「馬鹿じゃないの!?」
部屋に入るなりリサはマルコを怒鳴りつけた。片耳に指を突っ込んで顔を背けたマルコは、更に眉を吊り上げたリサをチラリと見遣ると大きな溜息と舌打ちを零す。
「煩ェな」
「煩い!? アンタの所為でしょうが!! 結婚って何!? 結婚って何!? 誰と誰が!? 言ってみなさいよ! えぇ!?」
椅子に座るマルコの胸倉を掴み上げたリサはその顔を般若のように歪めて何度も何度もマルコを揺さぶる。その手を煩わしげな様子で払い落としたマルコは大きな溜息を吐き出して頭を抱えだした。
無茶を言っていることは分かっている。リサが怒るのも尤もだ。結婚?冗談ではない。自分とて結婚なぞしたくもない。まして相手がリサだなんて冗談でも笑えない。けれど仕方がないのだ。惚れ薬なんてもので我を失っていたからといって、白ひげへの誓いを無かったことになど出来やしない。
「別に気にする事ねぇじゃねぇか。結婚っつったって、何も変わったりしねぇんだからよい」
そうだ、何も変わらない。変わられても困る。
「結婚って夫婦になるって事でしょ!? 私と!? アンタが!? 無いでしょ!」
「無いな」
「分かってるんなら!」
「けど、オヤジへの誓いを無かったことには出来ねぇよい」
「…………それ、アンタの問題で私には何の関係も無いんだけど?」
冷めた声と視線にマルコは眉間の皺を濃くしてリサから顔を背けた。リサの言い分も尤もだ。勝手に惚れ薬を盗み出され、惚れ薬を飲んだマルコに求愛され、承諾しないままに結婚宣言までされたのだ。その怒りはよく理解している。マルコだって怒る。けれど自分にはそれ以外の選択肢など存在しない。存在するはずがないのだ。
黙り込んだマルコにリサは溜息を吐き出して頭を掻いた。
「そもそもさ、結婚ってどうやってするの? 籍を入れようにも、この世界って姓がある人と無い人といるから入れようがないよね? アンタだって姓がないんだし。教会で神様に誓うだけ? それとも――」
「神なんているか分からねェもんに誓ってどうすんだ。俺らは何か大切な事を決める時はいつもオヤジに誓うんだよい。オヤジに誓ったことは絶対に違えちゃならねェ。必ず成し遂げると自分にも誓うんだ」
「……つまり、離婚が出来ないってこと?」
「そんなみっともねェ真似が出来るか」
鼻を鳴らすマルコに溜息すら出ない。ふらふらと覚束無い足取りで部屋を行き来したリサはベッドに腰を下ろして頭を抱え込んだ。部屋の中で頭を抱える男と女。傍から見ればシュールな光景だが、本人たちは至って真面目に答えの出ない問題に悩んでいる。
「――もし、」
「あ?」
「もしだよ? もし仮に結婚したとしても、別にそういう関係にならなくたって良いんだよね? 形だけの夫婦なんていくらでもいるし、アンタは今まで通り島で女を買えば良いし、私らがベッタベタする必要は全く無いよね? ね?」
マルコの白ひげへの異常なくらいの忠誠心はリサとて熟知している。マルコにとって、神は白ひげであると言っても過言ではない。そして、もう自分が何を言っても無駄だという事も理解しているのだ。したくはないのだけれど。だからこそ、先に釘を刺しておかねばなるまい。目の前のこの男が、自分がちんちくりんと呼んだ女に手を出すとは到底思えないが、何しろ白ひげの言葉は絶大だ。彼に言われればどんなに嫌でも成し遂げようとするだろう。例えば、今この時のように。
「俺だってお前みてェなのに手ェ出したくなんかねぇよい。気持ち悪ィこと言ってんじゃねぇ」
「今までとなーんにも変わらないよね? ちょーーっと肩書きが不愉快になるだけだよね?」
「だから! そう言ってんだろうが!」
「オヤジが何言っても変わらないよね!?」
「………」
「何でそこで黙るのよ!! イエスは!? はいは!? オフコース!!」
「ちょっと黙れ」
その大きな手でマルコは喚き立てるリサの口を塞いだ。暴れるリサを押さえ付けるマルコの額には冷や汗が滲んでいる。たった今リサが発した言葉でほんの十数分前の白ひげの言葉を思い出したからだ。
『漸く孫の顔が見れそうだ』
サッと顔を青くしたマルコは突然の痛みに思わず声を上げてリサを解放した。痛みを感じた腕を見れば引っ掻かれたのだろう、数本の赤い線が青い炎によって焼かれて消えた所だった。傷を付けた張本人を睨み付ければ、何度も深呼吸をしていたリサが凶悪な顔でマルコを睨み付けている。
「殺す気!?」
「テメェが煩ェからだろうが! 少しは黙ってられねェのかよい!」
「こんな時に黙ってられるわけないでしょう!!? 私はね! アンタと結婚なんか絶ッ対したくないの!! アンタだってそうなんでしょう!? とっととオヤジに言いに行きなさいよ! アレは惚れ薬の所為で頭がパーになってた自分が言ったことだから無効にしてくれって!!」
「言えるわけねぇだろうが!! 俺はオヤジに嘘はつかねぇ!!」
「人を巻き込んで威張ってんじゃないわよ!!!」
バチバチと火花を散らしながら怒鳴り合う二人を止めたのは、コンコンという控えめなノックの音だった。二人の視線が同時に扉に向かうと、ゆっくり開いた扉から全ての元凶であるサッチが顔を出した。
「サッチ……!」
「テメェの所為で……!!」
「ちょ、ちょっと待った! 待て! 話せば分かる!!」
青筋を浮かべながらにじり寄るリサとマルコの前に両手を突き出して慌てて止めたサッチは、深呼吸を一つしてからヘラリと笑った。
「あー、その、だな。えーと、オヤジが呼んでるぜ」
舌打ちを零したマルコが扉へと向かう。さすが、白ひげの事となると素早い。内心で舌打ちを零したリサは視線を部屋の外に出たマルコからサッチに移してじとりと睨んだ。
「オヤジが何の用?」
「えーと、その……宴の準備が出来まして」
ぴしり。固まったマルコとリサにサッチは尚も続ける。
「料理はもう少しかかるんだが、先に乾杯しちまおうってなってよ。主役連れて来いって言われて――ってちょっと待て! リサ! 落ち着け! その杖しまえ!!」
「ねぇサッチ、私に何の恨みがあるの? まさか魔法薬を作った事が気に入らないとでも?」
「まさか! お前のおかげであの時助かったんだ! 恨みなんてこれっぽっちも……いや、まぁ確かに二日酔いの薬は嫌だけど……って、ちょっと待った! 振るなよ!? 振るなよ!? 落ち着け!」
「勝手に私の部屋に侵入して、私のトランクから惚れ薬盗み出して、マルコに飲ませて私を襲わせて――」
「襲ってねぇよい! 人聞きの悪ィこと言ってんじゃねぇ!」
「――挙句の果てに、マルコが勝手にオヤジに誓ったから結婚しろ? ふざけんじゃないわよ!!!」
リサの怒りに呼応して杖先からいくつもの光が溢れ出し部屋を襲う。あちこちから上がった火の手にマルコとサッチが慌てだすが、舌を打ったリサがもう一度杖を振ればそれは元通りになった。俯き黙り込んだリサにサッチとマルコが顔を見合わせる。
「あ、あのー……リサさーん……」
「…………」
「いや、あの……ほら、悪かったって。俺もな、その、悪気があったわけじゃなくて、」
「…………」
「自分が使う前にちょーーっとその効果を確かめたかっただけで、」
「…………」
「だから……その……ごめんなさい、俺が悪かったです」
「…………」
「ちょっ、リサーーッ! 何か言ってくれよ! ごめんって! 本当にごめんって!!」
ひたすら無言を貫くリサに、耐え切れなくなったサッチが縋り付く。それを目の当たりにしたマルコは堪えきれない溜息を吐き出して甲板へと歩きだした。
「とにかく、オヤジが呼んでんだ。とっとと行くぞい」
「ちょっ、待てよマルコ! リサが返事してくれねぇんだぞ!?」
「担いで来りゃ良いだろうが。元はと言えば全部テメェが悪い」
「だ、だからこうして謝って……だーっ、もう! リサ! とにかく甲板行くぞ!」
「…………」
一切の無視を決め込むリサをひょいと担ぎ上げ、サッチも部屋を飛び出してマルコに並んだ。甲板への道のりはそれほど長くないというのに、空気が重い。その重い空気を醸し出しているのはリサとマルコで、けれど元凶であるからこそサッチは何も言えずにひたすら耐えながら歩き続けている。息が詰まりそうだ、などと口にすれば一瞬で三途の川へと旅立つ事になりそうなので、口を引き結んでひた歩く。
甲板に到着すると、兄弟達が盛大な拍手で迎えてくれた。あちこちから上がる祝福の声にマルコは益々眉間の皺を濃くし、無言のリサからの圧力が更に強くサッチを追い詰める。ダラダラと冷や汗を流しながら白ひげの前でリサを下ろすと、サッチはなるべくリサを刺激しないようにそっとその場を離れた。
「グララララ! 話はまとまったか?」
楽しげな白ひげの声にマルコがチラリとリサを見遣る。リサは相変わらず俯いたまま黙り込んだままだ。
「あー……オヤジ、その………」
「何だマルコ、まさかオヤジへの誓いを無かった事にする気か?」
「ねぇよい!」
ニヤニヤと悪そうな笑みを浮かべるイゾウの言葉に反射的に答えたマルコはハッと我に返って口を覆う。けれど既に吐き出した言葉は飲み込むことなど出来ず、大きな歓声があちこちから上がった。じとりとイゾウを睨み付けるがイゾウは腹を抱えて笑うだけ。確信犯だ。
「――オヤジ」
「何だ?」
ずっと黙り込んでいたリサの小さな声に白ひげが笑いながら返事をすると、リサはゆっくりと顔を上げて白ひげを見上げた。その顔はこの上なく不機嫌で、ギュッと寄せられた眉根がくっつきそうなほどだった。
「これだけ盛り上がってるトコ悪いけど、私、結婚なんかしないからね」
「何言ってんだよ、隊長が誓ったじゃねぇか!」
「そうだそうだ!」
何処かから上がった声に同調する声が上がる。背後の兄達をぎろりと睨み付けたリサは再び白ひげへと視線を戻した。
「マルコが勝手にオヤジに誓っただけで、そもそも私はプロポーズすらされてないもん。結婚なんかする必要ないでしょ。それに……結婚なんかしたら元の世界に戻れなくなるじゃん。私は……元の世界に戻りたいからこの船にいるんだもん……だから、結婚なんかしない」
徐々に小さくなる声につれてリサの視線が白ひげから逸れる。言い終わる頃には再び俯いてしまい、リサの言葉を受けて甲板中も静まり返ってしまった。
元の世界に戻る。初めから分かっていたことではあったが、リサが乗船を決意してから半年とちょっと。敢えてリサの口からそれを聞くと、誰も何も言えなくなってしまった。
「――あぁ、分かってる。お前は元の世界に帰る、そうだな?」
白ひげの問いにリサは静かに頷く。けれど顔を上げる事など出来やしなかった。
「冗談だ。お前らが本気で嫌だと思ってるのに結婚させたりはしねぇよ。まぁ、したらしたで面白いとは思ったがな」
「オヤジ……勘弁してくれよい……」
項垂れたマルコにグラグラと笑った白ひげは、リサの頭を優しく撫でると後ろにいる息子達に大きな声で言い放った。
「野郎共! とっとと始めるぞ!!」
白ひげの言葉に、けれど意気揚々と返事をする者達はいない。先程のリサの発言が尾を引いているのだ。
「返事はどうした?」
「――とっととジョッキ持って来いよい!! タラタラすんじゃねぇ!」
マルコの恫喝に顔を見合わせたクルー達の間からちらほらと了承の声が上がる。やがてそれは広がっていき、最終的には大きな歓声となって甲板中に響き渡った。
考え出したらキリがない。元の世界に帰って欲しくなどないが、今ここで議論していても仕方がない。リサの様子を見れば僅かなりとも迷っているのは明白だし、ならば自分達がどうこう言っても仕方あるまい。今は楽しく酒を飲むべきだ。たとえ後からどんなに辛い選択が待っていようと、今この瞬間を楽しく生きるべきだ。
あっという間に全員に酒が行き渡り、甲板中に大きな声が響き渡った。
「「「乾杯!!!」」」
皆が笑い合う中、ただ一人、リサだけはその曇った表情を変えることはなかった。