泣きじゃくるリサを抱きしめながら、マルコは内心でこっそり溜息を漏らした。
馬鹿な奴らだ。心の底からそう思う。
信じられなかった。
信じてあげるべきだった。
信じなくてはならなかった。
誰が信じなくても、自分だけは。
嗚咽を漏らしながら、リサは途切れ途切れに謝罪の言葉を口にする。
相手はこの場にも、この世界にも、この世にすらいないというのに。
裏切られたと思っても仕方のない状況だった。
心底惚れた相手が、実は他の人間を生涯かけて愛していたと知って傷つかない者がいないはずがない。
もし、息子と呼んでくれる男の言葉が全て嘘だったとしたら?
こんなにも心酔している彼に、騙されているのだとしたら?
馬鹿げた考えを払拭する為に強く目を瞑ったマルコは、小さな身体を抱きしめる腕に力を篭めた。
ほんの少し考えるだけで、こんなにも苦しいというのに。
「よく頑張ったな」
自然に口から零れた音は日頃の自分を考えると柄ではない気もするが、今更無かったことに出来はしない。
そもそも、写真が見つかったからといって、騙されていなかったという保証はない。
あの写真に書かれた言葉にまさか嘘はないとは思うが、如何せんマルコにとってはただの一度も面識の無い男だ。加えて、今の今までリサを欺き続けてきた男でもある。
何が真実で何が虚構なのか、マルコには判断する術が無い。
腕の中でひたすらに『ごめんなさい』と泣きじゃくる女にも、判断する事など到底出来やしないだろう。
「しょうがねぇ奴だな、お前は」
女を慰める手段など分かるはずもない。
厳密には一つだけあるにはあるのだが、さすがにそれを行使する気にはなれない。
腕の中にいるのは、確かに女だけれど妹でもあって、おまけに日頃の自分たちの関係性を鑑みれば容易に答えは出てくる。考えるまでもない。
ただ、少し。
ほんの少しばかり、思ってしまうのだ。
普段から――これくらいとは言わないから、ほんのちょっとくらい――可愛げがあれば、と。
縋るように背に回された腕を一度意識してしまうと、悲しいかな男の性というものが湧き上がってきてしまう。けれどそれを気取られるようなことがあってはならない。というか、嫌だ。
既に前科がある所為か、その必死さが表情に表れてしまう。この場に自分とリサ以外の人間がいないことを心の底から喜んだマルコだが、そもそも他に誰かがいてくれればこんなにも意識してしまうことは無いのだから、何とも複雑な気分だ。
動揺が伝わってはいないだろうか。あやすように頭を撫でてみたりする手がぎこちないのは、自分でも情けないとは思う。思うが、仕方がない。
「取り敢えず、泣いとけ」
一層大きくなった泣き声と、爪を立てられた背中の痛みに僅かに顔を顰めながら、マルコはなるべく動揺を悟られないようにと必死に平静を装って頭を撫で続けてやった。
「ありがと……と、ごめん………」
たっぷりと時間をかけて、身体中の水分全てを流しきったのではないかと錯覚してしまう程に涙を流した妹は、嗄れた声でそう言った。
腫れた目元だとか、赤くなった鼻だとか、色々と揶揄ってやれそうなネタは揃っているのだが、長時間に渡る気疲れでそんなことをする余裕すらない。
すんすんと鼻を啜るリサは、泣いたおかげで幾分かスッキリしたらしくその顔にもう悲哀の色は見えない。きちんと受け止めることが出来たのなら、この長時間の拷問も無駄ではなかったはずだ。
「先生に、会いたい」
「お前が死んだらな」
「死ななくても会えるよ。校長室に行けば」
リサ曰く、校長になった者は死後も肖像画が校長室に飾られて、その中で現校長をサポートする存在として残るのだと言う。壁に飾られた沢山の額縁からあれこれ口を出されるなど、考えるだけで恐ろしい。よくもまぁ、校長たちはノイローゼにならないものだと感心すらしてしまう。むしろ、だからこそ校長になれたのだろうか、とさえ思ってしまう。
「じゃあ、元の世界に帰れば会えるのか?」
「うん」
だから、早く帰る方法見つけなきゃ。
現状では雲を掴むような話ではあるが、この世界には実際に手に掴むことの出来る雲がある。有り得ないことが有り得る世界なのだ。他の世界に行く方法だって、しらみ潰しに探していけばいつかは見つかるだろう。
「すぐに帰って来ねぇと、サッチたちが煩ェぞい」
「分かってる。両方見つけるよ」
向こうの世界に戻る方法と、こちらの世界に帰って来る方法。
そんなに簡単に行き来することが出来るのならば、アリウムの母親以外にも沢山の人間がこの世界に来ているはずだ。
そう簡単に見つかるはずがない。戻る方法も、再びこちらに帰ってくる方法も。
けれど、それでも諦めるという選択肢など有りはしない。
何せ、自分たちは海賊なのだから。
宝探しは、あるか分からないからこそ楽しいのだ。
「精々頑張って見つけるこった」
「手伝ってくれるって言ったじゃん」
「お前が向こうに戻ったら、煩ェのが減って万々歳だしなぁ」
「ムカつく!」
振り下ろされた拳を難なく受け止めてベッドに転がしてやり、マルコはデスクへと戻った。
おかしなことに、妙に心が軽い。さっきまでの気疲れは何処にいってしまったのか。
「おら、仕事すっから出てけ」
「痛い! 鼻打った!」
「へぇ、随分と可愛くなったじゃねぇか」
「うっさいハゲ!!」
ぴき。浮かんだ青筋に気付いたのか、僅かに腰を浮かせたことに気付いたのか。
慌ててベッドを飛び降りたリサは逃げるように扉の向こうへ消えた。
「待てゴラァ!!」
すかさず後を追って勢いよく扉を開けたマルコの視界に、リサの姿はない。
隣の部屋にあるリサの部屋に逃げ込んだ後だったのだろう。いつもなら舌打ちを零して部屋に戻るマルコだが、この時ばかりは違った。
何せ、長時間に渡って拷問のような時間を過ごしたのだ。
その理由が理由だけに、今回ばかりは容赦なく拳骨の一つでもくれてやろう。そう思って、迷うことなくリサの部屋の戸を開けた。
大きな音と共に開いた木の扉が、ギシギシと悲鳴を上げたが知ったことではない。
「テメェ! あんだけ優しくしてやった俺に――」
言葉は続かなかった。
言葉を向けるべきこの部屋の主が、ここにいなかったからだ。
「………あ?」
何か違和感がある。これは何だ?
考えて、答えはすぐに出た。
消えているのだ。
そこに置いてあったはずのリサのトランクが。
咄嗟にクローゼットを開けてみたが、やはり何もない。中は空だった。
慌てて部屋を飛び出すが、やはりどこにも姿がない。
念の為にと気配を探ってみたが、何故かリサの気配が見当たらない。
マルコが気付けないほど遠くへ逃げたのだろうか?
この数瞬の間に?荷物を全て持ち出して?
「まさか」
日頃、リサの訓練――という名のイジメだとリサは文句を言っている――を受け持っているマルコだからこそ分かる。この短時間でマルコが認識出来ないほど遠くへ逃げられるはずがない。
何故だろうか、胸騒ぎがする。
「…………リサ?」
その日を境にリサは姿を消した。
部屋に置いてあったはずの荷物も、衣服も、何もかも。
まるで、初めからこの世界にいなかったかのように。