なんで。
教室の片隅に追いやられた席で教科書を広げる彼女を見て、彼は知らず拳を握り込んだ。
さっきまで、あんなに無表情だったくせに。
いつもと同じ、感情の篭らない目で机の上の花瓶を見下ろしていたくせに。
不意に取り出した携帯を操作して、直後。
心臓が止まったかと思った。
どうして。
こっちには見向きもしないのに。
どうして。
携帯を見つめるその目に、その口元に。
どうして!!
優しく細められた目。
綻んだ口元。
彼女を取り巻く空気が柔らかくなった気がした。
こっちには見向きもしないのに。
たかが携帯ごときで。
俺の言葉なんて、聞きもしないくせに――!!
その日の体育の時間、トイレに行くフリをしてこっそり教室に戻り、彼女の携帯を手に取った。
朝の件を確認したかったからだ。
恐らくメールか何かだろうと当たりをつけて受信フォルダを開けば、ビンゴ。
『マルコ』
男の、名前。
『今日は転ばないように気を付けろよ』
たった一言。
絵文字も顔文字も何もない、ただの一文。
受信時刻は一致している。これに間違いないはずだ。
たった、これだけ。
たった、これだけの文章が。
彼女にあんなにも影響を及ぼすなんて。
赦せなかった。
彼女の携帯の番号を入手して、その日の内に何度もコールを鳴らした。
しかし、何度コールを鳴らしても彼女は出ることはなかった。
どうして。どうしてどうしてどうして!!
何度も何度も繰り返して、数日後。
”もしもし”
漸く聞こえた、待ち望んだ声。
抑揚の薄いその声に、柄にもなく緊張して、第一声はひっくり返ってしまった。
お、俺、だけど
………
分かる? 相川
……何の用ですか
さも嫌そうに問いかける彼女に、カッとなって。
『マルコ』は、たった一言で笑顔にさせられるのに。赦せなくて。
”いい加減、諦めたら?”
”俺が付き合ってやるって言ってんのに、何で嫌がってんの?”
”イジメられるの、疲れただろ?”
緊張していた所為か、やたら饒舌に話していた気がする。
彼女からの返事はなくて、それがもどかしくて更に言葉を紡いで。
”なぁ、俺のこと好きになる気になった?”
彼女からの返事は、なかった。
返事の変わりに届いたのは、ツー、ツーという無機質な音。
無情にも切られた電話を握り締めて、唇を噛みしめた。
まだだ。
まだダメなんだ。
俺が、こんなに、こんなに――!
だからでっち上げた。
彼女から電話がかかってきた、と。
電話がかかってきて、助けてくれと言われた、と。
助けて。
私を見て。
私を受け入れて。
まるでホラー映画のようで怖くなって電話を切ったと続ければ、クラスメイトたちはあっさり信じて彼女への攻撃を激化させた。
今だってそうだ。
目の前で彼女を囲み、口汚く罵りながら暴力を振るうトモダチ。
誰も疑うことなく。
誰もが彼女を悪と判断して責め立てる。
殴って、殴って、殴って。
蹴って、蹴って、蹴って。
「なぁ……もういいよ、ありがとう」
ここぞという所で口を開けば、誰もが注目した。
眉を下げて笑みを作り、彼女へと手を差し伸べる。
「皆の気持ちはスゲェ嬉しい。けど、もう十分だ――立てる?」
蹲り頭と顔を護っていた彼女は微動だにしない。
誰もが言った。
お前、優しすぎんだよ、と。
そんな奴に優しくする必要ないのに、と。
そんな彼らに言ってやるのだ。
「だってよ、何か……もう見てらんねぇよ………クラスメイトだろ? 仲良くやろうぜ」
ほら、桜井。
確信していた。彼女は振り払わない。
こんなにボロボロに傷つけられているのだ、これ以上を望むはずがない。
助けを求めているはずだ。
そして、手を差し伸べたのはこの俺だ。
大丈夫、彼女は裏切らない。
決して裏切らない。
決して――
パシン。
乾いた音が広がった。
「気持ち悪い、近寄らないで」
どう、して。