11


狂ってしまったのだと思った。

半月ほど前から突如として始まったイジメ。
被害者は同じクラスの桜井リサという物静かな女子生徒だ。

風邪をこじらせて学校を休んでいて、漸く治って登校したら既にイジメは学校中に浸透していた。
クラスの誰もが嬉々として彼女の机に彫刻刀や油性ペンで暴言を刻み、早く死ねと言わんばかりに机に菊の花を置く。
教室に入って来た彼女へ視線を集め、その一挙一動を嘲笑う。

くすくす。

くすくすくすくす。

そこかしこから聞こえる嗤い声は耳にこびり付き、恐怖を覚えた。

先生が来たらどうにかなるだろう。どうにかしてくれるはずだ。
そう願い、ひたすらに己の存在を消した。

それなのに、彼らは何もしなかった。
それどころか、授業中に習ってもいない難しい問題を彼女に出題して、解けないことを嘲笑う。
休んでいるうちに習ったのだろうか。
そう思って教科書を読み返してみたが、やはりそんな問題はどこにもなかった。

教師までもが、イジメに参加していたのだ。

くすくす。

くすくすくすくす。

耳障りな嗤い声は消えない。

目立たない生徒だった。
物静かで、自分から誰かに話しかけるところなど見た事がなかった。
笑った顔すら、記憶にはない。

だからだろうか。
彼女が標的とされているのは。
教師までもが参加するイジメの標的とされてしまったのは。

そう考えた時、正直思った。

よかった、と。

私でなくて良かった。
休んでいて良かった。
標的にされなくて良かった。
彼女が標的になってくれて、助かった。

その数日後、彼女がイジメられている理由を知った。
クラスメイトからそれとなく聞き出したのだ。

彼女は人気者の相川君に告白して、フラレて、逆上して、手を上げた。
だから、皆が仕返しをしているのだと。
平凡な顔立ちで、いつだって無口で、暗くて。
そんな人間が、交際を断られた腹いせに殴るなんて。どうかしてる。頭がおかしい。
だから正してやるのだ、と。

誰もが彼女を罵倒し、殴り、蹴り、
教科書やノートをボロボロにし、根も葉もない噂をでっち上げ、
彼女を追い詰めていくのだ。
じわじわと、じわじわと。

しかし、彼女は決して態度を変えなかった。

追い詰められても、殴られても、蹴られても。
暴言を浴びせられても、何をされても、頑として変えなかった。

私は、告白なんかしていない。
告白されて、迫られたから殴って逃げた。

誰も信じないその言葉を、女子生徒も信じられなかった。
だって、相手は学校一の人気者だ。その明るい性格さゆえに教師からも気に入られている。

そんな彼が、彼女に?

嘘を言っているのだと、そう思った。


それなのに、



あぁ、それなのに。





「調子に乗ってんじゃねぇ!!」





一人の男子生徒がバットを振り上げ、振り下ろす瞬間。



反射的に視線を向けた先で蹲る彼女のその表情を見て。



自分は間違っていたのだと、気付いた。



あぁ、でももう遅い。
狂気の渦に呑み込まれないように、必死だった。
呑み込まれてしまえば最後、抜け出せないと思っていた。
けれど、遠巻きにすればいつしか渦のど真ん中に放り出されてしまうような気がして。

この時、漸く気づいたのだ。

とっくの昔に、渦に呑み込まれていたのだと。

弾き出されて蚊帳の外に追い出されたのは、幸か不幸か。
襲い来る絶望と耳に残る骨が砕ける音に必死に目を瞑って、歯を食い縛った。





「っ、リサ………!!!」





学校の誰もが呼ばない、彼女の下の名前。
怒り、悲しみ、悔しさ、色々なものが綯交ぜになったその声にハッと息を飲んで振り向けば、
髪を振り乱して、息も絶え絶えの青年がこちらに駆けてきた。
その顔は今にも泣きそうに歪んでいて、誰もが言葉を失った。

彼女にバットを振り下ろした男子生徒でさえ。



「リサ……リサ………っ、」

蹲り呻く彼女に近づくにつれて、彼の足が遅くなっていって。
自然と割れた人垣を通り、彼女の前で立ち止まる。
足の震えが全身に広がっていって、崩れ落ちた彼はその目に涙を溜めていた。

「っ、リサ……」
「、」

蹲っていた彼女がゆっくりと顔を上げる。
痛みに歪む顔は、汗ばんでいて。

青年を捉えた彼女の目が、揺れた。

「、す……えー、す」

途切れ途切れな彼女の苦しげな喘ぎ声は、痛いほどに鼓膜に突き刺さった。



”なかないで”



青年が顔をくしゃりと歪めて、おそるおそる伸ばした手で彼女を抱きかかえた。


ご、めん

ごめ、

っ、ごめ……っ!!


何度も何度も謝罪の言葉を繰り返す青年の腕の中で、彼女はひたすらに繰り返す。

ごめん

エース

泣かないで

その三つの単語だけを、ひたすらに。ひたすらに。