05


彼は名を相川健二という。
スポーツ万能で、成績はそこそこ。顔も良いと評判だ。
いい感じにワルで、かといってすぐに暴力に訴えるような人種でもない。
彼の周りには常に人が集まっているし、クラスの盛り上げ役としてクラス委員という立場にもなっている。
友人やクラスメイトたちからは勿論、人懐こい笑顔とひょうきんな性格から、教師たちの受けも良い。授業中は勿論、廊下ですれ違うたびに軽口を言い合うくらいには仲が良い。

そんな彼は、学校内における自身の評判というものを完全に把握していた。
体育の授業や部活動ではヒーローのように崇められ、シュートを決めた時は勿論、パスを受けただけでもあちこちから黄色い歓声が上がる。
言葉遣いや態度こそ砕けてはいるが、誰にでも分け隔てなく接し、授業態度も概ね良好。ムードメーカーとしてクラスを引っ張っていこうと学級委員にもなったことで教師たちからの受けも良い。

彼は知っているのだ。
この学校において、真面目なだけが取り柄の生徒会長よりも生徒の人望を集めていると。
ただ真面目なだけでは近寄り難く思われてしまう。適度に砕けた言葉遣い、砕けた態度であることこそが必要なのだと。

学校中から注目を受けている彼は満足していた。自身の今の状況に。
誰もがこっちを見る。
登校すればすぐにあちこちからかけられる声。
授業では教師と軽口の応酬をして親しい関係を築き、
放課後になれば運動部のあちこちから声がかけられる。
毎日が充実していて、楽しかった。

しかし、彼は気付いていた。
誰もがこちらに注目する中で、彼女だけが振り向かない。
教室に入った時も、授業で発言した時も、体育でシュートを決めた時も。
一年の時からずっと、ずっと。

いっそクラスが離れていれば気にならなかったのかもしれない。
けれど、彼女は一年の時も今年も同じクラスだ。

二年目。
彼と同じ教室で過ごして、二年目。
それでもまだ、彼女はこちらを見ない。

教室に入るなり「おはよう」とクラス中に声をかけても。
授業中に発言した時も。
体育の授業で活躍しても。
運動部の助っ人として大会に参加することが決まって行われた激励会でも。

彼女は、彼女は、彼女だけは。
同じクラスなのに。去年も、今年も、ずっと一緒に過ごしているというのに。

彼女の視線が向けられることはない。
彼女の気を引けたことはない。
誰もがこちらを見ているというのに。
誰もが自分の気を引こうと躍起になっているというのに。

彼女が、彼女が、彼女だけが。

下駄箱に手紙を入れて体育館裏に呼び出した。
逸る気持ちを押さえ込んで待ち続けること十数分、彼女はやって来た。
向こうからやって来る彼女の視線とかち合う。

あぁ、漸く。

漸く、漸く、漸く。

見てくれた。

えも言われぬ充足感が心を満たしていくのが分かった。
今まで一度たりとてこちらを見ることがなかった彼女が。
感情の篭らないあの目が。
自分のことだけを、映している。

見つめ合うこと数分。
もしかしたらもっと多かったかもしれないし、少なかったかもしれない。
いつの間にか乾いていた唇を舐めて潤し、深呼吸をして唇を開く。
上手く笑えているだろうか。引きつっていないだろうか。煩い心臓を押さえ込むようにグッと拳を握り込み、そして告げたのだ。


俺と付き合わない? ――と。


付き合いません。
間髪入れずに返ってきたのは、信じがたい言葉だった。

え?思わず聞き返して。
それだけですか?彼女も問いかける。
呆然と何も言えないでいる内に、彼女はぺこりと頭を下げて背を向けた。

遠ざかろうとする背中。
自分のそれよりも遥かに小さいそれは、確かに『拒絶』していた。

俺を。この俺を。
誰もが気を引こうと躍起になっている、この俺を。
学校中から注目され、教師たちからもそれなりの人気を博している、この俺を。
スポーツ万能で、そこそこ成績も良くて。
人気者としてこの学校に君臨する、この俺を――。

彼女は、拒絶した。

「――っ、」

許せない。
許せるはずがない。
そんなことが、あっていいはずがない。

間違いだ。
これは何かの間違いだ。
だって、そんなこと、そんなの、ダメだ。おかしい。


咄嗟に足を踏み出し、立ち去ろうとする彼女の腕を掴んだ。
驚きバランスを崩す彼女を壁に押し付け、グッと距離を縮めれば彼女は不快感を露に睨みつけてきた。

まただ。
また拒絶する。
食い縛った歯がギリ、と嫌な音を鳴らす。

「俺がっ! この俺が、付き合ってやるって……!」

言ってるのに。どうして。何故。理解出来ない。
腕の痛みに顔を顰めながら、彼女は鋭く睨み付けてきた。
感情の篭らない目しか見たことがなかった。彼女の目に、明らかな怒りと、拒絶。
初めて感情で色づいた目を見た。しかしその色は、到底許せるものではない。

あぁ、けれど。
彼女のこの目を見る者が自分一人だけ。
それはとても素敵なことで。それはとても愛しいことで。

「俺を好きになれ」

そうすれば、もっともっと沢山の色が見れるようになる。
彼女が、受け入れてくれさえすれば。
彼女が、自分のものになってくれさえすれば。

「――気持ち悪い」

さも嫌そうに吐き捨てられた言葉。
その声は『拒絶』という言葉ですら足りなかったかもしれない。
彼女の目が、表情が、全身が、全てが。相川健二という人間を拒絶していた。

突如、下半身を襲う衝撃。それは一瞬の後に激痛となって彼を蝕んだ。
立っていることすらままならなくて、その場に蹲る。激痛が止むことはない。
彼女はそんな彼を冷めた目で見下ろして再び立ち去ろうと足を踏み出す。

待て。どうして。何で。
許せない、赦せない、ユルセナイ――!!

必死の思いで手を伸ばし、立ち去ろうとする彼女の手首を強く掴む。
捕まえた。逃がさない。逃がしてなるものか。
漸く。
漸く。

「触らないで!」

ヒュッと風を切る音が聞こえたかと思うと、頬に痛みが走る。
ジンジンと痛むそれに呆然と彼女を見上げれば、彼女はその隙に腕を振り払って走り去ってしまった。

どうして。

どうして、どうして、どうして。

こんなに。

この俺が、こんなに――!


「告白されて、断ったらキレて殴られた」


どうしたのか、と尋ねる取り巻きたちにそう告げれば、小さな悪意が寄り集まって彼女を襲う。
苦しめばいい。
苦しんで、苦しんで、その目に絶望の色を映せばいい。

苦しんで、苦しんで、絶望して、

そうしたら、手を差し伸べてあげるから。

そうすれば、彼女もきっと――。

そう遠くないであろうその時を待ち侘びて、彼は口元を歪ませた。