「よーい、ドン!」
サッチのかけ声と同時に、手の中の銃が天に向けて空砲を撃ち込んだ。
途端に上がる野太い雄叫びと、耳を劈くような悲鳴。
「おら、もっと早く走らねぇと捕まっちまうぞい」
「じ、自分だけっ、はぁっ、はぁっ……、飛ぶとかっ、ずるいっ!」
「誰の為の訓練だと思ってんだよい」
必死の形相で甲板を走るリサの傍らで飄々と両腕を翼に変えて飛んでいるマルコは、後ろから迫り来る兄弟たちをチラリと振り返って口端を上げた。
「おーおー、アイツらも中々張り切ってるよい」
「たりめぇだ!!」
がなる兄弟の目は血走っていて、どれだけこの訓練に生命を駆けているのかが窺い知れる。
「最初っからこれでやってりゃ良かったな」
満足気に呟くとリサが睨み付けてくるが、別にどうということはない。
睨まれたって痛くも痒くもないのだから。こんな小娘の睨みで脅えるような肝を持った覚えもない。
「まぁ、精々頑張るこった。自分の仕事が無くならねぇようにな」
「鬼! 悪魔! ハゲ! パイナップル!」
「何だ、俺にも鬼になって欲しいんなら最初からそう言えよい」
「ごめん嘘! 私何も言ってない!!」
息を切らしながら必死に兄弟から逃げ続けるリサと、そんなリサを揶揄って遊ぶマルコの耳に二度目の銃声が届いた。
「何だ、もう終わりかい」
「サッチ大好き!」
アクシオ!!ギュッと握り締めていた杖を振りながら叫んだリサは、さっきより近くなった雄叫びと足音に驚いて振り返った。
「あぁ、言い忘れてた」
地に足をつけ、リサの隣を並走しながらマルコがポンと手を打つ。
「二度目の銃声は、お前だけじゃなくてアイツらも本気出して良いって合図なんだよい」
「は!?」
「いやぁ、俺とした事がすっかり言い忘れてたよい」
悪い悪い。悪びれることなく飄々と言ってのけたマルコにリサがその顔を般若のように歪めた。
「アンタ最低! 最低! 鬼!!」
「ヒデェ言い草だな、おい。忘れてたって言ってんじゃねぇか」
「嘘つけぇ!!」
「っしゃああぁぁ!! 捕まえたあああぁぁぁ!!!」
背後から聞こえた叫び声に振り返れば、地を蹴った兄弟の一人がリサに向けて飛びかかろうとしている所だった。
「インペディメンタ!!」
素早くリサが杖を振る。
杖先から迸った閃光が直撃した兄弟の身体は、まるで強い衝撃を加えられたかのように後方へぶっ飛び、後ろを走っていた兄弟たちと共に倒れ込んだ。
ひゅう。口笛を吹くマルコの横でリサが「ごめん! あとで薬あげる!」と叫んでいる。
「今のはどういう呪文なんだい?」
「妨害呪文! ぎゃあ! また来た!!」
素早く起き上がった兄弟たちにビクリと身体を震わせたリサが再び走り出す。
隣に並んだマルコは、ふと差し込んだ影に顔を上げた。
「ぎゃー! ちょっと! 別の方向からとかずるい!!」
同じ方向へ視線を向けたリサが喚きながら杖を振る。
「アグアメンティ!!」
杖先から勢いよく噴出した水が、マストにいる兄弟たちを次々に落としていく。
まるで射的ゲームのようだな、などと思いながら見ていれば、操作を誤ったのか勢いよく噴出している水が帆をぶち抜いた。
「テメェ! 何してんだよい!!」
「ご、ごめんっ! あとで直すから!」
わざとじゃないもん!叫んだリサは、こちらに向かって駆けてくる兄たちに気付いて再び走り出す。
水浸しになった甲板とぶち抜かれた帆を見て、マルコは溜息を一つ零した。
「……オヤジに叱られるかもなぁ」
あちこちで魔法をぶっ放しながら逃げ回るリサを眺めつつ、マルコは頭を掻いた。
魔法だけではこの世界では生きてはいけない。
能力だけでも生きていくことは出来ない。
マルコは勿論、他の家族たちもリサに戦うことを求めてはいない。
けれど、この船は海賊船であり、既に手配書が世界中にばら撒かれている以上、何もしないわけにはいかない。
この間のように弱い海賊ならば何とかなるだろうが、それより強い敵が相手では逃げることすらままならないだろう事はリサにも分かっているはずだ。
そこでイゾウが提案したのが、今マルコの目の前で繰り広げられている『鬼ごっこ』だ。
鬼は兄弟。逃げるのはリサ一人。
魔法を使ってもいい。
能力を使ってもいい。
ただし、絶対に捕まってはならない。
体力も向上出来て、魔法の腕が鈍ることも防げる。
唯一の問題点は、鬼だ。
妹に甘い兄たちに本気を出させるにはどうしたら良いのか。
その答えもすぐに出た。
”コイツを捕まえることが出来た奴は、魔法薬の服用を免除してやる”
可愛い妹一人を大勢で追い回すなんて、と鬼になることを渋っていた兄弟たちは、マルコのその言葉に即座に”是”と答えた。
可愛い妹に裏切り者と罵られようが、嫌いとそっぽ向かれようが、彼らにはその褒美は美味しすぎたのだ。
「リサーーーーッ!!! 頼むから捕まってくれ!!!」
「嫌だ!! 捕まったら訓練の時間長くなるって言ったんだもん!!!」
「訓練しようぜ! 俺ら付き合うから!!」
「絶ッ対! やだ!!」
叫びながら走り続ける彼らを眺め、マルコは再び溜息を零した。
いつの間にか、破損箇所が増えている。
船の財政状況と次の島までの日数を考え、そして再度溜息。もうこれで何度目だろうか。
「………今回はアイツに直させるか」
飛びかかってくる兄を容赦なく魔法で海に落とすリサを眺めながらポツリと零す。
躊躇と容赦が無くなっているのが傍目にもよく分かる。さすがに大怪我はさせられないだろうが、多少の怪我人が出ることを船医に伝えておくべきだろうか。
「まぁ……いいか」
どちらも必死なのは分かるが、傍目にはただじゃれ合っているようにしか見えない。
妹溺愛な兄たちが、素直じゃない妹を構いたくて仕方ないように見えてしまうのは、日頃の彼らを見ているからだろうか。
「さて、取り敢えずオヤジに謝りに行くか」
謝りついでに、お願いもしておこう。
船を壊したのはリサとリサを追いかける『鬼』たちだと。
だから、拳骨はそいつらにしてくれ、と。
痛すぎる父親の拳骨を思い出して渋面になったマルコは、絶対に頼み込もうと決意するのだった。