09


なんで。

教室の片隅に追いやられた席で教科書を広げる彼女を見て、彼は知らず拳を握り込んだ。
さっきまで、あんなに無表情だったくせに。
いつもと同じ、感情の篭らない目で机の上の花瓶を見下ろしていたくせに。

不意に取り出した携帯を操作して、直後。
心臓が止まったかと思った。

どうして。

こっちには見向きもしないのに。

どうして。

携帯を見つめるその目に、その口元に。

どうして!!

優しく細められた目。
綻んだ口元。
彼女を取り巻く空気が柔らかくなった気がした。

こっちには見向きもしないのに。
たかが携帯ごときで。
俺の言葉なんて、聞きもしないくせに――!!

その日の体育の時間、トイレに行くフリをしてこっそり教室に戻り、彼女の携帯を手に取った。
朝の件を確認したかったからだ。
恐らくメールか何かだろうと当たりをつけて受信フォルダを開けば、ビンゴ。

『マルコ』

男の、名前。

『今日は転ばないように気を付けろよ』

たった一言。
絵文字も顔文字も何もない、ただの一文。
受信時刻は一致している。これに間違いないはずだ。

たった、これだけ。

たった、これだけの文章が。

彼女にあんなにも影響を及ぼすなんて。

赦せなかった。
彼女の携帯の番号を入手して、その日の内に何度もコールを鳴らした。
しかし、何度コールを鳴らしても彼女は出ることはなかった。

どうして。どうしてどうしてどうして!!

何度も何度も繰り返して、数日後。

”もしもし”

漸く聞こえた、待ち望んだ声。
抑揚の薄いその声に、柄にもなく緊張して、第一声はひっくり返ってしまった。

お、俺、だけど
………
分かる? 相川
……何の用ですか

さも嫌そうに問いかける彼女に、カッとなって。
『マルコ』は、たった一言で笑顔にさせられるのに。赦せなくて。

”いい加減、諦めたら?”

”俺が付き合ってやるって言ってんのに、何で嫌がってんの?”

”イジメられるの、疲れただろ?”

緊張していた所為か、やたら饒舌に話していた気がする。
彼女からの返事はなくて、それがもどかしくて更に言葉を紡いで。

”なぁ、俺のこと好きになる気になった?”

彼女からの返事は、なかった。

返事の変わりに届いたのは、ツー、ツーという無機質な音。
無情にも切られた電話を握り締めて、唇を噛みしめた。

まだだ。
まだダメなんだ。
俺が、こんなに、こんなに――!

だからでっち上げた。
彼女から電話がかかってきた、と。
電話がかかってきて、助けてくれと言われた、と。

助けて。
私を見て。
私を受け入れて。

まるでホラー映画のようで怖くなって電話を切ったと続ければ、クラスメイトたちはあっさり信じて彼女への攻撃を激化させた。
今だってそうだ。
目の前で彼女を囲み、口汚く罵りながら暴力を振るうトモダチ。

誰も疑うことなく。
誰もが彼女を悪と判断して責め立てる。

殴って、殴って、殴って。
蹴って、蹴って、蹴って。

「なぁ……もういいよ、ありがとう」

ここぞという所で口を開けば、誰もが注目した。
眉を下げて笑みを作り、彼女へと手を差し伸べる。

「皆の気持ちはスゲェ嬉しい。けど、もう十分だ――立てる?」

蹲り頭と顔を護っていた彼女は微動だにしない。

誰もが言った。

お前、優しすぎんだよ、と。
そんな奴に優しくする必要ないのに、と。

そんな彼らに言ってやるのだ。

「だってよ、何か……もう見てらんねぇよ………クラスメイトだろ? 仲良くやろうぜ」

ほら、桜井。

確信していた。彼女は振り払わない。
こんなにボロボロに傷つけられているのだ、これ以上を望むはずがない。
助けを求めているはずだ。
そして、手を差し伸べたのはこの俺だ。

大丈夫、彼女は裏切らない。

決して裏切らない。

決して――



パシン。



乾いた音が広がった。



「気持ち悪い、近寄らないで」



どう、して。