01


「ったく……救いようがねぇバカだなテメェは」

おら、とっとと寝ちまえよい。
肩に担いでいた小さな身体をベッドに下ろしてやれば、呻き声を上げながら芋虫のようにもぞもぞと蠢いたリサが目を開けた。

「みず……」
「寝ちまえ」
「ふとん……」
「おら」

足元のブランケットをばさりと掛けてやれば、再びもぞもぞと蠢いたリサの口から安堵の息が漏れる。
常より赤い顔を見下ろして溜息を零したマルコは、ブランケットから僅かに突き出た頭をぺしんと叩いてから自らの肩をトントンと叩いた。


”私、この世界で生きてくことにした”


数時間前、リサは家族全員の前でそう宣言した。
白ひげから突然「宴の準備をしろ」と言われて首を傾げていた兄弟たちは、その言葉を聞いた瞬間こそポカンと口を開けて間抜けな面を晒していたが、次の瞬間にはその言葉の意味を理解し大歓声を上げた。

私、この世界で生きていくことにした。
けど、元の世界の親友たちにも会いたい。
どっちも選ぶことにしたから、協力して。

いつかは帰ってしまうと思っていた妹が、残ると言ってくれた。
自分たちを選んではくれないと思っていた妹が、選ぶと言ってくれた。
海賊らしい答えを出して、助けてくれとお願いしてくれた。

大歓声で船を揺らした彼らは、グラグラ笑う白ひげとその傍らで肩を竦めるマルコの前で、思う存分可愛い妹を抱きしめ頭を撫で回した。もみくちゃにされて笑うリサはとても嬉しそうで、マルコでさえその笑顔にうっかり兄心を刺激されてしまったのだから、日頃から彼女を溺愛しているサッチたちなどイチコロだ。

可愛すぎるんだよお前!
何だお前! あれか! 惚れ薬でも盛ったか!!
ほれ! 食え! たんと食え!!
そうだ! 食ってもっとメリハリつけろ! ほれ、鶏肉!

余計な助言をした兄の頬には容赦なく拳がめり込まれ――と言っても、ダメージなど高が知れているが――、それでも笑みを絶やさないままリサは彼らに勧められるままに料理に手を伸ばした。
サッチの音頭で乾杯をして、盛大な宴が始まった。

あちこちに見える笑顔がいつも以上に締まりのないものになっていたのは、おそらく見間違いではないだろう。
羽目を外しすぎるんじゃねぇぞい、と兄弟たちに忠告してその場を離れたマルコは、自分も今日くらいは良い酒を飲もうと部屋にとっておきの酒を取りに戻った。

時間にしてほんの十数分くらいだろうか。
甲板に戻ってきたマルコの視界に飛び込んだのは、どれだけ早いペースで飲んだのか既に出来上がった兄弟たちに囲まれて真っ赤になっているリサの姿だった。

マルコの制止などものともせず、彼らは思う存分飲んで食べて騒ぎまくり――

「――その結果がこれかい」

布団を抱きしめて幸せそうに眠るリサの顔は異常なほどに赤い。
今まで酒が飲めないと言ってジュースばかり飲んでいたというのに、突然酒に手を出すとはどういう心境の変化だろうか。大方、誰かが「海賊になるんなら酒が飲めねぇとな!」などと嗾けたのだろうが、間に受ける方も大概だ。布団から覗く首元まで真っ赤に染まっているのを見て、マルコは溜息を重ねた。

「んむー……」

ごろんと寝返りを打ったリサを呆れ顔で見遣り、ちらりとトランクの方へ視線を移す。明日、あの薬の世話になるのはどれだけいるかは分からないが、リサもその中の一人になることは間違いないだろう。自業自得だ。

さて、部屋に戻ってもう一、二杯くらい飲んだら寝るとしよう。
踵を返して部屋を出ようとしたその時だ。

視界の端に白い何かが映った。

「ん……?」

箪笥の下からはみ出たそれを取り出してみれば、真っ白な封筒だった。
リサがそこに隠したのか、それともトランクから落ちた時に箪笥の下に滑り込んでしまったのか。おそらくは後者であろう。埃を被ったそれは、長い間箪笥の下にあったのだろうと容易に推測できる。

封のされていないそれの中身が気になりはしたが、勝手に見るほど落ちぶれてもいない。
少し前に彼女の記憶を見てしまったが、それはそれ。これはこれだ。

気になるそれを、けれど箪笥の下に戻すほど酷い人間でもないのでテーブルの上に置いてやると、マルコはもう一度ベッドを振り返り、安心しきった顔で眠るリサの額を軽く弾いて部屋を出て行った。

薄暗い部屋の中で、真っ白な封筒が淡く光を帯びたことに気付く者は誰もいない。




「いつまで寝てんだテメェは」

言葉と共に布団を剥ぎ取られ、リサは呻き声を上げて薄っすらと目を開けた。
頭が痛い。気持ち悪い。苦しみが少しでも無くなるようにと呻き声を上げてみたが、「煩ェ」という辛辣な言葉が返ってくるばかりでちっとも無くなってはくれない。逆にストレスが溜まっただけだ。

「つ、らい」
「だろうな、自業自得だよい」

おら、とっとと起きろ。
無遠慮に両手を掴まれて強引に起き上がらされたリサは、せめてもの抵抗にとマルコを睨み付けてやった。当然ながら、効果は全く得られない。

「飲め」

そして差し出されたのは、見覚えのありすぎる液体だ。
無意識に皺が寄った眉間をマルコの指が弾く。痛みに悲鳴を上げても講義の声を上げても何の効果もなく、むしろそれを発したリサ自身に頭痛や吐き気が襲い掛かった。最悪だ。溜息を零したリサは、マルコの手から薬を奪い取ると一気に呷った。

「うぇ……まずい」
「サッチたちが喜ぶよい」

くつくつと楽しげに笑うマルコを恨めしげに見つめ、口端に残る薬を拭い取ったリサは未だ鈍く痛む頭に顔を歪めながらベッドから下りた。
着替えるから出て行って。そう告げようとしたリサの目に飛び込んだのは、サイドテーブルに置かれた真っ白な封筒だ。

「何これ」
「あぁ、箪笥の下に落ちてた」
「え、私の?」
「そう」

こんなもの持ってたっけ?と記憶を掘り起こそうとしたが、薬の効果が表れていない現在の状態では期待は出来そうにない。
封のされていない封筒を開けて中身を取り出してみれば、一枚の便箋が入っていた。
何気なく便箋を開けば、間から何かが滑り落ちていく。

「あ」
「ったく、何やってんだよい」

リサが動くよりも早くマルコが屈み込んだのを見て、リサは手紙へと意識を戻した。
何が落ちたのか気になるが、それよりも手紙だ。『リサへ』と書かれた文字が誰のものなのか。そんなの一目瞭然だ。

「ハリー!」

そうだ、これはハリーからもらったんだ。リサは呟いた。
この世界にやって来た日。この世界に来る直前――あのゲートを潜る直前にもらった手紙だ。
すっかり忘れていた。何故こんなに経つまで忘れてしまっていたのだろうか。

”処分して欲しいって書いてあったけど、君も知ってる通り、僕は彼に反抗するのが得意なんだ”

手紙の内容はたったそれだけだった。
何が?と首を傾げ、続いて先程落としたものの存在を思い出した。

「何が落ちたの?」

何故かしゃがみ込んだままのマルコに問いかければ、顔を上げたマルコが無言でそれを差し出してきた。
受け取ったそれは、端々が折れて全体的に皺になっている写真だった。

「これ、」

丁寧に延ばしてあるそれは、おそらくハリーがそうしてくれたのだろう。
皺だらけの写真の中、照れ臭そうに笑うリサの姿がそこにあった。

あれは六年の頃――まだダンブルドアが生きていて、彼が騎士団員として動いていた頃だ。
騎士団の任務と教師の仕事とで忙しかった彼が時間を作って会ってくれた時、写真を撮ろうとカメラを持ち込んだことがあった。しかし、散々のお願いにも彼は応じてくれず、何故かリサが一人で写真を撮られるという羽目になってしまった。
そしてカメラは没収され、後日返された時には「実際に撮ってなどいなかった」と聞かされていた。

けれど、こうしてあの時の写真がここにある。

それは、つまり――。

「持っててくれたんだ……」

どうして。必要ないのに。
どうして。何とも思っていないのに。
どうして。別の人を想っていたのに。
どうして。嘘までついて。

どうして。

「裏」
「え?」
「裏」

写真を指して繰り返されたマルコの言葉に息を呑み、おそるおそる写真を裏返した。

そして、リサは再度息を呑むことになる。

「、うそ」
「別に驚くことじゃねぇだろうが」

恋人だったんだから。
呆れたようなマルコの声が遠くに聞こえる。

どうして。
うそ。
どうして。

疑問ばかりが頭の中を埋め尽くしていく。

どうして。
何故。

疑問に答えてくれる者は、既にこの世にいないというのに。



”いつの日も、彼女が笑顔である為に”



小刻みに震えだした手に、ぽたりと滴が落ちて跳ねた。