モビー・ディック号が着港したのは小さな島だった。
一年中春の気候が続くというこの島はいつだって桜が満開で、遠目に見ると島自体が桃色に染まっている。
いつからかこの島はサクラ島と呼ばれるようになり、今ではこの島の正式名称を知る者の方が少ない。
この島は海賊からの干渉を受けないことでも有名である。
どんなに気性の荒い海賊たちでさえ、この島のあちこちに生える桜を見ると心が穏やかになるというのだ。
実際、桜にそんな作用があるのかどうかは知らないが、確かに眺めていると心が落ち着く。ここ数日のやさぐれた気持ちが和らいでいくのを感じながら、マルコは無意識に息をついた。
「なーにやってんだ?」
せっかく穏やかな気分になっていたというのに。背中にかけられた声にマルコは舌打ちを漏らした。揶揄を含むその声から容易に想像出来るのは、サッチのニヤニヤと腹立たしい笑みだ。振り返らなくたって分かる。
「んなとこにお前の望む奴はいねぇぞ?」
「……んなこたァ分かってる」
ルーシーたちと共に船を降りていくその姿を見送っているのだ。自分の故郷にも桜があったのだと声を弾ませながら説明していたのが聞こえた。
相変わらず色気のない格好をしていた彼女は、どちらかというと色気が有りすぎるナースたちの中で酷く目立っていた。仮にマルコの目が無意識にリサを探していなかったのだとしても、嫌でも目についたことだろう。
「ま、今回は本当に問題なさそうだけどな」
今回は。強調するサッチのおかげで、初めてリサがルーシーたちと共に上陸した時のことが甦る。あの時は散々だった。今回はちゃんと下調べをしてこの島が安全であることを確認している。青キジを見たという報告も聞かないから、リサたちだけでも大丈夫だろう。
「自分が賞金首だってこと、忘れてんじゃねぇだろうな」
六年間もあちらの世界にいたことで、身体は鈍りに鈍っていた。リサによれば、毎日研究とやらをしていたらしい。スネイプと。ひくりと引き攣る頬を見られないようにとさりげなく隠しはしたが、面白くないことは確かだ。
”だって、来ると思ったから”
悪びれる様子もなくそう言い放った彼女の言葉に裏があるのでは、なんて勘ぐったりもしたが、なんて事はない。彼女は、ただ本当にそう信じていただけだ。マルコが来ることを知っていた。信じていた。来ないはずがないと思っていた。
マルコ自身、リサが消えて半年を過ぎた辺りから何となくそうじゃないかと思い始めていた。誰よりも長く一緒にいたのだ。あの妹の性格など、嫌というほど理解している。けれど実際にそう言われて面食らってしまったのは、一年を過ぎた頃に漸く理解した自分の気持ちを持て余していたからだ。
伝えはした。返事はもらってないが。
キスもした。怒られたが。
リサが自分をそういう意味で好いてることも知っている。半分くらいは当てずっぽうだったが。
仮にそういう風に見られていなかったとしても、それならば見させれば良いだけのことだ。女の扱い方は十分心得ているつもりだ。
けれど、悲しいことにリサという女はマルコの知っている『女』とは少々違っていた。
似通った点は多々ある。どんなにそっぽを向いていたって、真っ赤に染まった耳なんかを見れば一発だ。だからこそリサの気持ちはすぐに分かったし、あと一押しすれば頷くものだと思っていた。信じていた。
それでも、彼女からの返事は”NO”だった。
「……分かんねぇ」
無意識に漏れた溜息にサッチが呆れた視線を送ってくることにも気付かないまま、マルコは渋面で目の前の桜の木を眺めた。実際には視界に入っているだけで認識しているかどうかも怪しい状態なのだけれど。
何で好きなくせに”NO”なのか。マルコには分からない。全く分からない。
マルコの知っている女と言えば、『そういう』目で見つめて、距離を縮めて、ついでに少しばかり顔を近づければ意図を理解して自ら唇を寄せてきたものだ。初めて女を知ったその日から、ずっとそういうものだと認識してきた。
それなのにリサは怒るのだ。
昔は仕方なかったとは思うが、今は気持ちが伴っているのにも関わらず、だ。
部屋に行けば「また来たの?」なんて言いながらも入れてくれるし、無遠慮にベッドで本を読んだりしても文句を言わない。自分が眠くなった頃に「ちょっと退いて」だとか「邪魔」なんて言うくらいだ。男として見られていないのかと思い抱きしめてみれば、平静を装ってはいたが緊張しているのはバレバレだったし、戯れに髪に指を通してみれば時たま引っかかって「痛い」と文句を言うくらいでその他は何も言わなかった。
受け入れられている――そう捉えても仕方ないではないか。
いつの間にかその場にしゃがみ込み悶々と頭を抱えていたマルコは、傍らから聞こえた至極呆れた様子の溜息に我に返った。
じとりと隣を睨め上げれば、深い溜息と共に突き出たリーゼントも眉も垂れ下げている兄弟の姿がある。予想だにしていなかったそれに僅かばかり目を瞠るマルコの視線の先で、サッチは焦燥感を顕にしながら地団駄を踏み、自慢のリーゼントが崩れるのも厭わずにぐっちゃぐっちゃと頭を掻き回した。
「何やってんだ……?」
頭大丈夫か?とおかしなものを見るような目で見つめていると、キッと眉を吊り上げたサッチが今度は怒りを顕にマルコの胸倉を掴み上げた。突然のことに驚き抵抗出来ずにいるマルコに更に苛立ったのか、いつもはヘラヘラと笑っているサッチの顔は益々怒りに染まっていく。
「お前は! どーしようもねぇ大馬鹿だな、オイ!」
何だこいつ!意味分かんねぇ!
それはこちらの台詞だ。突き飛ばされながらマルコは思う。
「あのなぁ! アイツはお前が今まで相手してきたような色気も胸もたっぷりなネーチャンたちとは全ッ然ちげーの!」
「んなこた分かってるよい」
「どっちかってーと、海賊なんか出てこないくらい平和で田舎丸出しの島とかに住んでるよーな奴なんだよ!」
まぁ、それも何となく分かる。
本人が聞いたら「ちょっと酷くない!?」と叫びそうだけれど。
「そーゆー島にいるような女の考えが、お前に分かるか!? 分からねーだろ!」
もうほんっとダメ!お前ダメ!ダメダメ!
呆れと怒りと僅かばかり哀れみの色まで浮かべながらひたすらにダメ出しをされれば、さすがに苛立ってくる。何が言いたいのかさっぱり分からないが、とにかくサッチに言わせれば自分は「ダメ」らしい。何がどうダメなのかはっきり教えてくれれば良いのに――そんなことを思いながら、マルコはサッチに尋ねた。
「じゃあ、お前は分かんのかよい」
「少なくとも、アイツが何でお前から逃げてんのかは分かる」
何が少なくとも、だ。マルコが欲しい答えはまさにそれだ。
リサが何故頑なに突っぱねているのか、その理由が知りたいのだ。
「でも、お前にゃ教えてやんねーよ」
「あァ?」
あれだけ散々人を馬鹿にしておいて?冗談じゃない。
ひくりと頬を引き攣らせながら立ち上がったマルコは、きっとサッチが思う以上に追い詰められている。マルコ自身、気付いていないのかもしれないが。柄にもなく求婚して、尽く玉砕しているのだ。その理由もまともに教えてもらえないままで、納得など出来るはずもない。怒りに任せて手を出せば泣かれる始末だ。
こうなったら、今この場で溜まりに溜まった鬱憤を晴らさせてもらおうではないか。バキバキと指を鳴らしながら腰を落としたその瞬間、サッチが「嫌だ」と手のひらを向けてくる。
「何だよい」
「折角の桜が勿体ねぇだろうが」
「知るか」
「お前の憂さ晴らしに付き合ってやるほど、俺ァお人好しでも暇人でもねーんだよ」
そう言うなりくるりと背を向けてしまったサッチは、マルコが止める間もなく歩き出してしまう。
ふざけるな。漸くスッキリ出来ると思ったのに。戦う気ゼロの相手――しかも背中を向けている――に襲いかかろうと思えるほど自分は小物ではない。けれど、だからと言ってこの苛立ちが消えるわけでもない。盛大な舌打ちをしながら足元の小石を蹴り上げたマルコは、憮然とした表情のままポケットに手を突っ込みサッチに背を向けた。
苛々する。
物凄く、苛々する。
こうなったら、もう酒場にでも行って女を買ってこようか。
けじめだと自ら女断ちを決めたわけだが、それでもやはり拒絶されたのだ。厳密に言えば付き合っているわけでもないのだから、何をしたって咎められる謂れはない。リサに知られれば間違いなく状況が悪化することだけは分かっているのだけれど、もうどうにでもなれと思ってしまう。
そうだ、そうしよう。女を買いに行こう。
街へ向けて歩き出そうとしたマルコの足を止めさせたのは、数メートル後方で立ち止まったサッチの声だった。
「こんなとこで考えてりゃ答えが出んのか?女の一人でも買えば満足か?」
まるでマルコの考えを読んだかのような台詞に、マルコは思わず足を止める。
「答えが見つからねぇってんなら強引に作っちまえば良いだろうが。愛の言葉でも囁いて、キスの一つでもしてやりゃあんなお子様イチコロだろ?」
「、何、言ってんだお前……?」
マルコの記憶が確かならば、サッチはリサを溺愛していたはずだ。
こちらの世界に戻ってきてからは毎日リサの部屋に確認しに来ていたではないか。
そのサッチが、今、何と言った?答え見つけることを諦めて、強引に作れと?愛の言葉を囁いて、キスをして、そうすれば彼女はマルコのものになってくれるのだと――
「――……あ」
無意識に漏れた声は何とも間抜けなものだった。サッチの大きな溜息が聞こえる。
「いいかマルコ、よく聞け。この愛の伝道師サッチ様からありがたい一言をくれてやる」
この、バカ。
ありがたい一言を寄越すと、サッチはさっさと行ってしまった。振り返ることも立ち止まることもなかった。
遠ざかるその背中を呆然と眺めていたマルコは、頭を必死に働かせながらこれまでのことを思い出していた。そして、気付いた。漸く気付いた。
「……バカか」
深い溜息と共に落としたその言葉が誰に向けたものなのかは分からないが、取り敢えず、やるべきことがある。
ガリガリと頭を掻いたマルコは、自分の頬をべちべちと叩くとその身体を青い鳥の姿に変えて大空へと飛び立っていった。