04


リサに何て切り出そうかと考えていたマルコは、不意に聞こえた小さな声に辺りを見回した。
この船では聞くことのない、子どもの楽しげなの笑い声だ。

「どした?」
「いや……今、子どもの声が……」
「声? 子どもの?」

つられてサッチたちも耳を澄ませるが、波の音や甲板のあちこちで「うぉっ、暗ェ!」と叫ぶ家族の声しか聞こえない。気の所為かと首を傾げながら、マルコはリサにどうやって伝えようかと頭を働かせ始めた。どう言えば被害を最小限に留められるか、それが問題だ。
溜息を漏らし頭を掻きながら船室に入ろうと歩き始めたマルコの耳に、再び子どもの笑い声が聞こえた。今度は聞き間違いではない。サッチたちも聞こえたようで、声の出どころを探してキョロキョロと辺りを見回している。

「何の騒ぎだ?」
「オヤジ!」
「おい! 海が……!」
「何だアレ!?」

海を指して叫ぶ兄弟の声に、マルコたちは一斉に海を見下ろした。先程まで波が立っているだけだった暗い海に銀白色の淡い光が溶け出している。

「あの光……瓶の中にあったやつか?」
「やっぱ海に落としちまってたんだな」

あーあ、と表情を緩ませるサッチの腰に蹴りを入れながらマルコは海面をじっと見つめた。小さかったはずの淡い光は水面でどんどん広がっていき、少しずつ何かを映し出し始めた。それと同時に再び聞こえてくる子どもの笑い声。
誰もが言葉を失って海面をじっと見つめた。騒ぎを聞き付けたのか、濃霧の甲板に出ようと思ったのか、いつの間にか甲板には相当な数のクルーが集まっていて、全員の視線が海面を見つめている。

海面に広がった淡い光に映ったのは、大きな城だった。
城の南側には大きな湖が広がっていて、地面を覆う雪や凍り付いた湖面から、映像の中の季節が冬なのだと窺い知れる。
湖の上で子どもたちがスケートをして遊んでいる姿が映し出されると、ざわめきが生まれた。

「あれは……リサか?」

誰かの呟きがマルコの耳に届いた。
スケートを楽しむ子どもたちの中に、確かにリサがいるのだ。写真の中に見た彼女の親友たちの姿もある。
スケート靴を履いた彼女たちはコートにマフラー、耳当てと完全防備で楽しげに湖面を滑っている。吐く息の白さに笑い、互いの赤い鼻を指してまた笑う。慣れないスケートに転んで痛いと喚いても、すぐに笑顔へと変わる。

「……何か、楽しそうだな」

隣いにたサッチがポツリと呟いたのがマルコの耳に届いた。
その声は何処か悲しげで、チラリと横目で盗み見ればサッチは複雑そうな笑みを浮かべて水面に映し出された映像を眺めていた。

「やっぱ、戻りたいんだよな……」

自分たちに向ける笑顔と映像の中の笑顔は違う。それはマルコにもすぐに分かった。
けれど、とマルコは思うのだ。それはリサが自分たちに対して心を開いていないとか、そういう理由とは違うのではないかと。
戻りたいと思っていることは事実だろう。それはリサを見ていれば分かる。リサの世話役という嫌な役割に収まってしまったマルコは、他のクルーたちよりリサと接する機会が多い。だからこそ、良くも悪くも、リサの考えてることなどは何となく分かってしまうのだ。

「あー、疲れた!」
「もうすぐ次の授業が始まるわ、そろそろ戻らないと」
「次は何の授業だっけ?」
「魔法薬学」
「うげぇ……」
「ハリー、減点されないように気を付けてね」
「それは僕じゃなくてスネイプに言ってくれよ」

スケート靴をローファーへ変えてリサたちが城へと戻って行く。
城の中はとても広く、モビー・ディック号という規格外の大きさを誇る船で暮らすマルコたちも思わず感嘆の声を漏らした。

「スゲェ……」
「うおっ、階段が動いてんぞ!」
「何処もかしこも魔法ばっかだな」

魔法学校と聞いてはいたが、やはり実際に映像を見ると素直に凄いと思う。生徒たちは皆リサと同じように制服を着ていて、すれ違う教師たちは三角のとんがり帽子を被りローブを着ている。見るからに魔法使い、魔女といった格好だ。

「授業の用意持ってきてて良かったわ、急ぎましょう」
「あと何分?」
「五分!」

腕時計を確認したハリーの叫びで、リサたちが一斉に走り出す。廊下は走らないように!と厳格そうな魔女に注意されながら地下へ続く長い階段を下りていくと、そこは薄暗い廊下が続いていた。寒さに肩を竦めながら教室へ向かうと、既に他の生徒たちが教室の前で待機している。息を整え、間に合って良かったねと笑いあったその時、人集りの中から金髪をオールバックにした青年が前に出てきた。

「やぁポッター、スケートは楽しかったかい? たまたま僕が見かけた時は盛大にすっ転んでたみたいだけど」

意地悪な笑みを浮かべる青年の後ろで、緑色のマフラーを巻いた生徒たちが一斉に笑い出した。

「そういう君はどうなんだ? 君がやらないのは、転んでも泣きつくママがここにいないからか?」
「口を慎めウィーズリー。僕は穢れた血と一緒になって滑りたいと思わないからね」
「穢れた血、穢れた血……バカの一つ覚えみたいにそれしか言えないの? 可哀想に」
「黙れ、薄汚いお前が僕にそんな口を――」

ハリーたちの前に進み出たリサはマルフォイの正面に立つと、徐にマルフォイの足の甲を踏みつけた。マルフォイが声を荒らげる間もなく両手でマルフォイの肩を突き飛ばせば、バランスを崩したマルフォイはそのまま後ろに倒れ尻餅をつく。ハリーたちが腹を抱えて笑った。

「薄汚い私で良ければ、手を貸しましょうか?」

口元は笑っているのに目だけは冷たくマルフォイを見据えるリサに、怒りを露に立ち上がったマルフォイが杖を取り出す。ハリーとロンがそれぞれ杖を手に前に進み出てきた。

「何をしているのかね?」

不意に聞こえた静かな声に、廊下は一瞬で静まり返った。ハーマイオニーに小突かれハリーとロンが慌てて杖をしまうと、人垣を掻き分けてスネイプがリサたちの元へやって来た。

「あれ、コイツ……どっかで見たことあんな」
「アイツが持ってたカードだよい」
「あぁ! あの蛙のチョコ!」

リサの恋人だった男。それを知っているのはこの船ではマルコのみだ。だからだろうか、教師と生徒として対面する二人を見ていたくないと思ってしまうのは。恐らく周囲に隠した関係だったのだろう。それをこうして目の当たりにするのは何だか気が引ける。そう思うくせに海面に釘付けになっているのは何故だろうか。

「説明して頂けるかね?」
「スネイプ先生、実は――」
「マルフォイが転んだから手を貸してあげようとしただけです、スネイプ先生」

マルフォイの言葉を遮ってリサが早口に告げれば、スネイプは片眉を上げてリサを見、マルフォイへと視線を移した。

「だ、そうだが……事実かね?」
「彼女に突き飛ばされました!」
「あら、女に突き飛ばされただけで簡単に転んでしまうなんて随分と貧弱なのね、Mr.マルフォイ」
「何だと!?」
「静かに」

怒りと羞恥で頬を赤く染めながら声を荒らげたマルフォイを、スネイプが制止する。バツが悪そうな顔でマルフォイが黙り込むと、スネイプはリサと向き合った。

「――グリフィンドール、三点減点。教室に入りたまえ」

横暴過ぎる処置にマルコは思わず顔を顰めた。隣ではサッチも同じように顰め面で海面に映るスネイプを睨み付けている。
映像の中のリサは何も言わず、顰め面のハリー達と共に教室へ入って行った。
授業が始まり、生徒たちはスネイプの合図で一斉に調合の準備を始めた。芋虫を輪切りにしたり、コウモリの心臓を薄くスライスしたり。見てるこっちが吐き気を覚えてしまうようなことを、リサたちは慣れた様子でこなしていった。

「随分と気味の悪ィ材料を使ってやがるな」

白ひげの呟きを聞き取ったマルコは、隣でサッチがこっそりガッツポーズを取っているのを見た。白ひげからリサに何か言ってもらえるとでも思ったのだろう。可愛い娘が一生懸命作った薬を無駄にするようなことを、自分たちの偉大な父がするとでも思っているのだろうか。糠喜びだと心の内でサッチに向けて呟いた。

正直に言って、映像の中に見たスネイプは最悪な教師だった。
言いがかりで減点し、抗議する生徒を更に減点する。被害者はグリフィンドール生ばかりで、反対にスリザリンの生徒には何でもないことで加点する。贔屓を通り越して差別だ。リサたちは既に諦めているようで、顔を顰めはするものの更に減点されないように必死に調合を続けていた。
スネイプの嫌がらせとも言える減点行為は主にハリーに対して行われていた。リサやハーマイオニーの作る薬とはかけ離れたものを作るハリーをせせら笑い、減点しては笑い者にしようとする。スリザリン生たちに嗤われるハリーを見て満足気な顔をするスネイプは、やはり最悪な人間にしか思えなかった。

「こんなのの何処が良いんだ……?」

無意識に呟いたマルコは、隣のサッチに聞こえていなかったことを感謝した。言いふらす気なんて初めからなかったが、この映像を見た後では余計にそう思ってしまう。もし、こんな男と可愛い妹が恋仲だったなどと過保護な親兄弟が知ったら。想像に難くない。既に故人であることだけが救いだろうか。どんなにリサがスネイプを好いていたとしても、兄としてこの男との仲を認めるわけにはいかない。もしスネイプが生きていたとしたら、元の世界に帰らせまいと画策していたかもしれない。

ハリーにとって拷問にも似た時間が終わると、赤と黄で編まれたマフラーを巻いたグリフィンドール生たちは我先にと教室を出て行った。リサたちも荷物を纏めて教室を出ると、長い階段を上りながらハリーとロンがスネイプへの不満を零し始める。宥めるようにリサとハーマイオニーが口を開くが、魔法薬作りが得意で減点など滅多にされない二人が何を言ってもハリーたちの怒りは治まらない。

「――あ、」
「ん?」
「どうしたの?」

階段を上りきった所で立ち止まったリサに、ハリーたちが首を傾げて立ち止まる。

「教室に忘れ物しちゃった、取ってくるね」
「うげぇ……」
「僕ら先に談話室に戻ってるよ?」
「うん、また後でね」
「気を付けてね」

親友たちと別れて階段を下りたリサは、人気のなくなった廊下を通り抜けて先程までいた教室へと戻っていった。