「まぁ……!!」
校長室を訪れると、マクゴナガルは目を大きく見開いて声を上げた。
「あの……お久しぶりです、先生」
「Miss.桜井……! い、今まで一体どこに? どうやって――」
「えー、と……話すと長くなるんですけど……その、他の世界に、ちょっと……」
信じてくれるだろうか。何を馬鹿なことを、と一蹴されるだろうか。
ぽかんと口を開けて呆然としていたマクゴナガルは、けれど次の瞬間には目を閉じて深呼吸をすると、優しく微笑んで「お帰りなさい」と温かい言葉をくれた。
「信じてくれるんですか?」
「貴方の友人たちから沢山聞かされていましたからね」
正直、本当に異世界なんてものがあるとは思っていなかったけれど。
苦笑を浮かべたマクゴナガルは、チラリと壁に掛けられた肖像画へと視線を向けた。
ダンブルドアの肖像画も、その隣の新しい肖像画も、過去にリサがここを訪れた時には無かったものだ。
「お久しぶりです、ダンブルドア先生」
「本当に久しぶりじゃ。元気だったかね?」
「えぇ、先生も……えーと、その……」
元気そうですね、なんて言ったら失礼だろうか。何せ、彼はもう既に死んでいるのだ。
額縁の中でどれだけ元気に過ごしていたって、それは変わらない事実だ。
言葉に詰まるリサに微笑んだダンブルドアは、傍らのテーブルに置いてあるレモンキャンディーの包み紙を剥がして口へ放り込んだ。
「わしがまだ生きていたのなら、レモンキャンディーをあげることが出来たんじゃがの」
ころころと楽しげに笑う老人に曖昧に笑い返して、リサはチラリとその隣の額縁へ視線を向けた。
この場所からではよく見えない。彼はそこにいるのだろうか。それとも――?
「さて、私は職員室に用があるので行きますが――」
「あ、私たちも行きます」
気を利かせてくれたのだろうか。きっとそうに違いない。
そそくさと扉へ向かう恩師と親友たちを見送れば、振り返ったハリーが声を出さないまま唇を動かした。
”がんばれ”
親指を立てて扉の向こうへ消えた親友へ「ありがとう」と呟いて、リサは大きく深呼吸をした。
振り返れば、いつの間にか肖像画にいた歴代校長たちの姿が消えている。揃いも揃って気を利かせてくれたらしい。
一歩、また一歩。
そちらに近付くたびに心臓が煩くなるのを感じながら、それでも歩みを止めることなく足を踏み出した。
モクモクと湯気の立つ鍋に向かう背中は、記憶の中のそれと全く同じだ。
背筋をピンと伸ばして立つ彼の背中を、こうしてずっと見つめていた。
入学した頃から、ずっと。
「――スネイプ、先生」
ぴたり。鍋をかき混ぜる手が止まった。
「………お久し、ぶりです」
声が掠れる。
身体が震える。
どくん。どくん。
「――あぁ」
ゆっくりと振り返った彼は、いつもと変わらない目でリサを見た。
授業中や廊下で出会した時と同じ――グリフィンドール生を見る、冷たく突き放すような目だ。
「我輩はさして君に会いたいと思ったことなどないが……一体何の用かね?」
Miss.桜井。
腕を組んだスネイプが真っ直ぐにリサを見つめる。
どこまでも冷たく、
どこまでも突き放すような目、言葉。
全身を覆い隠す漆黒のマントは、まるでリサを拒絶しているようではないか。
こちらが全てを知っていることを認識した上で冷たく接しているということは、それはつまり、リサのことなど本当にどうでも良かったと、そういうことではないだろうか。
やはり、何とも思っていなかった。
かつて囁かれた愛の言葉は、全て偽りだった。
優しく触れた手も、ぎこちなく微笑んだ顔も、何もかも。
「嘘、だったんですね……」
零れ落ちたその言葉に、スネイプは嘲るように口元を歪めた。
”嘘、だったんですね……”
俯いたリサの口から零れ落ちた悲しげな言葉に、スネイプは嘲るように口元を歪めた。
そうだ。それで良い。
全てを知った上で、愛してくれなどと思ったりはしない。
憎んでくれて構わない。
こんなにも最低で、どうしようもない男のことなど切り捨ててしまえば良い。
記憶の彼方へと追いやって、そして、また新たに恋をすれば良い。
幸せになってくれ。
他には何も望まないから。
嫌われることなど、慣れている。
憎まれることなど、慣れている。
だから、どうか。
どうか、幸せになっててくれ。
幸せになってくれれば、生きていてくれればそれで構わない。
それ以上は何も望まない。
愛してくれなど言わない。
理解してくれなど言わない。
だから、どうか――
「――って、言って欲しいんですか?」
俯いたままの彼女が呟いた言葉を理解できず、スネイプは目を瞬いた。
「何……?」
「でも言ってあげませんよ、私」
ごめんなさい。顔を上げた彼女を見て、スネイプは息を呑む。
「嘘じゃないって、気付いちゃったんです」
危うく騙されかけてましたけど。
照れ臭そうに笑うリサを呆然と見つめて、その言葉を何度も反芻する。
そして、理解する。
それは。
それは、つまり――
「好きです、先生のこと」
先生も、そう思ってくれてるんですよね?
問いかける声は確信を持っている。
あぁ、何故。
どうして。
「………どうして、」
教師の面を被って接すると決めたのに。
死喰い人の面を被って接すると決めたのに。
あの人だけを愛した男の仮面を被って接すると決めたのに。
「さぁ……何でかな」
私もよく分かんない。リサが笑う。
悲しげに笑うその顔は、泣くのを必死に堪えていた時に見せていたものだ。
あの頃は、手を伸ばせば届く距離にいた。
今も、こんなにも近くにいるというのに。
伸ばした手は届かない。
「でも、好きなんだもん……教師でも、スリザリンでも――」
覚えがある台詞に息を詰めれば、相変わらず泣きそうな顔で笑うリサが更に続ける。
「他に好きな人がいても……死んじゃってても………」
伸びてきた手が絵に触れた。すぐそこにある手は、けれどスネイプの元まで伸びてくることはない。
どんなに手を伸ばしてみても、そこにある手に触れることは出来ない。
見えない何かが阻むのだ。
リサの手にはざらついた紙の感触しか伝わってこないのだろう。
「それでも……ずっと、大好きです」
だから。
言葉を切ったリサが大きく息を吐き出した。
目に溜まった涙を零さないようにと必死に眉間に皺を寄せるその姿に、こんなにも心が揺さぶられる。
あの頃からずっと、親子ほどにも歳の離れた相手に。
「――リサ」
口を開きかけたリサを遮って名を呼べば、唇を噛み締めたリサの頬を涙が伝う。
全てを知って、尚も好きだと――彼女の目が、涙が、噛み締めた唇が、震える肩が、そう訴える。
あぁ、何て。
「幸せに、なりなさい」
「、」
「君が幸せになることを、祈っている」
何て幸せなのだろうか。
愛した人に愛される喜びが、これほどのものとは知らなかった。
ひたむきに寄せられる愛情が、こんなにも擽ったいものとは知らなかった。
全て彼女が教えてくれた。
こんなにも歳の離れた彼女が。
グリフィンドールに所属していた彼女が。
沢山の傷を負わせてしまった彼女が。
「君を、想っている」
おそらく、これから先もずっと。
愛する人に愛を告げられることが、こんなにも幸せなこととは知らなかった。
「、ぜん、ぜぇ……」
くしゃくしゃに顔を歪めて声を上げて泣く彼女に、伸ばした手は届かない。
けれど、この声が。
「リサ」
この声と、この想いが。
こんな自分を愛してくれた彼女に。
こんな自分を理解してくれた彼女に。
「ありがとう」
届いた。