「話を戻すね。僕らが調べた中でも、君と同じように異世界に消えてしまった人たちは何人もいたんだ」
「理由があるの?」
「あるわ。あくまでも、仮定の話だけど……あのね、その……何から話せばいいか……」
「これ、見て」
言葉を濁すハーマイオニーの代わりに口を開いたハリーが、懐から数枚の羊皮紙を取り出して広げた。
そこに書かれているのは、どうにも胡散臭さが漂う異世界についての記事だった。
「これは?」
「ずっと前にザ・クィブラーに載った記事だよ。異世界なんて誰も信じなかったけど」
ある羊皮紙にはマグルの少女が。ある羊皮紙にはマグル生まれの男子学生が。またある羊皮紙にはマグル生まれの女子学生が。
「これ……マグル生まれが多いんだね」
「そうなんだ。記事の年号を見てくれる? 行方不明者が多くなったこの頃は純血の魔法使い達が特に力を持っていた頃なんだ」
「マグル生まれの魔法使いや魔女が今よりも差別されていたのよ」
「マルフォイみたいな奴が沢山いたってことさ」
「つまり、迫害されてた人たちが行方不明になってたってこと?」
いまいち理解出来ずに首を傾げたリサに、これは僕たちの想像なんだけど、とハリーが神妙な顔つきで説明した。
「きっと、この人たちはここにいたくなかったんじゃないか、って」
「え?」
「一年の殆どを学校で過ごすだろう? 毎日のように『穢れた血』だって見下されて、時には酷いこともされただろうから……逃げたくなったんじゃないか、って」
「……じゃあ、」
「うん……きっと、この人たちは自分たちの意思で異世界に行ったんだ」
あくまでも仮説だけどね。グッと眉根を寄せて無理に笑うハリーに、リサは何も言えなかった。
自分たちの意思で。
もしその仮説が事実だとするなら、ならば自分は――
「私、が……望んだ、から?」
零れた声は掠れていた。
「だって、そん、そんなこと、私は……」
「分かってるわ。貴方が異世界に行きたがってたなんて思ってない。そうじゃないのよ」
悲しげなハーマイオニーが労わるようにリサの手を握る。
温かいその手の温もりが、何故か怖くて堪らない。
「あの時、貴方は色々なことがあって……『普通』じゃなかったわ。少なくとも、いつも通りではなかった。そうよね?」
「それは……」
「当然よ。両親を亡くして、スネイプ先生にも……一度に沢山のことがあって、追い詰められてたのよ」
優しく言い聞かせるようなハーマイオニーの声が胸に突き刺さる。
思い当たる節はある。確かに違っていた。普通でなかったことはリサ自身も理解している。
けれど、それでも。
「でも、異世界に行きたいなんて――」
「違うわ。そうじゃないのよ」
「リサ、君は……その、死にたかったんじゃないか?」
「――、」
声を失くしたリサに、ロンは畳み掛けるように口を開いた。
きっと、彼らもそうだったんだと思う。
でも、自殺をしようとは思ってなくて、ただ、消えたくなって。
その思いが一番強くなった時に、ゲートを潜ったんだ。
「あそこはマグルの世界と魔法界との境界線だ。魔法使いや魔女たちはマグルの世界にも普通に溶け込んで生きていて、けど、確実にマグルとは違う。これは僕たちの考えだけど、きっとあのゲートはただのゲートじゃないんだ」
「ずっと不思議だったんだ。何であんなにマグルが集まる場所にゲートがあるんだろう、って。あのゲートは下手をすればマグルだって普通に見つけることが出来るだろう?」
確かにそうだ。
もし、魔法使いや魔女があのゲートに消えたのを見てしまったら?あれだけ大勢の人間がいるのだ、目撃者がいたとしても不思議ではない。
もし、魔法省がそれに気付けずに見逃してしまったマグルがいたとしたら――?
「僕だったら、同じようにゲートを潜るよ。何か秘密があるんじゃないか、ってワクワクしながら通る。自分の知らない新しい世界が広がっているんじゃないか、って」
「ハリー……」
「きっと、ここに書いてあるマグルもそうだったはずなんだ。未知の世界へ足を踏み入れようとして、それで異世界に飛んだんだよ」
「でも……どうして? それなら、ちゃんとあのホームに出るんじゃないの? だって、ハリーだってハーマイオニーだってそうだったでしょう? 私だって初めてあそこを通った時、ワクワクしたよ。何があるんだろう、って――」
「うん。でも、僕たちは切符を持ってた」
それに、カートだって押してただろう?ハリーは言った。
「あの切符も、トランクの中身も、全部魔法界のものだ。だから正確にゲートを潜れたんじゃないかって想ってる」
「でも、じゃあ私やマグル生まれの人たちが飛んだのは?」
「そう。だから僕たちは考えたんだ。君たちが皆、この世界から消えたがっていたんじゃないか、って」
魔法界からも、マグル界からも。
「君たちがこの世界から消えることを望みながらあのゲートを潜ったから、異世界に飛んだんだ」
「でも、私はあの時そんなこと……」
「あの時ゲートを潜っていたら、僕たちはそこで別れてた。君は日本に戻って、それで、どうするつもりだった?」
「え?」
「やりたいことはあった? 将来どうするかとか、考えてた?」
「それは……」
答えは否だ。
何も考えられなかった。
ただ、これで魔法界から離れるのだと思っていた。
スネイプに関わる全てのものから逃げて、待つ家族のいない日本に帰って、その先どうやって生きるのかなんて考えていなかった。もしあのまま戻っても、何もせずに時が過ぎていくのを眺めていただけかもしれない。
「無意識だったかもしれない。けど、君は魔法界に戻らないことを決めていた。スネイプを思い出すから。けど、日本に帰れば家族を思い出す。両親がいない日々を過ごす辛さは僕にも分かるよ」
魔法界に戻らず。
日本で悲しみに明け暮れるだけの日々。
それを思い浮かべた時、次に考えることなど容易に想像出来る。
「ここから消えたい。そう思った時に、君はゲートを潜ってしまったんだ」
「………だから、あの世界に……じゃあ、どうして戻って来れたの?」
「乗り越えたからだよ」
ハリーの代わりにロンが答えた。
「君が、家族のこともスネイプのことも乗り越えたから、だからここに戻ってきたんだ」
「ロン……」
「悔しいわ。本当は、私たちが貴方を助けてあげたかった。でも……きっと、あのままじゃ私たちは何も出来ないまま貴方まで喪っていたかもしれない」
リサの頬に触れながらハーマイオニーが微笑む。
悲しげに笑うその顔に痛む胸は、けれどもうその温もりへの恐怖を覚えたりはしなかった。
「じゃあ、フォークスも……?」
「多分……ダンブルドアが死んだことが悲しかったんだろうね。フォークスはずっとダンブルドアと一緒だったから」
「それか、ダンブルドアが死んで引き止めるものがなくなったから別の世界に行っちゃったのかも。だってほら、フォークスって何だか特別って感じがするだろう?」
「……そうだね」
くすりと笑って頷けば、ハーマイオニーの顔が近付いてきて、こつん。額が触れ合った。
「私、嬉しいわ。貴方があの世界で乗り越えたから、また会えた」
「私、が……」
「ダンブルドアが言ってただろう? 『自分がどのような選択をするか』だって。君は逃げたけど、でもちゃんと乗り越えてここに戻って来てくれた」
ありがとう。そう言ってハリーが笑う。
実際はどうだったのだろうか。考えを巡らせようとしてすぐに諦めた。
どうだっていい。ハリーたちの仮説が正しかろうが、間違っていようが、自分はここにいるのだ。
あの世界へ逃げたのだと少々バツが悪いが、それをちゃんと乗り越えて戻って来たのだと、そう思えば気が楽になる。
「待っててくれてありがとう」
待たせてごめんね。
三人に抱きつきながら言えば、本当よ!ハーマイオニーが叫ぶ。
「三年も待たせるなんて!」
「……は?」
間抜けな声が廊下に響いた。
「さ、三年……?」
ちょっと待って。リサは混乱する頭を押さえた。
三年。ハーマイオニーは三年と言った。
けれど、確かにあの世界では一年半ほどしか経っていない。
それは、つまり。つまりだ。
「は、はは……時間の流れが違う………」
「じゃあ、君が全然変わってないように見えたのは気の所為じゃなかったんだ」
ハーマイオニーとリサとを見比べながら言ったロンは、「失礼ね!」と眉を吊り上げたハーマイオニーに肘鉄を食らってその場に崩れ落ちた。
「さっき話を聞いてる時から何となく感じてたんだけど……あっちの世界ではどれくらい経ったの?」
「一年半、くらい……」
「つまり、僕たちの方が年上になっちゃったわけだ」
ただでさえ君の方が年下に見えるのにね。
笑うハリーの腹に、煩い。拳をめり込ませて。
「つまり、向こうに戻った時に皆との歳が縮むのか……」
まさかこちらが年上になったりはしないだろう。……そう信じたい。
「リサはこれからどうするの?」
「向こうに戻る方法を探すよ。またゲート潜ったら戻れるかな?」
「どうだろう……試してみるのも良いけど、」
「だめよ! 少なくとも今すぐはだめ!」
「どうして?」
首を傾げるロンをキッと睨み付け、ハーマイオニーはリサの腕をがっしりと掴んだ。
「やっと戻ってきたのに! すぐに戻るなんて駄目よ!」
「あぁ、そりゃそうだよ」
「少なくとも、向こうにいたのと同じくらいはいてもらわないと」
「え、そんなに?」
「あら、私たちといるのが嫌なの?」
「まさか!」
慌てて首を振れば、満足気に頷いたハーマイオニーが「そうだわ!」と弾んだ声を上げる。
「マクゴナガル先生の所に行きましょう!」
「マクゴナガル先生?」
「暫くはここにいるんだもの。この城で働かせてもらえば良いのよ!」
「え、いや……私、教師とかは向いてないし……そもそもそんな簡単に雇ってもらえないでしょう?」
「助手でもなんでもあるじゃない。大丈夫よ! 私に考えがあるの」
ウィンクをしてみせたハーマイオニーが上機嫌な足取りで去っていく。
その背を見送ったリサたちは、顔を見合わせてそれぞれ肩を竦め苦笑を浮かべた。
「考えって何だと思う?」
「僕、何となく分かったよ」
「え、何?」
「スネイプさ」
「スネイプ先生?」
「あぁ、そっか」
声を上げて笑い合うハリーとロンを、リサはただ首を傾げながら見ることしか出来なかった。