部屋を出たはずだった。
殴られる前に自室に逃げ込もうと、マルコの部屋を飛び出たはずだった。
それなのに、リサはここにいた。
「う、そ……」
キングズクロス駅、九と四分の三番線のプラットホームに。
落ち着け。落ち着け。
何度も自分に言い聞かせて、深呼吸を数度繰り返す。
目の前には、あの時と同じようにトランクを積んだカート。まるで、あの時から一秒も進んでいないみたいではないか。
恐る恐るゲートを潜ってみるが、そこに親友たちの姿はない。
マグルたちが忙しなく行き交う姿を呆然と見送りながら、リサは再び深呼吸を繰り返した。
「戻って、きたんだ」
何故?理由は分からない。
けれど、元の世界に自分はいる。
「戻って、きた……」
元の世界に。
親友たちのいる世界に。
あの人の、いる世界に。
「――、」
やばい、泣きそうだ。
こみあげる涙を飲み込んで、リサは再びゲートを潜った。
一瞬、あちらに戻ってしまうのではと危惧したが、そんなことはない。
あちらの世界で一年以上の歳月が過ぎた。こちらではどれだけの時間が経過しているのだろうか。
同じであることを願うが、もし何年も、何十年も過ぎていたら――?
恐ろしい考えを頭から追い出して、リサは大きく息を吸いこんだ。
もうずっと使用していなかったその魔法は、成功してくれるだろうか。
もし失敗してしまったらどうしよう?ばらけでもしたら大変だ。
「――エクスペクト・パトローナム!」
杖先から飛び出す銀色の光が空を駆けて消えていく。
守護霊の呪文を使うのも久しぶりだ。守護霊を介して伝言を届ける方法は、あの戦いの最中にロンの父アーサーから学んだことだが、上手く彼らのもとに伝言を届けてくれるだろうか。
彼らが伝言を聞いて指定の場所に現れてくれれば、万が一ばらけてしまったとしても対処してくれるだろう。
トランクを強引にバッグの中に押し込んで、リサは杖を強く握り締めるとその場でくるっと回った。
ぱちん。
ラップ音と共に、その場からリサの姿が消える。
久方振りの『姿くらまし』は、どうやら成功のようだ。
ぱちん。
再び耳に届いた音と、足の裏には地面の感触。
『姿表し』も成功だ。身体におかしなところはない。失敗すれば身体の一部がばらけて失ってしまうが、今回はそうならなかったらしい。
過去にばらけてしまったロンを思い出したリサは安堵の息を漏らした。
ぱちん。ぱちん。
背後から聞こえた音に振り返れば、驚愕の表情でこちらを見つめる三つの顔。
「リサ……?」
小さな小さな問いかけに、リサは顔を緩めて頷いた。
「ただいま!!」
「――っ、リサ!!!」
弾けたように駆け出したハーマイオニーがリサに飛びかかる。
ハリーが、ロンがそれに続き、リサはあっという間に地面に崩れ落ちた。
「本当に!? 本当に……っ、あぁ! もう!! 心配ばっかり……っ!!」
「ごめん、でもちゃんと帰って来たよ」
「当たり前よ! もう! 夏休みなんてとっくに終わっちゃったんですからね!?」
「良かった! 本当に……!」
「どこにいたんだ!? 僕らずっと探して――」
あぁ、帰ってきたんだ。
懐かしい親友たちの姿が滲んでいく。
腕をいっぱいに伸ばして三人を抱きしめ、リサは満面に笑みを浮かべた。
「会いたかった、本当に……ずっと、ありがとう」
「リサ……」
「心配かけてごめん。あのね、その……色々あって、」
何から話せば良いだろうか。
ゲートを潜ったら船の上にいたこと。
海賊が蔓延る世界だったこと。
世界一の海賊団に仲間入りしたこと。
家族が出来たこと。
話したいことは沢山あったが、今は上手く話せる自信がない。
もう少し落ち着いたら、全て話そう。
不思議な実を食べたことも、死の呪文を使ったことも、話してみよう。
「あ、フォークスに会ったよ!」
「「「えぇっ!?」」」
驚愕に目を見開く三人に声を上げて笑い、リサは目の前にあるハーマイオニーの肩に顔を埋めた。
「お帰りなさい、リサ」
会いたかったわ。すごく、すごく。
無事で良かったよ……お帰り。
お帰り。君ってば、いつも僕らが想像もつかないようなことをするんだから。
優しい声に、そっと目を閉じて。
「私、幸せ者だ」
「あら、やっと気付いたの?」
遅かったわね。
くすくす笑うハーマイオニーに釣られるようにして、リサは声を上げて笑った。
「どうしてホグズミードに?」
一頻り再会の感動を分かち合った頃、ハリーがリサに問いかけた。
けれどその顔は酷く穏やかで、リサの返答を待つまでもなく理解しているのだろう。それでも敢えて問いかけたということは、きっと。
「終わらせに来たの」
長く続いたこの恋を。
まるで鎖のようにリサを雁字搦めにしてしまったこの想いを。
「終わらせて、ちゃんと前に進もうと思って」
「そっか」
目を細めたハリーに笑みを返すリサの傍らで、ハーマイオニーとロンも優しく微笑む。
「さ、じゃあ行きましょう」
「え? ハーマイオニーたちも行くの?」
「貴方、何の為に私たちを呼んだの?」
「いや……そりゃ、久しぶりの『姿あらわし』でばらけたらどうしようと思って」
「まぁ! じゃあ貴方、ただそれだけの為に呼んだの!?」
「い、いや! 違う! ちゃんと会いたかったよ!?」
慌てて訂正すれば、ハーマイオニーがじとりとリサを睨む。
どうやら言葉を間違えてしまったらしい。もう少し慎重に言葉を選ぶべきだった。
そう考えて、気付く。
あの世界では、誰もが遠慮などせずに思ったことをそのまま口にしていたことを。
「………アイツらの所為か」
「え? 何?」
「ううん、何でもない」
遠慮のない兄たちと一緒にいたのだ、知らない間に感化されてしまったのだろう。
気を付けなければ。リサはぺちぺちと自身の頬を叩いた。
久しぶりに会った親友たちと喧嘩になって、万が一嫌われでもしたら目も当てられない。
「えーと……その、話すときは二人にしてくれる?」
「勿論よ」
「君とスネイプの会話なんて恐ろしくて聞きたくないよ」
うげぇ、と顔を歪めるロンに声を上げて笑ったハリーがリサの肩を叩く。
「僕のこと、上手く言っておいてね」
「うん? ――あ、」
ポケットの中に収まっている写真を思い浮かべ、リサは頷いた。
「ありがとね、ハリー」
おかげで前に進むことが出来る。
あの写真を見なければ、今もずっと彼に裏切られたのだと塞ぎ込んでいたはずだ。
「元はと言えば僕の所為だから……」
先の戦いのことを言っているのだろう。
スネイプが誰を愛していたのか。どれほど彼女を愛していたのか。
彼のことを理解出来ずに苦しんでいたリサには、ハリーが叫んだ事実はとても辛くて苦しいものだった。
けれど、知らなかったのだ。ハリーは何も知らなかった。
リサのスネイプへの想いも、スネイプとリサの関係も。
「ハリーは悪くないよ」
だからそんな顔しないで。
もう大丈夫だから。
ちゃんと、真実を見つけることが出来たから。
「ハリーと友達になれて良かった」
ロンも、ハーマイオニーも。
「大好きだよ」
するりと口から出た言葉は、紛れもなく本心だ。
嘘偽りないその言葉に、親友たちは嬉しそうに目を細めて笑ってくれる。
自分たちも、そうなのだと。
嘘偽りのない答えをくれる。
それはとても嬉しいことで、とても幸せなことだ。
「話したいことがいっぱいあるの」
「私たちもよ」
「でも、まずは校長室の額縁で鍋と向かい合ってる人と会わなきゃね」
「僕らが行くといつも消えちゃうんだけどね」
会いたくないみたいだ。肩を竦めるロンに、リサは思う。
やはり一人で行った方が良いのでは?と。こちらから出向いても会ってもらえなかったら?
一抹の不安を覚えたリサの気持ちを読んだかのようにハーマイオニーが笑った。
「大丈夫よ。きっと向こうも会いたがってるわ」
「分かるの?」
「分かるわよ。だって――」
楽しげに続けられた言葉に、リサはほんのり赤く染まった頬を緩めて俯いた。
顔が熱い。あぁ、もう。どうしてくれるんだ。
”絵の中で先生が使ってる大鍋、リサのだったもの”
あれ?ロンが首を傾げた。
「でも、確かリサはちゃんと自分の鍋を持ってただろう?」
「えぇそうよ。けど、確かにあの絵の中の鍋はリサのものと同じだったもの。同じところに名前が彫ってあったわ」
六年間ずっと隣の席で見てきた大鍋だ。見間違うはずがない。ハーマイオニーは言う。
「あの絵って一体どうなってるのかしらね?」
「魔法って分からないことだらけだ」
両手を広げて肩を竦めるハリーに頷いて。
リサは久方ぶりに、母校であり第二の家でもあるホグワーツの構内へと足を踏み入れた。