02


「ぎゃああぁっ! 失敗した!」

モクモク。モクモクモクモク。
鍋から噴き出るおかしな色の煙を見ながらリサが叫ぶ。

「馬鹿者! すぐに火を止めろ!」
「分かってますよ! あ、あれ? 杖がない!」
「机の上だ! さっき置いてただろう!」
「えーと、えーと……、あった!」

煙で視界を奪われた状態で手探りで杖を探り当てたリサは、即座に鍋に向けて杖を振った。
これで火が消えたはずだ。あとは煙が治まるのを待つだけだ。問題ない。大丈夫だ。

「げほっ、うえっ、吸い込んじゃった……」
「まったく……だから先に時計回りに混ぜろと言ったではないか」
「だって! 掻き混ぜる直前に言うから!」

もっと早く言ってくれれば良かったのに!
未だ室内に残る煙に目や鼻を刺激され、リサは目を潤ませながら袖で口を覆い隠した。
煙だけでは異常はないだろうが、鼻も目も痛くなるのは頂けない。詰まる所、全然大丈夫ではないのだ。

「あーあ、また失敗だ……」
「君が反時計周りに混ぜるからだ」
「あ! そういうこと言う!? セブルスだって最初は反時計周りだって言ってたのに!」
「直前で言い換えたではないか」

自分に非はないと言い張るスネイプをじろりと睨み付けて、リサは溜息を一つ零した。
取り敢えずドアを開けて換気をしようと扉を目指したその時、バチバチッと何かが弾けるような音が室内に広がった。

「え、何の音?」
「何だ……?」

相変わらず煙で覆われていて視界は最悪だ。
とにかく戸を開けて換気をしなければ。そう思い扉を開けようとしたその瞬間、一際大きく弾ける音と共に何かが床に落ちる音がした。

「っ、てぇ……げほっ、な、何だこれ……!」
「え、え? だ、誰?」

慌てて戸を開け放つと、待ってましたと言わんばかりに煙たちが廊下へと流れていく。相変わらず聞こえてくるのは咳き込む男の声。ふざけんな、だとか、あの野郎、だとか。
その声に覚えがあるような気がするのは気の所為だろうか。

「あ、あのー……?」
「げほっ、誰かいんのかい? こりゃ何なんだよい」

覚えのありすぎるその口調。薄らいでいく煙の向こうに見える、独特のシルエット。
まさか。リサは息を呑んだ。

「、マル、コ……?」
「………!!」

シルエットが勢いよく立ち上がる。漂う煙を手で薙ぎ払うと、漸くその姿をはっきりと視認することが出来た。

「う、わ……本物だ」
「………お前、リサか?」

まじまじと見つめるリサに対し、マルコは大きく目を見開いてこちらを凝視している。

「そうだけど……え、何?」
「お前……だって、その姿……」
「え? あぁ……何か、時間の流れが違うみたいで」

こっちはあれから六年経っちゃってるんだけど、そっちはどれくらい?
問いかけるも、マルコからの返事はない。相変わらずこちらを凝視してくるその目に居心地の悪さを覚えたリサは、それを払拭するように鍋に近付いた。

「あっちゃー……壊れちゃってる。え、あれ? アンタまさか鍋から出てきたの?」
「知るか。アーチ潜ったらいきなりこんな煙の中に出たんだよい」
「アーチ?」
「あぁ、その話は後だ。それより」

言葉を切って伸びてきた手がリサの頬に触れる。
無意識に身体が揺れると同時に心臓が跳ねたりしたが、おそらく気の所為だ。

「リサ……」
「、な、なに……」

確かめるように頬を撫でた手が首筋へと伝う。くすぐったさに身を捩ったその時、反対の手がリサの頭に降りおろされた。

「いだ……っ!」
「テメェいい度胸してんじゃねぇか。六年だぁ? 何のんびりしてやがんだよい」

両頬を際限まで引っ張られてしまえば、反論することなど出来やしない。口から漏れる「痛い」という言葉すらわけの分からない音に早変わりだ。

「勝手に年取りやがって」
「ったぁ……しょうがないじゃん、戻る方法見つかんなかったんだもん」
「ほー、そりゃまるで必死に探したような言いようだなぁ、おい」
「さ、がしたヨ?」
「声裏返ってんぞい」

ごつん。再び降ってきた拳に涙を滲ませたリサは、痛む頭を抑えながら壁へと向かう。

「セブルス、大丈夫? 焦げてない?」
「問題ない」
「セブルス? ――あぁ、お前に惚れた物好きな男か」

へぇ、これが。額縁を覗き込んだマルコが嗤う。
明らかに挑発しているようなその態度に反論しようとリサが口を開くが、それを許すスネイプではない。

「初対面の人間に随分な言いようですな」
「生憎、汚らしく生きてきた俺には学がねぇもんでね」
「ふむ……なるほど、見たとおりだ」

ぴしり。マルコのこめかみに青筋が浮かんだのが見えたが、よく見れば額縁の中のスネイプの額にも同じようなものが見える。

「ちょ、ちょっと……何でいきなり喧嘩するのさ、止めてよ」

強引にマルコを引き剥がし、杖を振って鍋を元通りにすれば、舌打ちを零したマルコが辺りを見回して呟く。

「クソ鳥はどこだ?」
「え? フォークス? 最初からいないけど……」
「――あの野郎、自分だけ残りやがったのか」
「それ、またフォークスにやられたの?」

こめかみに残る傷痕を指して笑うリサを睨み付け、再度舌打ちを零したマルコは腕を組んで不満げに口を開いた。

「とっとと用意しろい」
「へ?」
「帰るっつってんだ」
「え? あ、うん……あー、でもまだこの薬完成してな――ふがっ」
「帰るぞ、っつってんだよい」

再び引き伸ばされた両頬の痛みに涙を滲ませながら、リサは慌てて数度頷いた。
確実に頬が伸びた気がするが、恐ろしくて鏡を見ることなど出来るはずがない。

「久しぶりに会ったかと思えば……全ッ然変わってないじゃん」
「そりゃこっちの台詞だ」
「変わったもん大人になったもん」
「ちょっと見た目が変わったくらいで威張ってんじゃねぇ」

鼻で嗤うマルコを睨み付け、リサは舌打ちをしながら部屋に散乱する道具を片付けた。
額縁を見れば、剣呑な雰囲気を醸し出すスネイプがマルコを睨み付けている。当然ながらそれに気付かないはずがないマルコは、チラリとスネイプを見て、リサを見て、再び鼻を鳴らした。何とも腹の立つ仕草だ。

「まさか絵とデキてるなんて言わねぇだろうな」
「バッカじゃないの」
「テメェに言われたらお終いだ」
「やーい、バーカバー……――ぎゃーごめんなさい! 痛い痛い!」
「俺が、何だって?」

鷲掴まれた頭がミシミシと悲鳴を上げる。調子に乗りすぎた。すぐに暴力に訴える男だと分かっていたくせに、どうしてもマルコを見ていると文句の一つや二つ言いたくなってしまうのだ。悪い癖だとさすがに自覚してはいるが、どうやらそう簡単に止められるものでもなかったらしい。

「オヤジに言い付けてやる……」
「どうやら仕置きが足りなかったか?」
「さ、準備しようっと!」

慌ててマルコに背を向けたリサは、ひと呼吸置いて再び額縁へと歩み寄った。

「ごめんなさい、迎えが来ちゃった」
「………そのようだ」

まさかマルコのような人間が来るとは思っていなかったのだろうか。未だにマルコに対して警戒を露にするスネイプだが、懐に杖を忍ばせていようとも額縁の外に届くはずもない。
溜息を一つ漏らしたスネイプは、空になった鍋へと視線を向けて口を開いた。

「君の代わりなど、いくらでもいる。どこにでも好きな所へ行きたまえ」

どこまでも不器用で、どこまでも素直ではないかつての恋人にリサは苦笑を漏らす。

「六年間、ありがとうございました。私ほど優秀な助手はそう簡単に見つからないかもしれませんけど、頑張って探してくださいね」
「この六年で随分と自意識過剰になったものだ。君を優秀だと言うのならば、この世の半分以上の人間がそう言われて然るべきではないか」

相変わらず視線を合わせようとせず、嫌味な教師ぶろうとするスネイプの考えなど、この六年で嫌というほど知り尽くしているというのに。

「セブルス」

チラリと視線を寄越したスネイプに、リサは顔を綻ばせて言った。

「ありがとう」

貴方に会えて、幸せでした。

「………元気で」

観念したように微笑むスネイプの肖像画にちゅっと音を立ててキスをすれば、動揺を露にするスネイプにリサはニシシと笑う。

「じゃあ、幸せになってきます!」

静観していたマルコを振り返れば、何故か不機嫌そうな顔をしたマルコに手刀を食らった。

「こいつはもらっていくよい」

ニヤリと口端を上げて悪そうな笑みを浮かべたマルコに、何かを察したのかスネイプが渋面になりリサを見遣る。けれど、結局何も言うことはせずただ鼻を鳴らして顔を背けた。

「何なの?」
「さぁな」

くつくつと笑うマルコに首を傾げていると、さっさとしろと急かされる。
部屋にもどり荷物を纏めたリサは、予め守護霊の呪文で呼び出したハリーたちと玄関ホールで落ち合った。
いかにも悪人面なマルコを見て不安げな顔になるハリーたちに声を上げて笑い、マルコに殴られ、昔のように口論が始まる。

「何か……大丈夫そうだね」
「そうね、リサが笑ってるもの」

微笑むハリーたちの声は耳に届くことはなかったが、別れる時には「元気で」と笑って見送ってくれた三人に、リサも満面に笑みを浮かべて手を振った。