『マルコ』が。彼女を。

どうして。
彼女は、『マルコ』を――

どうして。

それと同時に、ホッとした。

『マルコ』は彼女を嫌っている。
彼女が『マルコ』に受け入れられる日はこない。
それならば。
それならば。
それならば。

今、ここで

彼女に、

手を。

手を、差し伸べれば――



「――俺が、何を言いたいか分かるな?」



静かに問いかける『マルコ』。
こちらに背を向けた彼女の表情は見えない。
ただ、気付いた。

震えていた肩が、更に大きく震えて。
『マルコ』を見上げていた顔が、俯いて。

「、め、なさ……っ」

嗚咽混じりの声が、謝罪の言葉を紡いだ。

ごめんなさい
ごめんなさい
何も言わなくて、ごめんなさい
黙っていて、ごめんなさい
隠していて、ごめんなさい
傷付けて、ごめんなさい

「ゃ、だ……」

だらりと腕を下ろし、再び『マルコ』を見上げた彼女が。

「きら、に、なっちゃ……やだ……っ」

まるで、小さな子どものように。
ひっく、ひっくと泣きじゃくりながら、

何度も。

何度も。

何度も。


”嫌いにならないで”


どこまでも真っ直ぐに、

ひたすらに、

謝罪して、懇願して、懇願して。
吊っていない方の腕を必死に伸ばして、スーツを掴んで。
微動だにしない『マルコ』の胸に顔を埋めて。
何度も、何度も、何度も。

「まる、こ……マルコ……マルコ――!」




”たすけて”




それまで微動だにしなかった『マルコ』が、ゆっくりと動いて。




「やっと言ったな」



遅ぇよい。
独特な口調に疑問を持つことすら出来ない。
先程までの冷たい目が嘘のように、優しく細まって。
雰囲気が、ガラリと変化した。

愛しい

愛しい

愛しい

父娘ほどに歳の差があるように見えるのに、
『マルコ』の、彼女へ向けられた視線は親子のそれではなくて。

あぁ、どうして。

一体この場にいる中で何人が気付いただろうか。

嘘だ。

信じたくない。

『マルコ』も、だなんて。




「リサ」




優しい優しい声音に、目に、雰囲気に。
顔を上げた彼女に、優しく微笑んで。


「マルコ」


『マルコ』の胸に頬を寄せて紡がれた彼女の声は、誰が聞いても間違えるはずがない。
優しく彼女を抱きしめて「ん?」と聞き返す『マルコ』のその声も。




”だいすき”




言葉にしなくとも、その感情が切に伝わってきてしまったから。