02


突然泣き出したリサを、マルコは無表情のまま見つめていた。
サッチ辺りがこの場にいれば、間違いなく気付いてくれただろう。

正直、とても困惑している。

封筒から出てきたのは一枚の便箋と、皺だらけの写真。
便箋に何が書いてあったのかは知らないが、写真のあの皺は決してぞんざいに扱っていたから出来たものではないはずだ。
裏に書かれたあの言葉からも容易に推測出来る。

つまり、あの男は――

「肌身離さず持ってたのか」

独り言のつもりで呟いたが、近くにいたからか聞き取ったリサの肩が揺れた。

分からない。どうしてそんなに衝撃を受けているのか。
分からない。どうしてそんなに泣いているのか。

何も分からない。
けど、たった一つだけマルコにも分かることがある。

「良かったじゃねぇか、そんだけ想われて」

手の届かない場所へ行ってしまったのだとしても、
親と子ほどに歳が離れていたとしても、
教師と生徒という禁断の関係だったとしても。

気持ちが本物であったのならば、救われるのではないだろうか。

あの世なんてものを信じたことはないが、もしそんなものが現実に存在するのならば。
きっと、彼はリサのことを見守ってくれているだろう。
小刻みに震えているリサの手にあるその写真は、嘘偽りない彼の気持ちそのものなのだと気付いてしまったから。

「あー……だから、忘れろとは言わねぇが……その、そいつの為にもちゃんと前に進んで――」
「っ、うそつき……!」
「――は?」

何だというのだ、突然。
柄にもなく励ましてやろうと必死に言葉を選びながら話していたというのに。
否定の言葉を突きつけられたマルコは不機嫌さを隠しもせずに眉間に皺を寄せた。

「うそ、うそ……!」
「何が」
「だって! そんなの……」

尻すぼみになっていく声と共に力なく俯いたリサを見つめて溜息を零す。

意味が分からない。
「うそつき」という言葉の意味も、理由も。

ここは喜ぶべきところではないのか?
死して尚、想いを告げてくれた男に感謝するなり、愛の言葉を口にするなりすればいい。
彼を想って泣くことは仕方ないと思うが、どう考えたってこれはリサが立ち直るきっかけになるはずだ。

だと言うのに、リサは喜ぶどころか苦しげな顔で否定の言葉を紡いでいる。
ぼろぼろと頬を伝って落ちる涙は、どう見ても嬉しくて流したそれではない。

「……何だってんだ?」

どうやらただ事ではなさそうだ。
深入りしたいわけではないが、気になってしまうのも仕方のないことだ。

「おい、リサ?」
「でてって」
「は? いや、お前――」
「でてって、おねがい」

ひとりにして。
懇願するようなそれに逡巡したマルコだったが、何も教えてもらえないのであれば掛けてやる言葉も見つからない。

「………あんま泣くと、もっとブサイクになっちまうからな」

そんな言葉を残してマルコは部屋を後にした。
朝食はまだだったが、とても食べたい気分ではない。隣の自室に戻ったマルコは、胸の奥に燻るモヤモヤとしたそれに歯噛みして椅子に腰掛けた。

「……何だってんだ」

別に泣き顔など見慣れているではないか。
リサがこの世界に来た当初、毎日のように泣かせていたのは紛れもなくマルコ自身なのだから、今更彼女の泣き顔を見てこんなにも苦い気持ちになるのもおかしい。

おかしいのだ。
それなのに。

あぁ、苛々する。

ガリガリと頭を掻き、マルコは気を紛らわせる為に机の上に置いてあった未整理の書類へと手を伸ばした。





どうして?
好きじゃなかったんでしょう?
なら、どうしてこんなものを持ってたの?

”肌身離さず持ってたのか”

マルコの言葉を肯定するかのように刻まれた写真の皺。

騙されていたのだと思った。
彼が本当に愛していたのは自分ではなくて、親友の母だったのだと聞いて。
彼に何も言ってもらえなかったのも、その程度の存在だったからなのだと。
最期の瞬間まで見てもらえなかったのも、何とも思われていなかったからなのだと。

「なんで……?」

どうして今更。
どうして。どうして。どうして。

言ってくれれば良かった。
最初から、全て言ってくれれば良かった。
そうすれば、こんなにも傷つかなかったかもしれないのに。

”いつの日も、彼女が笑顔である為に”

何とも思っていなかったのではないのか。
愛してもいない女の写真を肌身離さず持っていた理由は?
これではまるで、笑顔を護りたいと、そう思ってくれていたみたいではないか。

ずっと好きだった。
好きで、好きで、卒業してもずっと一緒にいたいと思った。

騙されていたことを知って、
想われてなかったことを知って、
それでも好きだと思ってしまう自分を嘲った。

この写真が真実だと思っても良いのだろうか?
この写真が彼の本当の気持ちだと信じて良いのだろうか?
本当に?今度は嘘じゃない?




「暇でしょ、愚痴聞いて」
「俺の手にあるモン見えてねぇのか」

部屋の戸を開けるなり言い放った言葉に、青筋を浮かべたマルコが手の中の書類をバサバサと主張させた。

「それ急ぎじゃないって聞いたもん」

ベッドに腰を下ろしながら言えば、「ったく……」とブツブツ文句を言いながらも書類をデスクに置いてくれる。何だかんだ言いつつ、結局はこの男も妹には甘いらしい。
こんな時だというのに何故かそれが妙におかしくて、ふと口元を緩めた。

「気持ち悪ィ」

前言撤回だ。全くもって甘くない。

「一人になりてェって人を追い出したくせに、もう気が済んだのかい」
「うん」
「で。愚痴聞けって?」
「うん」

頷けば、マルコは溜息を零しながらガリガリと頭を掻いた。
立ち上がってこちらにやって来たかと思えば、リサの脇を通り過ぎてベッドに寝転ぶ。

「くだらねぇ話だったら寝る」
「鼾聞こえたら叩き起こすからね」
「聞いてもらう立場のくせに偉そうにすんな」

手刀が落とされた頭を押さえて恨めしげに睨み付ければ、ざまぁみろと言わんばかりに鼻で嗤われる。

あぁ、本当に。
こいつは何でこんなに腹立たしいのだろうか。
兄ならもっと妹に優しくしてみろ。

マルコに言わせれば「妹ならばもっと可愛くしてみせろ」なのだろうが。

「俺の愚痴だったらぶん殴るからな」
「大丈夫、それはオヤジに言う」
「よし、今すぐ殴ってやる」
「全部嘘だったの」

再び降り下ろされた手刀がピタリと止まった。
無言のまま視線で続きを促すマルコに、リサはわざとらしく笑ってみせる。
上手く笑えていないことなど、百も承知だというのに。

「先生はハリーのお母さんが好きだったんだってさ」
「……は?」

何言ってんだお前。頭大丈夫か?
失礼な言葉と共に額に当てられた大きな手のひらの温もりが伝わってくる。
大きな手はリサの額だけでなく目まですっぽりと覆い隠してしまった。
だからだろうか。それとも、手のひらから伝わる温もりが思っていた以上に温かいからだろうか。
じわり、じわりとこみ上げてくるものを堪えることが出来ないのは。

「リサ?」

手のひらが濡れたことに気付いたのだろう。
窺うような声にリサは小さく鼻を啜って再び口を開いた。
熱の篭った吐息が漏れてしまえば、もう誤魔化すことなど出来やしない。

「最後、まで……何も、言ってもらえなかった」

「せんせ、が、し、死んで……」

「そのあと、聞いた」

溢れ出した涙が次々に頬を伝って零れ落ちていく。
まさか気を遣ってくれているのだろうか、マルコは何も言わない。

「ぜんぶ、うそだっ……」

とうとう堪え切れずに嗚咽が漏れた。
泣かずに話そうと決めていたのに、最初からこのザマだ。
何が愚痴を聞いて欲しい、だ。これはただの泣き言でしかない。

何も言ってもらえなかった。
疑いもしなかった。
全てを鵜呑みにして、全て分かってるつもりでいた。
気づこうともしなかった、愚かな自分。
気付いてあげられなかった、愚かな自分。
漸く理解して、勝手に傷付いて。
どうして言ってくれなかったの、だなんて。

あぁ、何て最低なんだろう。

泣きながら、滅茶苦茶に言葉を並べ立てるリサにマルコは何も言わない。

眠ってしまっているのだろうか?
そうではない。

呆れてしまっているのだろうか?
そうではない。

「よく頑張ったな」

躊躇いがちに伸ばされた手がぎこちなく頭を撫でて。
日頃の粗雑な扱いが嘘のようだ。

「取り敢えず、泣いとけ」

壊れものを扱うかのように優しく抱きしめてくれた兄は、ぎこちない手つきのまま全てを吐き出し終えるまで頭を撫でてくれた。