「オヤジ、ちょっといい?」
僅かばかり開いた扉から顔を覗かせれば、ベッドに寝転がっていた白ひげはグラグラと何処か嬉しそうに笑ってリサを手招きした。
「珍しいこともあるもんだ」
「ごめんね、寝るとこだった?」
室内に身体を滑り込ませて白ひげの元へ向かったリサは、促されるままにベッドに腰掛けて白ひげを仰ぎ見る。リサの頭など簡単に握りつぶせてしまうほどに大きな手は、けれどリサを傷付けることなく、優しい手付きでそっと頭を撫でてくれる。
温かいその手は、幼い頃に頭を撫でてくれた実の父のそれと似ているように思う。
「眠れねぇのか」
「そういう、わけじゃ……」
「サッチに聞いたぜ、魘されてたらしいな」
どんな夢を見たんだ?
白ひげの問いかけは決して強制するものではない。
話したいのなら聞いてやるし、話したくないのならただ傍にいてやる。
必要以上に干渉しようとしない白ひげに、リサは曖昧に微笑んで俯いた。
慣れていないのか、ぎこちなく頭を撫でる手は温かくて優しい。
そっと目を閉じてその手に身を委ねれば、安心感が心を満たしていくのが分かった。
「オヤジの手、あったかい」
「寝るんならこっちで横になんな。俺に潰されねぇように気を付けろよ」
本気なのか、冗談なのか。
グラグラと笑いながら隣に横たわらせてくれた彼は、やはりどこか嬉しそうだ。
今日は休肝日だとドクターとナースたちに酒を止められたらしいが、もしかしてその所為でおかしくなってしまったのだろうか。
「オヤジ」
「何だ?」
顔を上げれば、上機嫌な白ひげの穏やかな目とかち合う。
「どうした」
「今日、すごく機嫌が良いみたいだから……何かあったの?」
きょとんと目を丸くした白ひげは、一拍の間を置いて笑い出した。
「そりゃお前ェ、」
「うん?」
「同じ船にいるってのに、滅多に会いに来ねぇ薄情な娘が来てくれたんだ。嬉しいに決まってらァ」
「、」
言葉を失った。
まさか、そんな理由で?
自分が会いに来たから――ただ、それだけの理由で?
顔が熱くなっていくのが分かる。
おそらく赤くなってしまっているであろう顔を咄嗟に隠せば、頭上からグラグラと笑い声が降ってくる。
悔しい。
きっと、この男には一生かかっても勝てないのだろう。
けれど、それが嬉しくもある。こんなに大きな男が、自分の父だなんて。
「………会いたいの」
ぽつりと零した声を、彼はしっかりと拾ってくれたのだろう。
そうか。ごろんとベッドに寝転がりながら白ひげが呟いた。
「けど、ここにいたい」
「どっちかなんて選びたくないよ」
いつの間にか溢れていた涙を袖で拭えば、グラグラと再び笑い声が響く。
真剣に悩みを相談したというのに、何故笑うのか。恨めしげに白ひげを見つめれば、白ひげは相変わらず優しい目でリサを見つめていた。
「それで良いじゃねぇか」
「、え……?」
「ここにいたいけど、親友に会いたい。それの何が悪い?」
でも。だって。
それに続く言葉は出てこない。
「あっちの世界で、何かやりてェことはねぇのか?」
「やりたいこと……」
「ずっと帰りたがってただろう、何かやりてェことがあったんじゃねぇのか」
やりたいこと。
口の中でその言葉を繰り返したリサは曖昧に笑った。
「私は……多分、ここに来なかったら何もしてなかったよ」
何かをしたいという気分になれなかった。
長い戦いが終わって、
魔法界が平和になって
――それで、手に残ったものは何だった?
かざした両手を見つめてリサは眉を寄せた。
「父さんと母さんが死んで……先生も、死んで………嫌な現実、とか……見ることになって……」
もし、あのままあの世界にいたら自分はどうなっていただろうか。
考えてリサは両手で顔を覆った。
「何もしないでただ生きてた」
一緒にいたいと思っていた。
平和になれば、一緒にいられると信じていた。
学校を卒業して、大人になっても、ずっと一緒にいたいと思っていた。
全てが偽りだったと思い知って、夢も希望も消え去った。
何もかもが消えて、ただリサという人間だけが残った。
「ハリーたちはさ……あの世界で私が唯一手に入れたものなんだ」
大切な親友。
かけがえのない親友。
唯一、あの世界に残る未練。
「だから、手放したくない……ずっと繋がっていたい」
彼らだけは。
もし、彼らとの繋がりが切れてしまえば、自分が生まれ育ったあの世界には何も残っていないことになる。
それが、怖くて堪らない。
「リサ、今お前はなにがしたい?」
「今……?」
「この世界でやりたいことはあるか?」
「………薬、もっと沢山作りたい」
以前、不思議な島で罹った五日病という病。
あの時に島で薬草を採取していなければ、多くの家族を失うことになっていただろう。
あの時の恐怖は忘れられない。
「もう誰も死んで欲しくない」
その為に、出来る限りのことをしたい。
この船で家族と笑い合っていたいから。
「オヤジ、私……」
「何だ?」
「………私、この世界で生きたいよ。でも、ハリーたちと会えなくなるのは嫌だ。好きな時に連絡取りたいし、会いたい」
「あぁ、そうすりゃいい」
「出来る?」
「ここはグランドラインだ。俺たちには想像もつかねぇような出来事が沢山あらァ」
探せばいい。望みを叶える為に。
白ひげの言葉に、リサは身体を起こして白ひげをじっと見つめた。
「見つかる?」
「世界中を探せば、見つかるかもしれねぇだろうが」
「………ある、かな」
「あると分かってる宝を探すことほど、つまらねぇことはねぇ」
違うか?白ひげの問いにリサは唇を引き結んだ。
「お前にとっての宝は何だ?」
「――ハリー達と、連絡を取る手段。この世界にいながら、ハリーたちと会う手段」
「それがお前にとってのワンピース――ひとつなぎの大秘宝だってんなら、探せ。どんなに時間がかかっても、必ず見つけ出せ」
”お前は海賊だろうが”
何故だろうか。
現状は、何も変わってなどいないというのに。
父である彼に背中を押されただけだというのに。
こんなにも、世界が違って見えるのは。
「オヤジ、今日このまま一緒に寝てもいい?」
「グララララ! 今日は随分と親孝行してくれるじゃねぇか!」
潰されねぇように気を付けろよ。
上機嫌に笑う白ひげの巨体の間に小さく丸まりながら収まったリサは、布団をかけてくれた白ひげに礼を言うと穏やかな気持ちで瞼を下ろした。