03


「一つ確認しておきてェことがある」

壮絶な鬼ごっこを終え、船を壊したことで白ひげから拳骨を頂戴し――それでも他の兄たちに比べれば十分過ぎるほど優しいものだった――、全ての破損箇所を魔法で直し、夕食と風呂を終えて部屋に戻ってきたリサは突然やって来たマルコに顔を歪めた。

「何? すっごく眠いんだけど……」

足は既に筋肉痛だし、杖を降りすぎて腕も痛い。叫びすぎて喉も痛いのだから、出来れば声を出すことすら避けたい。
今日は早々に寝てしまおうと思っていたのに、そうはさせてくれないのがマルコという人間である。

「お前、元の世界に戻る気があんのかい」

くだらない話だったら寝てしまおう。
いそいそとベッドに潜り込んで布団をかけようとしていたリサは、その言葉にぴたりと動きを止めた。
マルコへと視線を向ければ、こちらを見下ろして「間抜け面」と呟くマルコと目が合う。

「え、なん……そりゃ、」

何なのだ突然。
ずっと戻りたいと言っていたはずだ。この世界は自分のいる場所ではないのだから、と。
それなのに、どうして今になって。

同時に、とうとうこの時が来てしまったとも思っていた。
揺れていることは知られていたはずだ。マルコだけでなく、きっと船中が知っているのだろう。
揺れている。迷っている。
元の世界に戻りたい。けれど、この世界にいたいと思う気持ちも僅かばかり存在するのだ。

けど、それでも。

「…………戻り、たいよ」

あの世界には、親友たちがいる。
苦楽を共にした親友たちがいる。
生命を懸けて共に戦った彼らがいる。
二度と会えないなんて、そんなのは嫌だ。

会いたい。

会いたい。

また、彼らと笑い合いたい。

「俺らと二度と会えなくなってもかい」
「、そ、れは」

言葉を詰めるリサに、マルコが溜息を漏らす。

会いたい。
彼らに会いたい。
彼らと笑い合いたい。

だって、彼らは大切な親友なのだから。

けれど、離れたくない。
馬鹿みたいに優しい兄たちと。
優しく見守ってくれる父と。

だって、彼らは大切な家族なのだから。

何も言えないでいるリサに再度溜息を漏らしたマルコが、俯いた頭をぐしゃぐしゃと掻き回す。
顔を上げれば、呆れたような困ったような顔のマルコがこちらを見下ろしていた。

「お前、泣き虫にも程があるよい」
「、る、さい」

泣きたくて泣いてるわけじゃない。勝手に出てくるだけだ。
鼻を啜りながらそう訴えれば、随分緩い涙腺だな。揶揄の言葉が返ってくる。
じわり、じわりと滲む涙を袖で拭い取って、舌打ちを一つ。

「まだ何も見つかっちゃいねぇが、いつ見つかるとも限らねぇんだ。自分がどうしてぇのかちゃんと理解しとけよい」
「…………帰りたいよ」
「そんな顔で言ったって説得力ねぇよい」
「じゃあ! ……マルコにはどう見えるの」

帰りたいと願う気持ちは本物だ。
帰りたい。会いたい。彼らに会いたい。
それでも、居心地のいいこの場所を離れたくない。
家族と共にありたいと願う気持ちも本物だ。 

「言っただろうが。俺にゃあ、被害者面で悲劇のヒロインぶってるようにしか見えねぇよい」
「……アンタに聞いた私が馬鹿だった」
「悩んだら解決すんのかい」
「もういい出てって」
「答えが出ねぇことを考えて、それで何か変わんのかい」
「聞いたのは自分でしょう!?」

睨み付けた先のマルコは、付き合ってられないとばかりに肩を竦めて踵を返した。

「ちったぁマシになったかと思ってたよい」
「だって! どっちかなんて選べないんだもん! しょうがないじゃん!!」

どちらかを選ぶことが出来ない。
アリウムに会って、自分以外にもこの世界に飛ばされた魔女がいることを知った。
それならば、探せばまだいるかもしれない。
この世界にやって来たのなら、帰る方法も存在するかもしれない。
希望は確かにある。

けれど、そこまでだ。
希望があると分かったのに、それからリサは何もしていない。何も出来なかった。
元の世界に帰る方法を探そうとするたびに、家族の顔が浮かぶ。
帰ってしまったら二度と彼らに会うことが出来なくなる。
そう考えたら、どうしたって二の足を踏んでしまうのだ。

帰りたい。帰るのが怖い。
会いたい。会えなくなるのが怖い。

どれだけ時が経ったって、その想いが変わるはずがないことはリサにもよく分かっている。
むしろ、一緒にいる時間が増えれば増えるほどこの場所が恋しくなるだけだ。

いつか帰れればいいと思っていた。
けれど、その『いつか』が明日だったら?
その『いつか』が、今だったら?

今、忽然とこの場から消えてしまうのだとしたら――?

「、」

ベッドを飛び降りてマルコのシャツの裾を掴めば、片眉を上げて訝しむマルコがリサを見下ろす。
その手が震えていることに気付いたのか、頭上から降ってきた溜息はやはり呆れたようなそれだった。

「だから、お前は泣きすぎだっつってんだよい」

よく枯れねぇな。
言葉と共に後頭部に大きな手が回り、誇りが刻まれたマルコの胸へと引き寄せられる。
ずず、と鼻を啜れば、即座に「付けるなよい」と言葉が降ってきた。

「ないて、ない」
「ほー、目から垂れ流れてるそれも鼻水かい」
「あせだもん」
「目からも汗が出んのかい。そりゃスゲェなお前は」

さすが異界の魔女様だよい。
降ってきた言葉に苛ついて目の前の逞しい胸に頭突きを繰り出せば、間髪入れずに拳骨が降ってくる。

「いたい!」
「俺だって痛かったよい」
「先にムカつくこと言ったのそっちのくせに!」
「くだらねぇこと言ってっからだろうが」

泣き止んだんならとっとと離れろよい。
言葉と共に突き放されたリサの身体が後ろのベッドへ沈む。

「じだ、かんだ!」
「薬でも塗っとけ」
「やだ、おいじぐない」
「お前が言うか」

ったく。ガシガシと頭を掻いて去ろうとするマルコの背を苦い顔で見つめていれば、扉を開けようとしたマルコが不意にこちらを振り返った。
何?目で尋ねたリサに、マルコはまた呆れた顔をして、けれど何も言わずに出て行った。
静かになった部屋で、のろのろと身体を起こしたリサは溜息を一つ零す。

「……なきむし、だって」

この世界に来てから、確かに泣いてばかりだ。
スネイプがダンブルドアを殺したと聞いても泣けなかったのに。
両親が死んだと聞かされても泣けなかったのに。
スネイプを看取った時も、スネイプに騙されていたのだと知った時も。

それが、どうだ。
この世界に来てから、泣いてばかりだ。
マルコが「泣き虫」と言うのだって頷ける。いつだって、ただ泣いているだけだった。

「……どう、したいんだろう」

戻りたい。戻れなくなるのが怖い。
会いたい。会えなくなるのが嫌だ。

自由に行き来できるようになればいいのに。

そんな方法があるとは思えないのだけれど。
願うことくらい、良いではないか。

「……寝よう」

のろのろとベッドに潜り込んだリサは、逃げるようにギュッと目を閉じた。