教育的指導


コックの朝は早い。
いつものように空が白み始めた頃に起きだしたサッチはさっさと着替えて部屋を出た。彼のトレードマークとも呼べるリーゼントは今は影も形もない。適当にカチューシャで前髪を押し上げただけの状態のサッチは欠伸を噛み殺しながら水場へ向かい手早く用意を終える。僅かばかり残っていた眠気もこれですっかり消えた。

厨房に行くと何人かのクルーが既に朝食の支度を始めていた。前日の内に既に仕込みは終えており、あとはそれを美味しく調理するだけだがこの船の人数はとてつもなく多い。コックが一人でも欠ければ朝食の時間に間に合わなくなってしまうのだ。

「よーっす」
「今日は随分とのんびりじゃねぇか、隊長」

いつもは一番なのに。そう言って笑う兄弟に「うるせー」と言い返してサッチは手早くコーヒーを入れた。不寝番をしている兄弟に持っていく為のものである。

「先に始めといてくれや」
「おう」

トレイにコーヒーを載せて食堂を出ると、向こうからぞろぞろとコックたちがやってくる。一際大きな欠伸をした兄弟に「しっかり目ェ覚ませよ」と肩を叩いて甲板に出たサッチは慣れた様子でマストを登っていく。

「ほいよ、お疲れさん」
「んぁ……あぁ、サッチたいちょーか」
「こら、寝るな」
「らーいじょぶ、おき――ふわぁ……」

そろそろ限界のようだ。あとちょっと頑張れよと背中を叩いてマストを降り、今度は船尾の方のマストへと向かう。見張り台全てを回ってコーヒーの差し入れを終えたサッチは、最後の見張り台で受け取った新聞を開いた。ひらひらと落ちていく手配書にはここ最近ですっかり見慣れた名前と顔がある。

「いやあ、頑張るねぇ」

若いっていいな。無意識に呟いたそれにハッとして「いや!俺だって十分若いし!」と誰に聞かせるでもなく叫んだサッチは新聞片手に食堂へと戻っていった。適当なテーブルにバサリと新聞を置いて厨房に戻れば、既にそこは戦場と化している。

「よし! 今日も頑張りますか!」

腕まくりをして気合を入れ、サッチも戦場へと身を投じた。




朝食の時間は昼と夜に比べると比較的静かだ。寝ぼけ眼のまま黙々と料理を口へ運ぶ兄弟たちに「ちゃんと味わって食え!」と再三訴えているのだが、改善の見込みは薄い。頑張って作ったのだから美味しく食べてもらいたいと願うコックたちは今の所ただひたすらに涙を飲む日々を送っている。
勿論、この薄情な兄弟たちがこんなにも無防備に食べているのは、コックたちを心底信じているからだという事も分かっている。だからこそいつも不満を感じながらも「よく噛んで食べろ!」なんて世話まで焼いてしまうのだ。

いつもと同じ光景に幸せなんてものを噛みしめていたサッチは、ふと気付く。リサがいない。いつもならこの時間には食堂のどこかしらでご飯を食べているはずなのに、いない。
腹立たしいことに、サッチにはその理由が分かる。嫌というほど分かってしまうのだ。

「ん? サッチ、どこ行くんだ?」

食堂を出ていこうとすると背にかけられる声。その直後に上がる「おいバカやめろ!」と牽制に、サッチは満面に笑みを浮かべて振り返った。大きく息を吸い込み、食堂中に聞えるように声を張り上げる。

「有志を募る!!」

それだけで理解したらしい兄弟たちは口々に「またかよ!!」なんて怒りと呆れの混じった声を上げた。その声の中にはいくつか羨望や嫉妬の声が混ざっている。

「おい、サッチ」

我先にと料理を掻っ込んで立ち上がった兄弟たちに笑いながらイゾウが手を挙げた。お、珍しい。お前も行くのか?と尋ねたサッチにイゾウは「まさか」と首を振り口端を吊り上げる。

「フォークス。声かけるの忘れるなよ」
「――勿論だ」

おそらく自分の顔もイゾウと同じように悪いものになっているのだろう。集まった兄弟全員が同じような表情で笑う。鬼気迫る様子で食堂を出た彼らは、最初に白ひげの部屋に立ち寄りフォークスを仲間に加えて目的地へと足を進める。

「グララララ!」

笑うだけで止めようとはしない父に背中を押されたようさえ思える。
目的の部屋の前に立つと、サッチは躊躇なく戸を蹴り開けた。

「ごらあああぁぁ!!! いい加減起きやがれ!!!」
「うびゃっ!」

奇妙な声と共にリサが目を覚ます。その隣で――腹立たしいことに、隣だ――呆れたような顔をするマルコは、それでもリサが起き上がらないようにとしっかりその身体を布団に隠している。それがまた腹立たしい。

「ったく……飽きねぇな、お前らも」
「んだとクラァ!!」

サッチが怒鳴ると同時にあちこちから非難の声が上がる。「俺らのリサを……!!」だとか「隣に寝やがって……!」だとか。「俺だって女抱きてぇのに……!」なんて嫉妬と羨望の声まで耳に届いたらしいマルコがまた溜息を漏らした。サッチたちの怒りを煽るだけだと分かっているのかいないのか。

「ふ、ふふふ……だがな、マルコ。今日はちゃーんと教育的指導をしてくれる奴がいんだぜ」
「?」
「反省しろアホンダラ!! ――よっしゃ! いけぇ!!」
「「「フォークス先輩!!!」」」

クルーたちの声に応えるように、背後に控えていたフォークスが風を切ってマルコの元へ飛んで行く。「げっ!」狼狽えるマルコに容赦なく爪をお見舞いしてくれる頼もしい不死鳥に、サッチたちは俄に湧き上がった。

「ぐあっ! ちょっ、待っ、このクソ鳥……!」

常ならば身軽に避けるマルコだが、今はそれが出来ない。その理由がまた腹立たしい。腕で振り払おうとして出来なくて。無様にも布団の中に隠れてしまったマルコには笑いを覚えるが、その隣に可愛い妹がいるという事実が笑えない。

「とっとと服着て飯食いに来やがれ!!」

本当はもっと沢山言ってやりたいのだけれど、勢い余ってリサの身体を露わにさせるわけにはいかない。服を着て食堂にやって来てからが勝負だと自身を抑え、サッチはフォークスを肩に載せて食堂へと戻っていった。

数分後、食堂にやって来たのはマルコ一人で。
リサはどうしたのかという問いに「起き上がれねぇんだと」などと悪びれずに答えるマルコには、フォークスの容赦無い突きがお見舞いされた。

「もうお前ら別れちまえ!! バカ野郎!!」
「バカはテメェだ」

漸く手に入れたのに手放してたまるか、と続けるマルコには確かに思うところもある。あるが、腹立たしくて堪らない。可愛い妹が、こんな野郎に。大切な家族であることは確かだし、マルコの事は勿論大好きだ。けれど腹立たしい。きっと誰が相手でも腹が立つのだ。ここは観念して受け入れてもらわねばなるまい。

「お前らのシスコンぶりも異常だよい」

うんざりした様子で肩を落とすマルコに、

「「「当たり前だ!!」」」

サッチたちは声を揃えて胸を張った。