ぼくをあいしてください


古色蒼然たるホグワーツ城の地下深く、隙間風が冷気に晒されて刃のように全身を刺していく。
主のいない部屋の前に立ち尽くしてどれほど時間が経っただろうか。
凍えるような寒さに全身を震わせながら、リサは冷たく閉ざされた扉の前で部屋の主を待っていた。

「――何をしているのかね」

時間どころか手足の感覚すら無くなった頃、漸く聞こえた待ち望んだ声にリサは振り返ろうとした。しかし自由の利かない身体は動かない。ならばと口を開くが、吸い込んだ冷気が肺を満たした瞬間盛大に咽せてしまい、結局何も伝えることは出来なかった。

「………何をしているのかね」

再度繰り返された言葉には確かに呆れの色を含んでいる。
カツン、カツンと革靴を鳴らしてやって来たスネイプは、扉の前――つまりリサの目の前で立ち止まると、そこに立ち尽くしているリサを一瞥しただけで何も言わず戸を開けた。
暖炉に火を入れたままだったらしく、戸を開けた途端に暖気が漏れ出てきて、リサは知らずホッと息をついた。暖風のおかげで指先がじわじわと感覚を戻していく。軽く咳払いをして声が出せることを確認すると、リサは大きく息を吸い込んで口を開いた。

「あ、あのっ!」

じりじりと痛む指先をぎゅっと握り込んで呼びかければ、先に室内に入ったスネイプが振り返る。無言のまま片眉を上げて何かと問うスネイプに、俯いていたリサは深呼吸をして顔を上げた。

「あの……今日、誕生日だって聞いて……その……今日初めて知って………ごめんなさい、何も用意出来なくて……」
「……誰に聞いたのかね?」

スネイプにとってプレゼントをもらえないことなど些事だ。それよりも自分の情報を勝手に漏らした人物が誰かということの方が重要であり、聞き出した暁にはその人物にきっちりと『礼』をせねばと考えていた。けれど、そんなスネイプの問いに顔を顰めたのはリサの方で、暫し逡巡した後さも嫌そうに口を開いた。

「マルフォイです。廊下でアンブリッジと話してるのを偶然聞いて……」
「アンブリッジ『先生』だ」
「あんな人、先生だなんて私は認めません」

ツンと顔を背けるリサにスネイプは溜息を零したが、内心ではリサの言葉に賛成なので敢えて何かを口にする事はしない。精々「他の人間に聞かれないように気を付けたまえ」と忠告する程度だ。

「こんな事なら、直接先生に聞けば良かった」
「何を誕生日くらいで」

誕生日だからといって何かが変わるわけではない。一つ歳を重ねたからといって、激変することなど有り得ないのだから。昨日までの自分と今日の自分が変わったようには到底思えない。勝手に歳を重ねていくのを何故祝わなければならないのか。誕生日プレゼントがもらえないからといって、そんな事に一喜一憂するような可愛らしい性格の持ち主でもない。

そう告げれば、隣に腰掛けたリサは「先生らしいです」と笑う。何がそんなに楽しいのか、スネイプには理解出来なかった。

”先生が好きです”

頭がおかしいとしか思えない。
半年ほど前に想いを告げられたその時、スネイプはそう思った。
自分の容姿が整っていると思ったことはないし、かと言って性格が良いとも思わない。それは学校中が熟知している事実であるはずだ。

陰険。
根暗
依怙贔屓。

生徒たちからそのように陰口を叩かれていることだって知っているし、スネイプ自身その通りだと思っている。そして、それを改善しようとも思ってはいない。何とでも言え。ただその一言に尽きる。

だからこそ不思議でならない。
こんな嫌われ者の自分に好きだと告白してきたのは、スネイプが大嫌いな生徒の親友だったのだから。父親に瓜二つのその容姿、父親と同じく傲慢で目立ちたがりで、鼻持ちならないその生徒ハリー・ポッター。尤も、リサとハリーが所属するグリフィンドール寮の寮監マクゴナガルに言わせれば、ハリーは容姿こそ父親と瓜二つではあるものの、その性格はむしろスネイプの幼馴染みでもある母親にそっくりであるのだが。

ハリー・ポッターという人間を嫌うスネイプは、職権を乱用して散々グリフィンドール寮から減点してきた。元々、自身が監督するスリザリン寮だけを贔屓してはいたが、ハリーが入学以後グリフィンドールへの減点は更に増えている。事あるごとに大嫌いなハリーから減点してきたからだ。他の教師――主にマクゴナガルだが――から指摘を受けてものらりくらりと躱して減点行為を続けていたスネイプのことを、ハリーは勿論グリフィンドール生全員が嫌っていたはずだ。

だと言うのに、ハリーの親友として常にハリーと共にいたリサがスネイプに告白した。
初めはくだらない遊びだと思っていたが、好きだと告げるリサの目に偽りはなく、その告白が本当のものだと理解してからは更に分からなくなった。狂っているとしか言いようがないのだ。

教師と生徒という関係の二人が恋人同士になれるはずもない。スネイプの答えなど一つしかなかった。

けれど、

”教師でも、スリザリンでも……好きなんです………”

切に訴えてくるその声に、不意に甦るかつての記憶。
最後まで『好きだ』と告げることが出来ないまま、袂を分かつことになってしまった情けなく愚かな己を思い出した。
拒絶されることを怖れ、虚勢を張り続け、いつの間にか遠くなってしまった彼女はもうこの世にはいない。

愚かだと嘲笑うことだって出来た。
目の前に立つ彼女を跳ね除けることが正しいということも分かっていた。
だと言うのに、何故だろうか。手を差し伸べてしまったのは。

「先生は誕生日が嫌いなんですか?」
「それ以前に、特別な想いを抱いたことがない」

幼い頃から誕生日などというものとは無縁だった。
不仲の両親が揃ってスネイプの為に誕生日パーティというものを開くことはスネイプの記憶上一度たりとてなかったし、おめでとうと言われた記憶すらない。生まれた日を美しく思ったことなど一度もないスネイプにとって、リサの誕生日が嫌いかという問いすら意味を為さないものであるのだ。

「お祝いしたことないんですか?」

無神経ともいえる質問に顔を顰めてみせれば、リサは眉を下げてごめんなさいと謝罪の言葉を口にする。今日は早々に立ち去ってもらおうと思って口を開こうとすれば、その前にリサがまた口を開いた。

「じゃあ、私が初めてですね」

居住いを正したリサが身体ごとスネイプに向いてはにかむ。その言葉の真意を探ろうと顔を見つめれば、照れ臭そうにはにかんだリサはポケットから一枚の紙を取り出した。

「あ、ははっ、あの、その……すみません。もっと気の利いた言葉を書ければ良かったんですけど、ピンとくる言葉が見つからなくて……どれも嘘臭く見えるなーと思ったら、その……」

『Happy Birthday』とだけ書かれたカードを見つめていると、リサが早口で捲し立てる。居た堪れないのか頻りに頭を掻いたり視線を泳がせたりしてたが、深呼吸して再び居住いを正した。

「先生にとっては特別でも何でもないかもしれないけど、私は特別だと思うんです。生まれてこなかったら、今こうして先生はここにいない訳でしょう? 先生がいなかったら私は魔法薬学を好きになれなかったかもしれないし、別の人を好きになってたかもしれないから……」

その方が良かったのではないかね。
口をついて出そうになった言葉を飲み込んだスネイプに気付かないまま、リサは頬を赤らめて続けた。

「先生が好きです。だから先生が生まれて……今こうしてここにいてくれる事が、私はすごく嬉しい、です」
「、」
「誕生日おめでとう、先生」

これからもよろしくお願いします。
その言葉と共に深々と頭を下げたリサが照れ臭そうに笑う。

”セブの誕生日はいつなの?”

幼い頃、彼女にそう尋ねられた時に誕生日は好きではないと告げた。両親が不仲であることを知っていた彼女はただ一言「そう」と呟き、それ以降ずっと誕生日には触れてこなかった。誕生日おめでとうと言わなかったのは彼女なりの優しさだったのだろうと思うし、それを残念に思ったことなど一度もなかった。

けれど。

「先生?」
「――いや……」

おめでとう。
事情を知らない人間からは何度となく祝いの言葉を贈られた。社交辞令的なものが殆どだったからだろうか、祝の言葉を受けても正面から受け取ることが出来なかったのは。

ただこの場にいるだけで嬉しいと言われたことなど一度もなかった。
生まれてくれたことが嬉しいと、存在していることが嬉しいと、そんなことを言われたことは一度もなかった。

生まれてきてくれてありがとう。そんな台詞を聞いたのはいつだっただろうか。気紛れで読んだ小説の中だったかもしれないし、マグルの世界で偶然見たテレビの中だったかもしれない。
そんな口先だけの陳腐な言葉に喜ぶ人間などいるものかと冷めたことを考えていたというのに。

余りにも、嬉しそうに言うから。
今この瞬間を幸せだと、その目が語っているから。
緩んだ頬が、綻ぶ口元が、優しい声音が。
彼女の、何もかもが。

「………ありがとう」

その言葉はするりと口から零れ落ちた。
花が綻んだように笑うリサを見て胸が締め付けられる。この、どうしようもなく湧き上がるものは何なのだろう。
今この瞬間もリサを騙しているというのに。
愛しているのは彼女だけだというのに。

強く抱きしめた腕の中の温もりを、

「先生、だいすき」

優しく紡がれるその言葉を、

「……あぁ」

失いたくない、など。





ぼくあいしてください





そんな資格、有りはしないというのに。